いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

安易に走る。

2009-07-12 19:40:33 | 日記
 人間が「主体性」を失ってきているのではないか。誰しもそうと言えば、
そうではないかもしれない人もたくさん社会活動で走っている。
 主体性を失ったと感じるのは、生き方、生き様の評価を、自分以外の構成
要因に無理やり求め、そこに結論を導く安易さが見えるから。

 それを後押しするのが情報化時代(社会)と、それにマッチした同時性の
ある専門的、学問的な分析。メディアを通した露出で、これを勝手に自分に
味方とするする都合のよさが、安易さ。

 事件が起きる。動機、社会背景の分析のため、専門家の専門的分析、専門
的、学問的な分析を通して、当事者がそこに至った要因を多角的に解説する。
 多角的分析、解説となれば、個人の問題を社会性のある問題として、結果
として、個人の事情から遊離した一般論として捉える。
 それが同時的に、表(おもて)だってメディアに露出する。問題を起こした個人
の意図するように導かれて。

 大阪此花事件の専門的な分析。今の社会での失敗はめずらしくない、燃え
尽き症候群に陥ったか、というもの。
 専門的な分析となれば、こういう見方もあるのかもしれない。メディアに
そのまま登場すると、起こした事件の特異性からみて、あまりに「美し」す
ぎる背景分析、説明。

 まるで、主体性のない予備軍がいるとすれば、同調志向の強い後押しをす
るかのような役割もあるのではないか。学問的ならそうなのだが、当事者に
も問題をまるで他人事のように安易に納得させる効果もある。そうして、人
間が主体性を失ってきている。

 もっと、背景にはドロドロした人間像に、人間にあるまじき「仮面」をき
っと被っている。その仮面にダマされる社会。どう、仮面を剥がしてドロド
ロした実像に近いものを伝えることができるのか。社会からの反転攻勢。

 安易に走る当事者の精神構造。本質に近いドロドロとした精神構造を遠慮
して報道しない、取材力も問われているはずだ。

 多角的な分析、情報公開は当然のこと。だが、専門的、学問的な解釈は、
時には非日常の非人間的な行動を「美しく」伝えるキライはある。主体性を
なくする人間像を、変に納得させる効果をもって。

 人間、一生勉強、という言葉があった。親も、大人(成人)も、それらが
責任をもって構成する社会も、そこからズレたところに教育がある。
 
 教育。(1)未知の知識への興味、(2)知り得た知識を活用する楽しみの積み
重ね。大きなことを夢見てはいけない。小さなことから、育つ。
 社会が悪くなるはずのない日々。
 

 

  

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