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オールドゲーマーの、アーケードゲームとその周辺の記憶

コインマシンやギャンブルゲームやカジノの歴史的エピソードとか、時々カジノ旅行記とか、たまにスポーツやマンガとか。

【小ネタ】本日のレゲエ日記:ゲーセンミカド(高田馬場)

2019年08月04日 22時23分45秒 | ロケーション
拙ブログは、最低でも週に一回の更新を目標にしております。しかしこのところ、何か書こうとしても、途中で「これを語るならこの部分をもっと掘り下げないと意味がない」などと考え込んでしまって、なかなか筆が進みません。ひょっとしてスランプというものなのでしょうか。

ブログの記事が全然進んでいないにもかかわらず、本日は、以前のボウリング仲間(ほとんどは職場の元同僚たち)と、久しぶりにボウリングをしに高田馬場に行ってしまいました。

高田馬場駅前の「BIG BOX」の8階には、古くよりボウリング場があります。本来ならマイボール、マイシューズで投げたいところですが、重いボールをホームレーンである川崎から持ち運んでくるのが億劫なので、マイシューズだけを持ち、ボールはハウスボールを使うつもりでセンターに到着したところ、このボウリング場には、マイボーラ―が要らなくなって置いていったボールを、「お試しマイボール」と称して通常のハウスボールと同じように無料で貸し出していたので、その中からメジャー(指穴のサイズや広さ等)が比較的近いものを選んで、4ゲームを投げてきました。

さて、高田馬場と言えば、レゲエファンの聖地の一つとされている「ミカド」があります。せっかく滅多に来ることのない高田馬場に来たのですから、ボウリング後の二次会でさんざん飲み食いした後で、その「ミカド」を覗いてみました。

以前、NHKでやっていたTV番組でこのゲーセンが取り上げられたのを観て、ミカドに置かれているゲームはワタシにとっては「レゲエ」と呼ぶには新しすぎるという先入観があったので、これまではそれほど積極的に足を運ぼうとは思っていませんでした。しかし、実際に店内に入ると、すぐ右手にはピンボール機が4台(いずれもSS機ではあるが)あるし、「ペンゴ」や「ドルアーガの塔」など、ワタシでもレゲエと呼んでも違和感のないゲーム機もいくらかはありました。

ここでワタシは、「Jacks to Open (Gottlieb/Mylstar, 1983)」というピンボール機にいくらかのお布施をしてきました。「Mylstar」とは、Gottliebがコロンビアピクチャーズの子会社だった時代に、コカ・コーラ社がコロンビアピクチャーズ社を買収したときに、Gottlieb社の社名を「Mylstar」に変更したものです。ただし、「Gottlieb」の名は、ブランド名として残りました(関連記事:【小ネタ】ピンボールのクレジットメーターに関する思いつき話)。






Jacks to Open。

「Jacks to Open 」は、Gottliebが1977年に発売した「Jacks Open」をリメイクしたもので、シンプルなゲーム性はワタシの好むところでした。

残りの3台は、「Dr. Dude And His Excellent Ray (Bally Midway / WMS, 1990)」、「The Addams Family(Bally Midway / WMS, 1992)」、「GODZZILA (SEGA / Stern, 1998)」で、これらは実はあまりワタシの好みではないのですが、それでも今では貴重なピンボールではあるので、今後もたまには「ミカド」にも行きお布施をしてこなければと思いました。

オマケ:BIGBOXの6Fにはタイトーのゲーセンが入っていました。ここにはメカの「PONG」(関連記事:JAEPOショウ2018で気になったこと3つ)が設置されていたので、ご報告しておきます。


BIG BOX6Fのタイトーのゲーセンに設置されていたメカの「PONG」。

ボウリングの結果は、4ゲーム投げてアベレージは175(1G・155 2G・180 3G・183 4G・182)でした。マイボールではなかった割にはそこそこ叩けましたが、まあ、これはどうでもいいですね。 

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30 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (tom)
2019-08-05 21:21:57
ホウリングが4ゲームとは、体力がありますね!averageもビックリです。

