二畳庵庵主の戯れ言

一輪の桜に従い野に。ついに2015年、人生の第三ステージの場・高知に立つ。仁淀川に魅せられたオヤジの戯れ言日記。

朝の会話

2015-01-05 15:23:43 | 徒然に想う
この時期、朝の散歩に懐中電灯は欠かせない。満月のような月の光が強い時なら、ここにいますと他の散歩士に分かってもらえる。が、そうでなければ、夜明け前の闇の中ではなかなか難しい。光りが揺らげば、誰かいる、となる。こっちにしても、視界のなかで、光りがユラユラすれば、あそこ誰か歩いてるとわかる。声をださず、いつの間にか会話してる気がしてくるからだ。

三つのライトと、たまに、カワセミの川のほとりの雑木林に入ると出会う。その出会い方が微笑ましくって。

はじめ一つなんだが、ポツ、ポツと増えてゆく。そして、二つになったり一つになったり変動する。一体、何人? と当初思ったものだ。おはようございますと挨拶すると、図太い声でまず返ってくる。続いて男の子、女の子。様子から親子三人。それがお父さん、息子、お姉ちゃんと縦に整列しこちらに向かってくる。その列の光りがクネクネと林の中の道に合わせ、増えたり減ったり。沢山会話した気分になれる。


しかし、朝の五時半過ぎ。お姉ちゃんは中学か、小学の高学年。息子はその二、三歳下あたり。早く起きろと母親に怒られてるような年代なのに、よく子供たち、オヤジに付き合ってる。いい親子なんだろう、きっと。お母さんは、暖かい食事を作り待ってるに違いない。

朝の懐中電灯の光りは想像以上に饒舌。握ってるひとの意識と関係なく話してる。庵主の光りはどんなことを語ってるんだろう。なにか機会あったら、聞いてみたいものだ。






今日の一枚:6時10分頃、神社の展望台にて。