朝露に濡れた庭のベンチが、朝日を浴びています。
真っ赤に咲くデイゴの木陰で、このベンチに座って海を眺めるのが好きです。朝、東海汽船の真っ白な大型客船が目の前をとおりすぎて港にはいります。
この写真では、デイゴは左手に隠れています。遠く、八丈富士に雲がたなびいています。いまの季節は、おだやかな風がさわやかに吹き抜けていきます。
多くの人に、八丈島の魅力を知ってほしいと思っています。旅先としてだけではなく、住む場所として。
真っ赤に咲くデイゴの木陰で、このベンチに座って海を眺めるのが好きです。朝、東海汽船の真っ白な大型客船が目の前をとおりすぎて港にはいります。
この写真では、デイゴは左手に隠れています。遠く、八丈富士に雲がたなびいています。いまの季節は、おだやかな風がさわやかに吹き抜けていきます。
多くの人に、八丈島の魅力を知ってほしいと思っています。旅先としてだけではなく、住む場所として。
八丈島のケーキがおいしい喫茶店です。
手作りケーキです。パパイヤまで手作り!奥の温室には、大きなパパイヤがたわわに実っていました。
空港をでて、左方向にどんどんすすみます。西見の信号をこえて、海にでる少し手前の右側にある喫茶店「タイム」です。
わたしのブログをみていると、毎日喫茶店めぐりをしているようですね。実際、八丈島には、紹介しきれないほどの個性的な喫茶店がたくさんあります。
手作りケーキです。パパイヤまで手作り!奥の温室には、大きなパパイヤがたわわに実っていました。
空港をでて、左方向にどんどんすすみます。西見の信号をこえて、海にでる少し手前の右側にある喫茶店「タイム」です。
わたしのブログをみていると、毎日喫茶店めぐりをしているようですね。実際、八丈島には、紹介しきれないほどの個性的な喫茶店がたくさんあります。
「新池(あらいけ)や 蛙とびこむ 音もなし」
チャレンジャーはいないのか!伝統は失われるのか?あるいは、いずれ古池になるとき、だれが最初の蛙になるのか?
そんな嘆きの声がきこえてきそうです。
この俳句は、江戸時代末期、国上の山中の庵に住んだ良寛のものです。
良寛には、こんな俳句もあります。
「夢さめて 聞けば蛙の 遠音かな」
わたしが一番好きな良寛の俳句は、
「雨の降る 日はあはれなり 良寛坊」
里に下りて、子どもたちと手まりで遊ぶ良寛さん。雨の日は、良寛さんらしい1日がありません。
「この里に 手まりつきつつ 子どもらと 遊ぶ春日は 暮れずともよし」長歌の一部です。
手まりの漢詩もあります。
「・・・・・
可中意旨和相問
一二三四五六七」
ーーーーこのまりをつく意味をもしおたずねになりたければ、わたしは答えよう、ひいふうみよいむなと。
漢詩は、正面から良寛の考え方をのべたものが多い。
手まりを添えておくった貞心尼のうたと良寛がかえしたうたはわかりやすい。
「これぞこの 仏の道に あそびつつ つきや尽きせぬ 御法(みのり)なるらむ」(貞心尼)
「つきてみよ 一二三四五六七八(ひふみよいむなや) 九の十(ここのとお) 十(とお)とおさめて またはじまるを」(良寛)
座禅は座っておこなう。歩きながらは、歩行禅。手まりをつく良寛は、ただひたすら座禅を組むのと同じように、ただひたすらまりをつく。子どもと同じ心で。
道元の教えを実践し、極限にまできびしい修行をつづけてきた良寛、寺の住職に安住する多くの腐敗を批判し、ひとり雪国の山中の庵に住んだ修行僧です。
良寛は、手まりを理解してくれてその核心にせまる貞心尼のうたにこたえています。
漢詩、和歌、長歌、俳句と多くを残した良寛です。
漢詩で好きなのは、
「生涯身を立つるにものうく
騰騰天真に任す
・・・・
双脚 等閑に伸ばす」
です。両足をおもいっきり伸ばして寝るのです。
良寛の代表的な漢詩でしょう。
好きな和歌や長歌はたくさんありますが、俳句は良寛らしさを強く感じるものもあります。
「岩室の 野中に立てる 一つ松の木 けふ見れば 時雨の雨に 濡れつ立てり」
いいですね。
そして、亡くなる間際に、
「うらを見せ おもてを見せて 散るもみぢ」
自分ではなにもできなくなり、献身的な介護をうけた良寛の実感です。
いつも思うのですが、古典や宗教書の解説には、怒りをおさえきれないほど見当違いの解説も多い。
ところで、蛙には、こんなものも。
「夕立や 買わずとびこむ 百貨店」
そういえば、良寛の時代に百貨店はなかったですね。昨日、テレビで、池袋の老舗百貨店の閉店が報じられていました。いつか、百貨店がない時代もまたくるのですね。
チャレンジャーはいないのか!伝統は失われるのか?あるいは、いずれ古池になるとき、だれが最初の蛙になるのか?
