二畳庵庵主の戯れ言

一輪の桜に従い野に。ついに2015年、人生の第三ステージの場・高知に立つ。仁淀川に魅せられたオヤジの戯れ言日記。

気になること

2015-01-30 11:53:11 | 徒然に想う

本格的に雪が降り積む。朝より激しさを増しているよう。予報で都内で5センチ。これはと思い、夜明け前ワイパーを上げに駐車場向う。その時はまだ粉雪が舞う程度。ただ、降ったりやんだりを繰り返したのか、ボンネットに1センチにいかないくらいで積もり、畑がうっすらと白くなっていた。それがどうだ、今窓からのぞき見れば、歩道や車道の上も白いところがある。

新電力への切り替えが進んでいる。去年の実績で、原発3基分の電力が大手電力から新電力へとなったんだとか。背景は火力発電の燃料費が膨らんだため、大手電力は企業向けの電力料金を約3割値上げした。これに対し、新電力の料金は大手電力より数%安いからだという。さらに来年には電力の小売りが自由化され、さらに新電力が増えるだろうとのこと。原発に依存したい大手ではまた料金を上げようとしているから、さらに大手離れが進み、原発はいらなくなる。

面白い話を聞いた。駅の開発というのは、駅ビルを建て商業施設を誘致してということだけではないらしい。もちろんそんな目先ばかりの開発を考える世代もいる。ただ、十年先とか長いスタンスに立ち文化施設やその他の社会的なインフラを含め考える若い世代が出始めているのだそうだ。イロコイ族の言葉に「どんなことでも、七代先まで考えて決めなければならない」というのがある。七代というと、百年、二百年先。駅開発には、そもそも交通手段が変わって、そんな先は読めないだろうが、目先では十分じゃないってことだ。

では、電力の世界はどうなんだろう。既得権益と原発にこだわりすぎじゃないんだろうか。大手の中でなされているかもしれない代価エネルギーの議論が聞こえてきてもいい。太陽しかり、波もある。大規模なダムを作るまでもなく、水車のような小さな水力発電(実際四国を歩いているとき、熱く語るおんちゃんに出会ったことがある)もある。大手の将来がどうなろうとかまわないが、長いスパンで物事を考えなければなるまい。

長いスパンで考える際、新しいことばかりじゃない。消滅させてはならない物も沢山ある。その存続性についても考えるべきだろう。我々は未来の子供たちから今を託されているだけ。彼らが知らないなんてことになってはならない。新しいものにいくか、絶やさないところにいくか、それが「どうしたいか」だ。

どれくらい積もるのだろう。予報では、去年のような大雪にならないが、この時間には霙になっているはず…。相変わらず、雪。心配事はいろんなところにある。

≪雪や降る 遥かかの地に 想い寄す≫

 

 

今日の一枚:北のべランダに置いてある朝顔のプランターの様子。8時過ぎ。