二畳庵庵主の戯れ言

一輪の桜に従い野に。ついに2015年、人生の第三ステージの場・高知に立つ。仁淀川に魅せられたオヤジの戯れ言日記。

序章 その2

2014-11-11 17:20:31 | 徒然に想う

一時間待つということは、大変なことなんだろうか。

▼今朝あるところで順番を待っていた時のこと。初老のご婦人がいら立って、

いつもなら、すぐに自分の番が来て、そのあとの予定も無難にこなせる。なのに今日は一時間近くなるのにその気配すらない。生徒さん達(その予定のことらしい)が来ちゃうから、今度の予定をいれて、もう帰る!

といって、帰ってしまった。対応した方は一週間後に出来るようにとアレンジしに走っていった。

▼その場所の受付にいたところ、脇に30分から1時間遅れている事実と謝罪が出ていた。これまた初老の男性。開口一番、

一時間も待つのかよ!!

受付の方のすまなそうな顔、何度も謝っていた。

 

初老、ということに力点があるわけじゃないが、どうして一時間の遅れでそこまでいきり立つんだろう。お金を払うんだから時間通りにしろよとも聞こえてくるし、待つこともできない余裕のない生活を送られていることに哀れさすら感じてしまっていた。

ネットで見ていたら、「キレる老人」「モンスター老人」「バイオレンス老人」「新老人」「暴力老人」などという単語が出てきた。「たとえば今の70代は、人格形成の最初期に終戦直後の混乱を味わっている。家族や知人が死んでいく様をリアルタイムで見ているため、死生観が我々とは大きく異なる。また、青年期を’60年代に過ごしたことも、破滅的な人格形成の大きな要因。映画などでは美化されているが’60年代とは、貧困と暴力が横行していた。その中で成長過程を過ごし、人間的にタガが外れている」という解説すら見つけた。要は成熟した人格を形成できなかった。

子供の声がうるさいと怒り出す例も、今日遭遇した二例も、そのようなことなのか…と思うと、憐れんでいられない。社会問題として頭に入れとかなければならないってことだ。こうした例は、もちろん「モンスターペアレンツ」と同じで、極一部にすぎない(と信じたい)。はたして、解決する手立てはあるんだろうか。そのような老人たちは人間関係が希薄であることが多いとか。それを広げるように手助けすれば、という意見も見つけたが、ただ正直関わりたくないと思ってしまうのは、情けない話しだが、否めない。これ、これさぁ、これこそコミュニケーション・コミュニティーが崩壊してしまったことの証だよ。ハァorz。

 

 

 

今日の一枚:昨日の収穫で出来上がったサラダ。先月の何度もの雨でダメになったがのが多いが、実にまだ木で熟すトマトがある。これ、実美味い。晴耕雨読の特権?? 撮影は昨日。