二畳庵庵主の戯れ言

一輪の桜に従い野に。ついに2015年、人生の第三ステージの場・高知に立つ。仁淀川に魅せられたオヤジの戯れ言日記。

序章 その4

2015-01-03 17:00:21 | 徒然に想う

今年最初に気になったニュース、『農業ロボット、未来を耕す 遠隔操作で完全自動化』 産経新聞 1月1日(木)7時55分配信。

『日本の農林水産業の現場に、IT化とロボット化の波が押し寄せている。無人で農作業をするロボット農機やITと連動させた漁業などの技術開発が進めば、生産効率は飛躍的に高まる。少子高齢化に伴い就労人口が減少する中で、技術革新が日本の第1次産業の未来を左右する。

(中略)

IT化がもたらすのは、労働力の軽減だけではない。農業に必要な「経験と勘」をITで補う研究開発も進んでいる。

(中略)

 「いつ、何を、どのようにやればいいか」という農家のノウハウを、「素人でも判断できる」ようになるという。将来的にはロボット農機と同システムを連携させ、自動で適切な農作業を行うよう開発を進める方針だ。』

農家は何になるんだろうか。野菜栽培は、機械任せで誰でも出来る。農家という職業はなくなり、ゲームをするかのごとく室内でコーヒー片手にモニターを睨んでいればいい。それどころか、大人数で睨む必要すらない。たった一人ですべてをコントロールし、のこりは酒でも飲んで遊んでればいい。

もちろん、そういった技術やノウハウは植物工場でも使える。無農薬でクリーンルームで作られた野菜が食卓に上る。遊んで暮せ、安全なものを食べる。なんという夢のような世界。この上もない素晴らしい未来がやってくる。

偶然、 昨年暮れから福岡正信さんの「緑の哲学 農業革命論」を読み返していて、こんなことを言っておられた。この本、第二版が1972年に出ているから、初版はその前、40年以上前のことになる。

『人間が人間を支配する時代から、情報が人間を動かしコンピューターやシステム科学から生まれたロボットがコンピューターを自由に駆使する総括的活動体となって、人間を操り、混乱せしめ、狂奔せしめるようになるのである。』

夢として最高…、なんて到底思えぬ。食べ物の素材を作ることに人間が介在する必要がなくなる。そのとき、人間の役割はどこに向かうのだろう。マネーゲームと同じ、システムまかせで、結局大暴落。だれも野菜の作り方が分からず、食べものがない。これを郷愁というかもしれないが、その時の人間たちはいったい…。楽になることは、技術として魅力のあることだろうが、持続性から考えたとき、ほんとに必要なんだろか。新しいものに向かう時、多くの分野の目の参画を得て、多くの分野の目から見なければならない、ってことじゃないだろか。あるいは、山と同じで、時には引き返す・振り返る勇気が要るってことじゃ…。

 

 

 

今日の一枚:神社下の公園から、JRの高架橋を見上げた。その時、EF64の牽く石灰運搬列車。この電気機関車、カッコいい。ちょっとぶれているけど、今朝の6時半頃。