私はExdiyロボットボウルのブラウン管上にボウラー位置をマーキングしてstrikeを取りのがやっとこさです(笑)
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Unknown (nazox2016)
2019-08-06 22:28:42
tomさん、コメントいただきありがとうございます。

ロボットボウル、懐かしいですね! 米国EXIDY社の製品と認識していますが、セガからも「SUPER BOWL」というタイトルで出ていました。このころは、他にも同じ内容なのにタイトルが違うゲームがたくさんありました。おそらくは許諾品だとは思うのですが、裏は取れていません。一体、どういうことだったのでしょう。

ボウリングは、ほんの少しのコツを掴み、いくらかの理論さえ理解すれば、アベレージ170~80程度なら誰でも行けるものなのです。実は。
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Unknown (Unknown)
2019-08-09 22:28:02
私はEMピンボール好きおじさんです。やたら複雑になって「どうだ、すごいだろう」と言わんばかりのピンボールにはまったく興味がなくて、シンプルな昔のピンボールにあこがれております。でも、どこにも残っていないのですね。
さて"jacks open"はプレイした記憶がありますが、あまり得点を稼げた記憶はありません。
ところでGottliebはドロップターゲットを並べるのが好きだったメーカーだと思います。"2001"には20枚もドロップターゲットがありました。とりとめもなく書いてごめんなさい。
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Unknown (nazox2016)
2019-08-11 15:29:58
どちらさまか存じませぬが、コメントいただきありがとうございます。

ワタシも、フィールドのボールが隠れて見えなくなってしてしまうくらいギミック盛り盛りな機械よりも、シンプルな方が好きです。東京近辺にお住まいなら、お台場の「デックス」内の「台場一丁目商店街」か、柴又駅近くの「柴又ハイカラ横丁」に行かれれば、EM機が遊べるかもしれません。

ゴットリーブは、確かにドロップターゲットを多用する機種が多いですね。それらの多くは、ワタシが好んで遊んだ機械でした。

また想い出やご感想などありましたらお聞かせください。これからもよろしくお願いいたします。
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Unknown (EM好きおじさん)
2019-08-11 23:25:33
名前を入れてみました。返信ありがとうございます。こちらこそよろしくお願いいたします。

実はお台場には何年か前に行った事があります。EMピンボールが3台あって感激しました。大まかに言うと私の守備範囲は1980年製あたりまでです。

最初にピンボール以外の思い出。EMドライブゲーム"INDY 500"です。正面のスクリーンに上から見たオーバル(実は円形)コースと他の車が投影されて、ステアリングでそれらを回避しながら走行距離を競うものです。スピードと共に走行音が変化して、他の車にぶつかると「ガシャン!」という音がしてしばらく走れません。マイル数のカウンタがニキシー管表示で、500マイルに達すると1回だけリプレイできました。

ピンボールについては小学校の高学年からやり始めて、スーパー、デパート、ボウリング場のゲームコーナーや色々なゲームセンターに通いました。Internet Pinball Databaseで調べると記憶にある最も古いマシンは1963年のWilliams"El Toro"で、その後だんだんと覚えているマシンが増えて70年~75年製ぐらいまでGottlieb,Williams,Ballyマシンならばかなりのマシンの記憶があります。日本のSega製ピンボールも懐かしいですが、バンパーの仕組みが他メーカーと異なっており反応が鈍くて好きではありませんでした。

レトロなマシンと言えば、昔は1ゲームに使える個数分のボールが実際に用意されており、ゲームを開始するとそれらは1個ずつシューターレーンに手動(ノブを押す)で出されていました。ですからやろうと思えば全てのボールをフィールドへ打ち出してマルチボールプレイをする事が可能です。そこで1回だけ5ボールプレイに挑戦した事があるのですが、ボールが一団となって落ちてきて全然面白くありませんでした。こんなバカな事をしたのはおそらく私だけ・・・だと思います。

それでは、この辺で失礼します。
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Unknown (nazox2016)
2019-08-12 21:13:51
EM好きおじさん、ありがとうございます。

