eラーニングの現状と展望

ネットラーニングHD、ネットラーニング、WIWIW、Phoenix Consulting、各代表取締役 岸田徹

新池や 蛙とびこむ・・・

2009-05-07 15:51:31 | eラーニング・ベンチャー企業
「新池(あらいけ)や 蛙とびこむ 音もなし」

チャレンジャーはいないのか!伝統は失われるのか?あるいは、いずれ古池になるとき、だれが最初の蛙になるのか?

そんな嘆きの声がきこえてきそうです。

この俳句は、江戸時代末期、国上の山中の庵に住んだ良寛のものです。

良寛には、こんな俳句もあります。
「夢さめて 聞けば蛙の 遠音かな」

わたしが一番好きな良寛の俳句は、
「雨の降る 日はあはれなり 良寛坊」
里に下りて、子どもたちと手まりで遊ぶ良寛さん。雨の日は、良寛さんらしい1日がありません。
「この里に 手まりつきつつ 子どもらと 遊ぶ春日は 暮れずともよし」長歌の一部です。
手まりの漢詩もあります。
「・・・・・
可中意旨和相問
一二三四五六七」
ーーーーこのまりをつく意味をもしおたずねになりたければ、わたしは答えよう、ひいふうみよいむなと。
漢詩は、正面から良寛の考え方をのべたものが多い。

手まりを添えておくった貞心尼のうたと良寛がかえしたうたはわかりやすい。
「これぞこの 仏の道に あそびつつ つきや尽きせぬ 御法(みのり)なるらむ」(貞心尼)
「つきてみよ 一二三四五六七八(ひふみよいむなや) 九の十(ここのとお) 十(とお)とおさめて またはじまるを」(良寛)

座禅は座っておこなう。歩きながらは、歩行禅。手まりをつく良寛は、ただひたすら座禅を組むのと同じように、ただひたすらまりをつく。子どもと同じ心で。
道元の教えを実践し、極限にまできびしい修行をつづけてきた良寛、寺の住職に安住する多くの腐敗を批判し、ひとり雪国の山中の庵に住んだ修行僧です。

良寛は、手まりを理解してくれてその核心にせまる貞心尼のうたにこたえています。

漢詩、和歌、長歌、俳句と多くを残した良寛です。

漢詩で好きなのは、
「生涯身を立つるにものうく
騰騰天真に任す
・・・・
双脚 等閑に伸ばす」
です。両足をおもいっきり伸ばして寝るのです。
良寛の代表的な漢詩でしょう。

好きな和歌や長歌はたくさんありますが、俳句は良寛らしさを強く感じるものもあります。
「岩室の 野中に立てる 一つ松の木 けふ見れば 時雨の雨に 濡れつ立てり」
いいですね。

そして、亡くなる間際に、
「うらを見せ おもてを見せて 散るもみぢ」
自分ではなにもできなくなり、献身的な介護をうけた良寛の実感です。

いつも思うのですが、古典や宗教書の解説には、怒りをおさえきれないほど見当違いの解説も多い。

ところで、蛙には、こんなものも。
「夕立や 買わずとびこむ 百貨店」

そういえば、良寛の時代に百貨店はなかったですね。昨日、テレビで、池袋の老舗百貨店の閉店が報じられていました。いつか、百貨店がない時代もまたくるのですね。



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1 コメント

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Unknown (HWAJA)
2009-05-08 15:18:55
Unknown (HWAJA )

2009-05-08 15:09:22

旅に病んで 夢は枯野を 駆けめぐる ―
芭蕉の辞世句を想起しました。見渡す限りの枯野に起きた風に、一枚の枯れ葉が舞い上がり、大地に舞い戻れず木々の間を漂う情景を何時もこの句からイメージするのですが。
良寛は良寛らしく、旅を友とした芭蕉は芭蕉らしく、人は生きてきたように死んでいくのかもしれません。
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