日本で、スロットマシンに似た形状のゲームで、払い出されたメダルは景品と交換することが許容されている遊技機は、一般には「パチスロ」と呼ばれていますが、法律上は「回胴式遊技機」と言い、更に業界における用語としては「オリンピアマシン」と言います。
「オリンピアマシン」の名の由来は、1964年に風俗営業の許可を得た、現在のパチスロの元祖となる「オリンピア・スター」機にあることは間違いがないでしょう。このオリンピア・スターは、世に流布されている話では、セガが作ったことになっているとするものが多いです。


オリンピア・スターのフライヤー。
確かに、筐体はセガの「ダルマ筐体」ですし、大筋においては間違いではないと思うのですが、だがしかし、やはりゲーム機メーカーの大手であるタイトーは、1993年に創立40周年記念として刊行した社史「遊びづくり四十年のあゆみ」(非売品)において、異なる見解を示しています。そこには、「太東貿易(筆者注・タイトーの前身)が昭和三十五年(筆者注・1960年)ごろから準備し、三十九年に風俗営業法七号の許可を取り、日本で初めて営業を開始した」と記述されています。
更に同書には、「太東貿易が苦労して風営七号許可を取るや、どさくさに紛れて他社も扱いだした。他人に苦労させておいて、自分はおいしい部分のみいただこうというやり方に、コーガン(筆者注・タイトーの創業者)が怒り、日本娯楽物産などの他社に抗議するという一幕もあった」とあります。この「日本娯楽物産」は、現在のセガの前身となる企業の一つです。

「遊びづくり四十年のあゆみ」表紙
タイトーの主張が虚偽であるなどと言うつもりはありませんが、それにしては一つ、腑に落ちない点があります。と言うのは、セガは1950年代から米国ミルズ社のコピー機を製造しており、オリンピア・スターを作る基礎的な技術を持っていましたが、一方のタイトーは、当時、スロットマシンを製造できる技術を持っていることを伺わせる資料が全然出てこないのです。そんなタイトーが、一体どうやって風俗営業第七号の許可を取ることができたのかが謎なのです。
その後、タイトーと日本娯楽物産(=セガ)の間でどのような話し合いが行われたのかは全く不明ですが、結局、「株式会社オリンピア」という会社を共同で立ち上げ、製造をセガ、販売の多くをタイトーが受け持つという形で決着します。この「株式会社オリンピア」は、現存するパチスロメーカーの「株式会社オリンピア」とは全く関係ありません。

「オリンピア・スター」機の右上部に取り付けられている、オリンピア社の銘板。
その現存する株式会社オリンピアは、自社のウェブサイトで「パチスロ産業の歴史」というページを公開しています。なかなか面白いのですが、しかし、そこで「オリンピアマシン」として紹介している画像は、どう見てもセガの海外輸出用のスロットマシンで、オリンピアマシンではありません。パチスロ(オリンピアマシン)とスロットマシンを混同してしまうのは、パチスロメーカーとしてはいかがなものかと思います(株式会社オリンピア パチスロ産業の歴史)
余談ですが、タイトーの社史本、「遊びづくり四十年のあゆみ」をお持ちの方がいらっしゃいましたら、適価でお譲りいただけませんでしょうか。コメント欄にてご連絡いただければ幸いです。よろしくお願いいたします。
「オリンピアマシン」の名の由来は、1964年に風俗営業の許可を得た、現在のパチスロの元祖となる「オリンピア・スター」機にあることは間違いがないでしょう。このオリンピア・スターは、世に流布されている話では、セガが作ったことになっているとするものが多いです。


オリンピア・スターのフライヤー。
確かに、筐体はセガの「ダルマ筐体」ですし、大筋においては間違いではないと思うのですが、だがしかし、やはりゲーム機メーカーの大手であるタイトーは、1993年に創立40周年記念として刊行した社史「遊びづくり四十年のあゆみ」(非売品)において、異なる見解を示しています。そこには、「太東貿易(筆者注・タイトーの前身)が昭和三十五年(筆者注・1960年)ごろから準備し、三十九年に風俗営業法七号の許可を取り、日本で初めて営業を開始した」と記述されています。
更に同書には、「太東貿易が苦労して風営七号許可を取るや、どさくさに紛れて他社も扱いだした。他人に苦労させておいて、自分はおいしい部分のみいただこうというやり方に、コーガン(筆者注・タイトーの創業者)が怒り、日本娯楽物産などの他社に抗議するという一幕もあった」とあります。この「日本娯楽物産」は、現在のセガの前身となる企業の一つです。

「遊びづくり四十年のあゆみ」表紙
タイトーの主張が虚偽であるなどと言うつもりはありませんが、それにしては一つ、腑に落ちない点があります。と言うのは、セガは1950年代から米国ミルズ社のコピー機を製造しており、オリンピア・スターを作る基礎的な技術を持っていましたが、一方のタイトーは、当時、スロットマシンを製造できる技術を持っていることを伺わせる資料が全然出てこないのです。そんなタイトーが、一体どうやって風俗営業第七号の許可を取ることができたのかが謎なのです。
その後、タイトーと日本娯楽物産(=セガ)の間でどのような話し合いが行われたのかは全く不明ですが、結局、「株式会社オリンピア」という会社を共同で立ち上げ、製造をセガ、販売の多くをタイトーが受け持つという形で決着します。この「株式会社オリンピア」は、現存するパチスロメーカーの「株式会社オリンピア」とは全く関係ありません。

「オリンピア・スター」機の右上部に取り付けられている、オリンピア社の銘板。
その現存する株式会社オリンピアは、自社のウェブサイトで「パチスロ産業の歴史」というページを公開しています。なかなか面白いのですが、しかし、そこで「オリンピアマシン」として紹介している画像は、どう見てもセガの海外輸出用のスロットマシンで、オリンピアマシンではありません。パチスロ(オリンピアマシン)とスロットマシンを混同してしまうのは、パチスロメーカーとしてはいかがなものかと思います(株式会社オリンピア パチスロ産業の歴史)
余談ですが、タイトーの社史本、「遊びづくり四十年のあゆみ」をお持ちの方がいらっしゃいましたら、適価でお譲りいただけませんでしょうか。コメント欄にてご連絡いただければ幸いです。よろしくお願いいたします。
nazox2016@yahoo.co.jp
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