80年以降はデジタル技術が急速に発達し、安くもなったので、純粋なEMは非効率になってしまいましたからね。もうあのころに戻ることは絶対に無いと思うとさびしいです。

関西精機の「INDY500」はワタシも記憶にあります。NAKAMURA(中村製作所、後のナムコ)の「レーサー」なんてのも覚えています。他には、セガや米国Ballyのも遊びました。当時、ニキシ―管は最先端のハイテク技術のように思えた物でした。

ピンボールに関しても、ワタシもEM好きおじさんとよく似た傾向でいます。セガのポップバンパーやスリングショットには強い独自性を感じた物ですが、特にジェットバンパーはボールを弾き出す方向が不安定すぎると思いました。

ワタシがはっきりと覚えている最も古い機種はバーリーの「BAZAAR」(1966)ですが、プランジャーへのボールセットを手動で行う機種も、タイトルは覚えていないもののいくつかは遊んでいます。ただ、手動マルチボールにするというのは思いつきませんでした。今度ラスベガスに行ったら、ピンボール・ホール・オブ・フェイムでやってみようと思います。

ワタシも取り留めもなくお話してしまいました。こういうお話に付き合っていただけるのは本当にありがたいです。
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Unknown (EM好きおじさん)
2019-08-13 22:18:53
どうもありがとうございます。私もこんなお話ができてとても嬉しいです。

レーサー:その内容を思い出せないのですが、INDY500と似ていたのでしょうか?後にもっと大掛かりで運転席のモックアップに座って正面の大きなスクリーンにほぼドライバー目線でコースと他マシンが投影されるものがありました。基本はINDY500のメカニズムだろうと思いましたが、どうやって実現しているのか不思議でした。

思い出した他のEM遊技機:中央の塔から延びたブームの先に2ローターのヘリコプターが付いていて、レバーで各ローターの回転を制御して指示された目的地にうまく着陸させると、次の目的地が指示されます。私は何回やってもうまくいかないので、ぐるぐる回して一気に落とす等ゲームの目的を無視して遊びました。

得点表示がニキシー管のピンボール:Rallyの"Play Boy"と"Comics"を覚えていますが、up-postを初めて見たマシンでもあります。バンパー類の方式がSEGAと似ていましたが動作はもっと敏感でした。そしてベルではなく電子音で例えばクレジットが上がると「プキョーン!」、そしてゲーム開始前の初期設定時にもピポパポと賑やかな音が流れていました。

Ballyの"Bazaar":私も覚えています。この時代からzipper-flipperが搭載されたのですね。当時のBally機については
1)スコアリールが濃い黄色で見た目が悪い
2)マッシュルームバンパーが多い
3)ベル音がかわいい(シャリシャリシャリンという感じ)
と感じていました。懐かしいです。

手動マルチボール:一人の場合は最初のボールがフリッパーの所まで降りてくる前に残りの全ボールをフィールドへ打ち出す必要があるので、ボールの打ち出し間隔が短くてボールが集団行動になりがちでした。二人で行って相棒に適当な間隔でボールを打ち出してもらえばもっと面白くなったのかもしれませんが、どんなものでしょうか。

長くなりました。それでは失礼します。
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Unknown (nazox2016)
2019-08-14 00:08:59
EM好きおじさん、続いてのコメントをありがとうございます。
実はワタシは「INDY500」の内容はあまり記憶にありません。
EM好きおじさんがおっしゃる、大がかりで運転席に座るゲームは、「FORMULA-X」と言って、1975年か76年頃に出た物だと思います。回転するコースとエネミーカーをスクリーンに投影するという基本的な構造は「レーサー」と同じように見えました。ワタシは、「ナムコは、昔20円で稼働したゲームを馬鹿でかくしただけで100円取ろうとしている」と反発を感じたので良く覚えています。こちらから、製造元の記事が読めますので、ご参照ください。
バンダイナムコ知新「第1回 ビデオゲームのはじまり前篇」
https://www.bandainamcoent.co.jp/asobimotto/page/videogame1.html

Rallyとは、フランスのメーカーですね。「Comic」は、米国で出版された本で見たことはありますが、実機は見たことがありません。日本に輸入されていたと聞くだけで驚きです。EM好きおじさんは、どちらでご覧になりましたか?

