メダルゲームというジャンルの創始者であるsigmaは、1993年10月15日、渋谷の道玄坂に「ロンゴロンゴ」というゲームセンターをオープンさせました。ロンゴロンゴは地上6階から地下1階までの一棟すべてが娯楽施設(6階は事務所)で、業界紙「ゲームマシン」の93年11月15日号(第461号)によれば、「土地代を除いた総投資額は約20億円」とのことです。sigmaは1971年の暮れに、新宿歌舞伎町に「ゲームファンタジア・ミラノ」をオープンして業界を驚かせており(関連記事:ゲームファンタジア・ミラノ:メダルゲーム発祥の地)、これはその壮挙の再来と思わせられます。
ロンゴロンゴの1階と地下1階は吹き抜けとなっており、当時の流行であったカジノのテーブルゲームも設置されているメダルゲーム場となっていました。メダル貸出料金は1000円で25枚で、通常のsigmaのロケよりも1.4倍高価な価格設定でした。テーブルゲームは初期料金が3000円で100チップに1ドリンク付き、追加チップは2000円で100チップでした。
やはり吹き抜けとなっており「スコットフィールド」と名付けられていた2階と3階は、2階のフロア中央に設置された大型競馬ゲーム機を、2階と3階のサテライトがまるでコロシアムのように取り巻いており、最大63人が一度に参加できる一大競馬ゲーム場でした。3階の一部には「ロイヤルルーム」と銘打った、ドリンクやスナックも提供される(ただし有料)VIP席があり、この料金は二人で1時間3000円(メダル50枚付き)でした。
4階と5階は「バトルテックセンター」で、当時最先端のビデオゲームと目されていた対戦型バーチャルロボットバトル「バトルテック」が設置されていました。バトルテックの1回の所要時間はおよそ10分程度でしたが、料金は1000円と高額でした。
なんだかんだで客単価5000円以上となるロンゴロンゴは、ゲーセンとしては何から何まで破格でしたが、オープンした頃の世情はいわゆるバブル景気が弾けて不景気と言われる時期に既に突入しており、この状況でのsigmaの姿勢はよく言えば強気、悪く言えば無茶にさえ見えます。
しかし、バブル時代の高揚に慣れてしまい楽しみを我慢することができない人々は遊びを諦めるという選択をせず、以前ほどお金や時間をかけないで済むレジャーに流れていました。レジャー業界はこの傾向を「安、近、短」というキーワードで表現しましたが、ゲームセンターはまさにそんな需要の最大の受け皿となっており、不景気にあえぐ他の業種を尻目に活況を呈していたのでした。このため、「ゲーセンは不況に強い」などと妄言を掲載する経済誌も出てくる有様でした。
今回の画像は、この日本のゲーセン史上最もバブリーなゲーセン、ロンゴロンゴのフリーペーパーです。
表紙(右)と裏表紙(左)。昭和時代にあった「金粉ショー」を思わせる演出は、ワタシはあまりいい趣味には見えない。
見開き1ページ目。ロンゴロンゴの紹介の文章からは、「ゲームファンタジア・カスタム」以来一貫して「大人のためのアミューズメントスポット」を志向していたsigma(関連記事:「メダルゲーム」という業態の発生から確立までの経緯をまとめてみた)が従来のスタイルではもう目的に合わなくなったので次のステップに進んだという意図が見える。
見開き2ページ目。地下1階と1階のメダルゲームフロアの案内。「シングル機がアンティークスロットも含めて68台」とあるが、アンティークスロットを見た覚えはない。
見開き3ページ目。ロンゴロンゴのメイン施設であるスコット・フィールドの案内。
見開き4ページ目。スコットフィールドの内部が見渡せる。
見開き5ページ目。バトルテックの案内。
不況知らずと思われていたゲームセンターでしたが、2008年のスマホの登場を境に下降線をたどるようになり、ロンゴロンゴ開店当時の好況ぶりは今となってはうたかたの夢と消えてしまいました。
バトルテック、一時数カ所にあったようですが、残念ながら定着するには至りませんでしたね。ゲームも結構難しかったように思います。バーチャロンは安く気軽にできたのが勝因でしょうか。