そんな嘆きの声がきこえてきそうです。
この俳句は、江戸時代末期、国上の山中の庵に住んだ良寛のものです。
良寛には、こんな俳句もあります。
「夢さめて 聞けば蛙の 遠音かな」
わたしが一番好きな良寛の俳句は、
「雨の降る 日はあはれなり 良寛坊」
里に下りて、子どもたちと手まりで遊ぶ良寛さん。雨の日は、良寛さんらしい1日がありません。
「この里に 手まりつきつつ 子どもらと 遊ぶ春日は 暮れずともよし」長歌の一部です。
手まりの漢詩もあります。
「・・・・・
可中意旨和相問
一二三四五六七」
ーーーーこのまりをつく意味をもしおたずねになりたければ、わたしは答えよう、ひいふうみよいむなと。
漢詩は、正面から良寛の考え方をのべたものが多い。
手まりを添えておくった貞心尼のうたと良寛がかえしたうたはわかりやすい。
「これぞこの 仏の道に あそびつつ つきや尽きせぬ 御法(みのり)なるらむ」(貞心尼)
「つきてみよ 一二三四五六七八(ひふみよいむなや) 九の十(ここのとお) 十(とお)とおさめて またはじまるを」(良寛)
座禅は座っておこなう。歩きながらは、歩行禅。手まりをつく良寛は、ただひたすら座禅を組むのと同じように、ただひたすらまりをつく。子どもと同じ心で。
道元の教えを実践し、極限にまできびしい修行をつづけてきた良寛、寺の住職に安住する多くの腐敗を批判し、ひとり雪国の山中の庵に住んだ修行僧です。
良寛は、手まりを理解してくれてその核心にせまる貞心尼のうたにこたえています。
漢詩、和歌、長歌、俳句と多くを残した良寛です。
漢詩で好きなのは、
「生涯身を立つるにものうく
騰騰天真に任す
・・・・
双脚 等閑に伸ばす」
です。両足をおもいっきり伸ばして寝るのです。
良寛の代表的な漢詩でしょう。
好きな和歌や長歌はたくさんありますが、俳句は良寛らしさを強く感じるものもあります。
「岩室の 野中に立てる 一つ松の木 けふ見れば 時雨の雨に 濡れつ立てり」
いいですね。
そして、亡くなる間際に、
「うらを見せ おもてを見せて 散るもみぢ」
自分ではなにもできなくなり、献身的な介護をうけた良寛の実感です。
いつも思うのですが、古典や宗教書の解説には、怒りをおさえきれないほど見当違いの解説も多い。
ところで、蛙には、こんなものも。
「夕立や 買わずとびこむ 百貨店」
そういえば、良寛の時代に百貨店はなかったですね。昨日、テレビで、池袋の老舗百貨店の閉店が報じられていました。いつか、百貨店がない時代もまたくるのですね。
窓から見える緑がいいですね。井の頭公園の喫茶店も思い出します。青ヶ島にあるほどの大きなオオタニワタリが見えます。
コーヒーも格段においしいのですが、サンドウィッチがおすすめです。
三根小学校の近くで、わかりにくい場所にあります。八丈島の隠れ家です。
コーヒーも格段においしいのですが、サンドウィッチがおすすめです。
三根小学校の近くで、わかりにくい場所にあります。八丈島の隠れ家です。
八丈島にもどっています。
きょうは、朝から雨です。
最近は、よく雉が庭にきます。時には、こどもをつれて列になってあるいています。
先ほどみつけてキジは、雨の中で岩の上に立っていました。16倍の望遠で撮影しました。
きょうは、朝から雨です。
最近は、よく雉が庭にきます。時には、こどもをつれて列になってあるいています。
先ほどみつけてキジは、雨の中で岩の上に立っていました。16倍の望遠で撮影しました。