オールドゲーマーの、アーケードゲームとその周辺の記憶

コインマシンやギャンブルゲームやカジノの歴史的エピソードとか、時々カジノ旅行記とか、たまにスポーツやマンガとか。

大阪レゲエ紀行:エレメカ研究所(大阪・北区中崎町)その2

2023年04月16日 16時43分56秒 | ロケーション

前回の記事で、「メーカー不明、1980年頃」としていた「ロボット」(駄菓子屋ゲームその1の③)のメーカーと発売年は、「KアンドU商会 1979年」であることが判明したので、修正しておきました。この「KアンドU商会」の名は、かつては業界紙誌の広告でよく見かけていたし、AMショウへの出展実績もあるのに、業界団体名簿には名前が見当たらず(ワタシの目が節穴なだけかも)、良くわからない企業です。

************************** これより本文

エレメカ研究所探訪記録の2回目は、大型の機械を記録しておこうと思います。大型と言っても「駄菓子屋ゲーム機と比較すれば」程度の意味であって、今の感覚では必ずしも大型には見えないかもしれません。

【ジャンボ (セガ、1969以前)】

セガの「ジャンボ」。

空気で吹き上げられているボールを、象の鼻を上下左右に操作してとらえ、所定の位置に運ぶゲームです。上下と左右の2系統を別々に操作して目標の1点を目指すのは案外難しい作業で、ワタシは満足に得点できた記憶がありません。

セガはその後、「ジャンボ」の筐体を流用した「ダンボ(Dan-Bo)」をリリースしています。こちらは空気で吹き上げられているボールを、空中を旋回する象の高低を操作してとらえて所定の位置に運びます。ワタシはほんの数年前まで、「ジャンボ」と「ダンボ」の区別が極めて曖昧で混乱していました。

「ダンボ」の全体像。'74-'75遊戯機械年鑑より。操作系はジャンボと異なるが、筐体とアートワークが同じで、ワタシは長年混乱していた。

「ダンボ」がリリースされた時期はよくわかりません。72年5月にセガが発行した「プライスリスト」には記載されておらず、74年6月発行の「'74-'75遊戯機械年鑑」には記載されているところから、1973~1974年と推定されます。(2023/4/20追記 Caitlynより、「ダンボのリリース年は1973年と確認されている」とのコメントをいただきました。Thank you Caitlyn!)

 

【クレイジー15 (こまや、1965)】

こまやの「クレイジー15」。

おそらく国産初のフリッパー付きピンボール機である「クレイジー15」のゲーム内容については、過去記事「初期の国産フリッパー・ピンボール:「クレイジー15ゲーム」で述べていますので、ご参照いただければと思います。こまやの看板タイトルとも言える機種で、その後も何度かリメイクされていますが、エレメカ研究所の個体は最も古いバージョンのものです。

1ゲームは6ボールですが、ビンゴカードの縦横斜めいずれかで一直線に並んだ時点で直ちにゲームがリセットされ再ゲームとなることと、ゲームオーバー後もフリッパーの操作だけはできることが、今回改めて確認できた点でした。

オリジナルではプレイヤーへの褒賞はリプレイのみですが、エレメカ研究所は中央横の3-5-7が揃うと100円ゲーム用のメダルが払い出される改造が施されています。今回のワタシはリプレイは何度か獲得できましたが、メダルを獲得することはできませんでした。

【BASEBALL・2(こまや、1977)】

こまやの「BASEBALL・2」。

コントロールパネル左手の「ピッチ」ボタンを押すとプレイフィールドに描かれたダイヤモンドの中央が持ち上がってボールが出てくるので、右手の「バット」ボタンでこれを打ち、ボールが入った穴に書かれている結果で野球に準じたプレーを行います。米国では第二次大戦以前から同コンセプトのコインマシンが作られており、IPDB (Internet Pinball Data Base)は「バットゲーム(Bat Game)」と言うジャンルに分類しています。

