久しぶりというか、いつぶりだろう、すきだなぁと思えるWebの記事を読んだのは。昨日掲載された邦人人質事件に関する報道についてのコメント。多くの論調が論調だけに、こう書けば逆に受けるかもと目論んでいたのなら庵主の至らないところであるが、論者の並行バランスというか、なかなかだと思わされる。
現代ビジネス 1月30日(金)6時2分配信、「イスラム国人質事件を、日本がヨルダンを「巻き込んでしまった」という視点で見てみると…」と題されているもの、だ。人質の運命に焦点が当たるのは当然なのだが、もう1つ大事な視点が失われているのではないか。それは「日本はヨルダンに大変な迷惑をかけている」いうことだ、と指摘する。
- 邦人解放をめぐる交渉に先立って、ヨルダンはパイロットの解放交渉をしていた
- そこに、イスラム国側が邦人の解放をヨルダンが拘束している女性死刑囚の釈放と引き換えにする条件を出す。パイロットの扱いが2の次に。
- それどころか、29日未明に公表された音声によれば、パイロットの命は解放どころか、邦人と死刑囚の取引促進材料に使われはじめた。
ヨルダンにしてみれば、邦人の命を救うために、自分たちが犠牲を払って拘束した死刑囚を釈放しなければならないどころか、もっとも肝心なパイロットの運命がはっきりしないのは、とても受け入れがたいだろう。
そこで、論者は、「私たちは邦人の運命を心配するあまり、ヨルダンの置かれた立場への配慮が不足していないか」と反省を促し、「そんな姿勢が行き過ぎると、どうなるか。「日本人の安全さえ守られれば、他国の人はどうなってもいい」という身勝手な主張と紙一重になるのだ」と主張。そして、
相手の立場を考えられないようでは、日本はとても国際社会で尊敬されるような国にはなりえない。今回の事件は、日本と日本人が苦しいときにどれだけ周囲を考え、毅然としてふるまえるか、品性が問われる分水嶺である。
と結論付ける。
別な時のことであったと思う。日本の報道は海外で事故や事件が起きると「日本人の被害・犠牲はありませんでした」と必ず「日本人」のことを言う。それはもちろん関心事としてトップになる。だが、そこで終わってしまって、その当事者や国などに関する配慮が見受けられないとの指摘を読んだことがある。そういわれればそうだと思ったものだが、このコメントを読んで日本の報道は確かにその通りだと納得。まさに、騒ぎ立てるだけで、そのスタンスには国際的な視点に立って何を主張したいのか全く含まれない。
いろいろな物事が国際化しているなか、報道のスタンスも変わっていかなければ、報道されるもので情報を得ているこちら側はどうすべきなんだろう。鵜呑みにせず、CNNやBBC等の海外媒体を読みにいく。これが庵主の結論になり…。でも、英語、苦手なんだよなぁ、どうしよう。
今日の一枚:昨日の雪がこんな美しい演出をしてくれた。神社と棲んでいるところの中間あたり、7時頃。
もう一枚:今年見かけた梅の一番花。神社近く、JRの高架の下で、7時前。