オールドゲーマーの、アーケードゲームとその周辺の記憶

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大阪レゲエ紀行:エレメカ研究所(大阪・北区中崎町)その3

2023年04月23日 20時18分21秒 | ロケーション

エレメカ研究所探訪記録の3回目は、ワタシが特に気になった2機種を採り上げておこうと思います。

コインパンチの筐体。

数年前に、ある方より大量のフライヤーの画像データを頂いた中に「サニック」(またはサニー東京)の名が入ったものがいくつかありました。そこには、ワタシが小中学生の頃に行楽地の食堂や旅館のゲームコーナーなどで見た覚えのあるゲーム機がいくつかあり、そのうちの一つがこの「コインパンチ」でした。ワタシはそれまで「サニック」の名を聞いたことが無く、以来ワタシにとって究明したい謎のメーカーとなりました。

しかし、「サニック」はおそらくは1973年頃に消滅したと思しき節があり、ワタシが持つ資料は殆どが1974年以降のもので、それらの中に「サニック」の名前は見当たりません。ネットを検索してもまるで関係のないノイズしかヒットせず、「サニック」の調査は難航しました。

それでも、オールドゲーム関連のコミュニティでシェアしていただける資料の中に、時々「サニック」や「サニー東京」の名が見つかることもあり、そんな時はまるで砂金を掘り当てたかのように嬉しかったものです。

「コインパンチ」は、過去記事「『三共』についての備忘録(4) 三共精機のAM機」の中で若干触れ、「いずれ機会を改めて述べたい」としていました。いい機会ですので、ついでに現時点でのワタシの「サニック」に関する認識を記録としておこうと思います。

【サニックに関する現時点での認識】
・創業時期は不明だが、遅くとも1960年代には存在している。
・もとは「サニー東京」と名乗っていたが、1970年に「サニック」に社名変更した。
・代表者は「多崎太々生」という人。
・新宿区西落合にあった。
・「'69遊戯機械名鑑」の巻末資料には「サニー東京」の記載あり。
・「'72コインマシン名鑑」と「'73コインマシン名鑑」の巻末資料には「サニック」の記載あり。
・「'74-'75遊戯機械名鑑」の巻末資料には記載なし。以降の名鑑も同じ。

「'74-'75遊戯機械名鑑」の発行日は1974年6月15日となっています。これらから類推するに、サニックは1974年か、早ければ1973年に消滅したものと思われます。

さて、その「コインパンチ」ですが、1973年かその前後1年に、ワタシは渋谷で現在も営業が続いているボウリング場が入るビルの1階にあったゲーセンで1度だけ遊んだことがあります。プレイフィールドでは裸婦が描かれた円盤が反時計回りに回転しており、インストラクションには「コインを美女の足に挟んでください。これが第一のチャンスです」と書いてあるのですが、その意味がまるで分かりませんでした。

「コインパンチ」のプレイフィールド。裸婦が描かれている円盤は反時計回りに回転している。

どうすると何が起きるのかが知りたくて、試しに右上のコイン投入口から入れた10円硬貨はたまたま回転盤の長い切れ込みに入り、回転に従って回転盤の3時半くらいの方向にあるポケットに運ばれました。次に筐体のボタンを押すと10円硬貨はポケットからはじき出されてプレイフィールド下方のパチンコ部分に落ちていき、「THIS LINE HIT!」と書かれたルートに入りました。出てきた景品はタバコの「ショートピース」で、その頃のワタシはタバコを吸う年齢ではなかったのでカウンターに持って行ったところ、ガムと交換してもらえました。これでこのゲームのことはすべて理解しましたが、なにもわからずデタラメに入れたコインで最善の結果を得られたのは大変ラッキーでした。

インストラクションが言う「第一のチャンス」の、成功時のコインの経路を示す図。しかしそもそもこれは「チャンス」なのか。

オリジナルのインストラクションには、「どうしても景品が取れない場合は白いボタンを押すとささやかなプレゼント」という趣旨のことが書いてあったと思うのですが、ワタシが遊んだ機械ではその部分が黒マジックで塗りつぶしてありました。

【アングラ―ゲーム(サニック、製造年不明)】

アングラーゲームの筐体とプレイフィールドの拡大図。

エレメカ研究所にはもう一つサニックの製品がありました。それがこのアングラーゲームです。ワタシはなぜか不覚にも、このゲームを遊ばずに帰ってしまったのですが、インストラクションを読むと、「コインパンチ」の回転盤に相当する部分がパチンコパネルに置き換わったものと言えそうです。

アングラーゲームのリリース年はわかりません。アンディ・ウォーホルのポップアートを想起させられるプレイフィールドのアートワークから、1960年代のものではないかと推察します。

プレイフィールドの右下には、展覧会で飾られている絵画で見られるようなサインがあります。そしてそのようなサインは「コインパンチ」にもあります。

プレイフィールドの右下に書かれているサイン。上が「アングラーゲーム」、下が「コインパンチ」のもの。

これら二つのサインの字体は若干異なっていますが、どちらも末尾の「i」と「y」は一体化させていて、「Design by T. tazakiy」と書かれているように見えます。そう言えばサニックの代表者の名前は「多崎太々生」でした。これらから、サニックの多崎さんは絵描きになりたかったか、少なくとも美術愛好家だったのではないかと推察されます。

アートワークとしては他に、プレイフィールドの左上付近に検印のようなものが見えます。

アングラーゲームのプレイフィールドに見える検印のようなもの。

「INSPECTED」とは「検査済み」の意味ですが、ラスベガスのギャンブルビジネスを管理するのは「ネバダ州」ですので、本物であれば「LAS VEGAS」ではなく「NEVADA」とあるはずです。その「LAS VEGAS」も、「LASVEGASS」と、ワンワードで記述されている上に、最後のSが1個余計です。さらに言えば、公的な機関であれば、「GAMBLING」とは言わず、「GAMING」と言うことでしょう。おそらくは、ポップアートとともに「豊かな国アメリカ」の雰囲気を出すための演出だったのだと思いますが、ともすると官名詐称を疑われかねません。それでも問題となったとの話は聞いたことが無いのは、誰もこんなところを気にしない、おおらかな時代だったということなのかもしれません。

(つづく)


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