開店後落ち着いてから何度か遊びには行ったけどメダルの単価が高いのがとてもネック
スコットフィールドはMARK4を改造しただけだっね。 年末年始は外人スタッフを雇ってまでダービーの実況中継をしたけど、つまんない演出にガッカリした。
sigmaの中にもロンゴロンゴのチャレンジに不安を感じていた人はいたのですね。sigmaは、そもそものメダルゲームの創始以来、ずっと大胆なチャレンジを繰り返してきたという印象があります。ロンゴロンゴが成功と言えるかどうかは微妙かもしれませんが、だからこそsigmaは他のオペレーターとは一線を画す優良ロケでいたのだと思います。
それがよく詰まってメンテナンスマンはツナギを着て匍匐前進で詰まりの箇所に向い修理したものです(笑)
競馬の名実況で有名な杉本さんをゲストに迎えたイベントなんかもやっていましたね。
シグマのインストラクターはやはり実況だと思います。
今は迷惑でクレームが来るらしくやらなくなりましたが。。。時代ですかね(苦笑)
バトルテックが廃れたのはプレイ料金もそうですが、上級者が初心者をボコるのが原因で新規客が来なくなってしまったと当時のトレルワン店のスタッフから聞いたことがあります。
スロットマシンがキャッシュレスになる以前のラスベガスでは、深夜になるとスロットマシンのお金の回収クルーがやってきて、1台ずつ開けてキャッシュボックスを回収していたものでした。カジノによっては1000台以上のマシンがあるので大変な作業だったと思います。係員の中には、膝にバレーボールのサポーターを付けている人もいました。
バトルテックの初心者ボコリはわかりますね。対戦ゲームの宿命と言えると思います。
今となってはなつかい思い出ですね。
横浜のあったバトルテックセンターに初めて行って、超べテラランマスター?、のミッキーさん?
バトルテックセンターは、コールサインで、常連を呼ぶので、なんかやな雰囲気でしたが、
常連ありきの雰囲気、話題になっていましたね。
ちょっと、近寄り難い雰囲気、スタッフも。
それから、横浜は閉店して、渋谷ロンゴロンゴロンゴ?
に集約され、営業してしばらくして閉店してしまいましたね。
私も、通っていましたが残念と、バブリーな雰囲気味わいました。
今思うと、いい勉強でした。
横浜の方が渋谷よりも先だったんですね。
コールサインで常連を呼ぶのも雰囲気を出すには有効だったのでしょうけど、
一見客には近寄り難さを感じさせますね。
横浜トレルワンゲームズ(実はここはゲームファンタジア扱いではない)として、1Fのアミューズメントカジノ業態「デュミナス」(当時自分は入場可能年令に達していなかったため詳細不明、後に営業終了してゲーム側の1フロアになった)、2,3Fのゲーム部分(3Fはメダルオンリー)、そして7Fのバトルテックセンター横浜で、バトルテックセンターの搬入など開設までの取材にNHKが入っていた記憶があります。
当時は近隣ゲーセンが…えーっと、7店舗くらいあったかな。後にラウンドワンが家具店の跡地に建って増えるわけですが、今やラウンドワンとタイトーステーション(これが一番新参)と超古参で今だに残っているのが驚異としか思えない相鉄下のパソピアード横浜の3軒しかなくなってしまいました。
ロンゴロンゴで杉本さんが足を運んでいたのは当然ながら難波(NGK地下)でありまして、東京にお越しになったことも複数回ありますが、渋谷店を舞台に3~4回行われたイベント「シグマダービー実況放送コンテスト」の審査員としてのお見えがメインでした(なお自分が一度決勝に行って氏の前で一席やったというのは一生の思い出であります)。ただ、スコットフィールドはマーク4のマイナーチェンジが故に、ゴール前が固まるので喋りで正確に表現する能力が求められる、厳しいマシンでした。
東急インの向こうにはナムコのロケもありましたが、今はフレッシュネスバーガーになってしまっています。
パソピアードはつい先日閉鎖されてしまいました。横浜も淋しくなったものです。
杉本さんとは、競馬中継で有名な方ですよね。今はセガのスターホースでそのアナウンスが聞けますが、昔実況放送コンテストなんてものがあったなんて知りませんでした。