Bazaarをご存知でしたか。剣を呑む大道芸人の絵が印象的でした。EM時代のBallyのベル音は、確かに「シャリン、シャリン」という感じのものが多かったと私も思います。Ballyの音を聞いた後で、Gottliebの、打って響くような強い音を聞くと、目が覚めるような感覚になったものでした。

手動マルチボールは、いっぺんに複数のボールをロードさせることもできると思います。10月にラスベガスに行く予定がありますので、試してみます。
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Unknown (EM好きおじさん)
2019-08-14 21:14:20
ありがとうございます。 色々と思い出して来ました。

FORMULA-X:そうです、これです。教えていただいた記事を見たら"レーサー"の画像もありましたが、私はこちらも見た様な記憶があります。そして"FORMULA-X"はこちらの拡大版だったのですね。料金が高かったので自分ではほとんどやらずに人のプレイを見ていました。

Comicsについて:JR(当時は国鉄)中央線沿線のゲームセンター(どこだったか思い出せません)でプレイしたと思います。デザインが独特でしたが、特にロールオーバースイッチが放射線状のプラスチックをボールが踏むタイプで、よくあるワイヤやボタンスイッチに比べるとオシャレに見えました。その後他メーカーマシンでも同じタイプのロールオーバースイッチを見かける様になりました。

Ballyの音:前に「シャリシャリシャリン」と書きましたがあれは「鈴の音が含まれている感じ」と言えそうです。しかし、同じBallyのEM機でも後になると鈴の音は含まれなくなったと思います。

Gottliebの音:確かにBallyの音とは違いましたね。ベル音ではないけれどもクレジットが上がった時の「スコンッ!」という音が気持ち良くて好きでした。

手動マルチボールのロード:できます。前のボールがプランジャーの前にあると次のボールがぶつかってロードできないので、プランジャーを軽く叩いて前のボールを移動させてプランジャーへ戻る前に次のボールをロードします。シューターレーンに複数個のボールが出ても、1個ずつ打ち出す事は可能です。

さて質問ですが、nazox2016様のお気に入りのピンボールは何でしょうか?私の場合は次の通りです。
Gottlieb "Fun Land"(1968)
Bally "4 Queens"(1970)
Williams "Doodle Bug"(1971)
Bally "Fireball"(1972)
Bally "Nip it"(1973)
(他にもありますが5台に絞りました)

それでは、失礼します。
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Unknown (nazox2016)
2019-08-15 22:14:26
「レーサー」、やはりご記憶がありそうですか。この頃はゲーム機のバリエーションが少なかったので、「INDY500」をご存知ならきっと一緒にご覧になっているはずと思っていました。

「Comix」のロールオーバースイッチが星型だったとは驚きです。「Star Rollover」と呼ばれているこのロールオーバーボタンは、ワタシは1970年くらいから出てきたものと思っていましたが、1968年製の「Comics」で既に使われていたのですね。また、プレイフィールドの広い部分にポツンと配置されることが多かったこのボタンをレーンに採用したのは、ATARIが最初なのかと思っていました。

ワタシが特に好むEMピンボール機は、フリッパーが3インチになる69年以降のものが多いです。Vampire(Bally, 1970)、Doodle Bug(Williams, 1971)、Klondike(Williams, 1971)、Pro Football(Gottlieb, 1973)、Big Show(Bally, 1974)、Atlantis(Gottlieb, 1975)、El Dorado(Gottlieb, 1975)などが強く印象に残っています。

SS機では、Six Million Dollar Man(Bally, 1978)、Star Trek(Bally, 1979)、Kiss(Bally, 1979)、Fire Power(Williams, 1980)など比較的初期のもので、プレイフィールドが複雑になる前の機種が多いです。

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