ゲームマシン77年10月15日号は、こまやが同年10月に開催された「第15回アミューズメントマシンショウ」に「ベースボールII」を出展したと報じていますが、この記事には画像がありません。しかし、1978年3月発行の「'78遊戯機械総合年鑑」には「ベースボール2(BASEBALL 2」として写真付きで記載されているので、同一のものと判断して発売年を1977年としました。

実は同じショウでは「三共」(関連記事:三共についての備忘録(1) 三共以前の三共 他同シリーズ)がやはりバットゲームの「ホームランキングII」を出展しています。「II」が付かない「ホームランキング」はパチンコタイプの小型機で、なぜコンセプトの異なるゲーム機に名を継がせたのかは謎です。とまあ、以上はどうでもいいトリビア。

エレメカ研究所の「ベースボール2」は、老朽化によるものか、メカの動作が多少おぼつかない様子がありましたが、何とか遊ぶことはできました。

【ATTACK II (セガ、1971以前)】

セガの「ATTACK II」。

タイトルで「II」と名乗る通り、この機械には「ATTACK」と言う前作があります。さらに「II」の後には「Lunar Rescue」が作られていて、前二作では戦車を操作していたものが、三作目では「月面の救援車」を操作するようになっています(関連記事:(予定変更)70年代のセガのエレメカゲーム「ATTACK」とそのシリーズ)。

初代の「ATTACK」は一定の得点で記念メダルを払い出しましたが、「ATTACK II」では記念メダルの払い出しかまたはリプレイのどちらかに設定する仕様になっており、「Lunar Rescue」ではメダルの払出はなくリプレイのみとなっていました。ゲーセンが購入する景品の記念メダルは「1000枚15000円」で、当時の感覚としては結構高いものだったことと思います。

プレイフィールドの下にはX-Yプロッターのような機構が隠されており、プレイフィールド上の戦車はその交点にある磁石に引きつけられて移動します。これだけなら比較的単純そうなメカですが、戦車の向きを進行方向に向けるメカは少し難しそうに思えます(メカの専門家ならすぐに思いつくのかもしれませんが)。

ゲーム内容はどれも同じで、プレイフィールド上の戦車、または救援車をジョイスティックで操作して、三方の壁に埋め込まれているボタンのうち点灯しているものを砲身もしくは救援車の先端で突いて押し込めば得点を獲得します。しかし砲身はグニャグニャと曲がるようにできていて、ボタンを正しく押し込むためには真正面から垂直に突かなければなりません。時間制のゲームなので、焦って最短距離を取ろうとしたりすると適正に突くことができず、いたずらに時間を浪費するところがミソなゲームでした。この機械も動作に若干不安定なところはありましたが、曲がりなりにも遊べるだけで感涙ものです。

【ニンジャガン (関西精機、1978)】

関西精機の「ニンジャガン」。

関西精機と言えば、1955年の創業以来エレメカひとすじで日本のAM業界を牽引してきた功労の多い老舗です。1968年に発売したドライブゲーム「インディ500」は海外にも輸出されましたが、これは輸入やコピーなど海外製品に依存していた当時の日本の業界にとっては画期的とも言える出来事でした。

「ニンジャガン」は1978年10月に開催された「第16回アミューズメントマシンショウ」に出展されています。この頃はビデオゲームの人気が急激に上昇し、またテーブル筐体も増えてきていましたが、まだギリギリ、ゲーセンの主流はピンボール機を含むエレメカ機と言えました。しかし、すぐに「インベーダーブーム」が起き、あっという間に主流が入れ替わって行く時期でした。

「ニンジャガン」は移動するターゲットに多くのバリエーションがあるので、あちこち狙って忙しいプレイ感は、ビデオのガンゲームに近かったように思います。当たり判定が甘く、ずいぶんいい加減に狙ったつもりでも的中と判断されるので、楽しいです。

(つづく)


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1 コメント

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games (caitlyn)
2023-04-20 03:21:37
I have confirmed that Danbo was 1973.

Ninja Gun is such a cool looking game.
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