米国のゲーミング機メーカーであるアルゼゲーミング(以下アルゼ)が破産(チャプター11)を申請したというニュースを聞いたのは今年の2月1日のことでした。ワタシの記憶では、アルゼが「自社とは直接関係しない訴訟への対応策の一環であり問題はない」という内容のプレスリリースを出していたように思うのですが、今そのソースを探しても見つけられません。
アルゼはラスベガスで毎年秋にラスベガスで開催されるGlobal Gaming Expo(G2E)ではIGT、Aristocrat、Scientific Gaming(旧Bally+Williams)らに引けを取らない規模のブースを出展し続け、またラスベガスのカジノではそこそこのシェアを得ており、大手の一角に食い込んでいると言っても過言ではない企業のはずだったので、このニュースは意外でした。
G2Eショウ2019におけるアルゼのブース。
多くの方はご存じと思いますが、アルゼは日本のゲーム機メーカーである「ユニバーサル」を母体としてできた会社です。アルゼが2015年のG2Eで展示していた社史によると、アルゼの始まりは1969年に設立された「ユニバーサルリース」となっています。
G2E2015のアルゼブースに展示されていたアルゼの社史年表(一部)。1969年から始まっている。
確かに、過去記事「初期の国産メダルゲーム機(5) ユニバーサル その1・沿革」でも「ユニバーサルリース」の設立年を「1969年12月」としていますが、これは記事を掲載した2018年当時の「ユニバーサルエンターテインメント株式会社」のウェブサイトをソースとしています。しかし、ユニバーサルが1982年に頒布した会社案内では、ユニバーサルリースが発足したのは「昭和42年(1967)」で、1969年は社名を「ユニバーサル」に変更した年としています。
ユニバーサルの1982年版の会社案内に記述されている沿革(部分)。図中の西暦はワタシが後から加えたもの。
ただ、アルゼの会社案内1982年版には他にも疑わしい部分があり(関連記事:初期の国産メダルゲーム機(6) ユニバーサル その2a)、何をどこまで信じて良いのか悩ましいところです。
それはまあとりあえず措くとして、ユニバーサル(もしくはアルゼ)はいつ頃からか悪い話が多く流れてくるようになり、叩けばいくらでも埃が出てきそうなダーティーなイメージが強い企業となっていました。
ユニバーサル(アルゼ)は、創業者の強権的でワンマンな企業体質を指摘する報道や刊行物が少なからずあること、またワタシの周辺から非公式に流れて来る数々の噂話からも、創業者による「会社の私物化」が相当に激しいもの(この言い方はむしろ穏当と思われるくらい)であったように思われます。ただ、そのような体質だったからこそ一代でここまでグローバルな大企業になれたとも言え、その良し悪しは置かれた立場や人により判断が分かれるところでしょう。
しかし、会社が大きくなるにつれてユニバーサル(アルゼ)の社内では激しい権力闘争が発生し、今もいくつもの訴訟沙汰が続いています。しかしそれらには創業者が関わる法人がいくつも複雑に絡み合っていてなかなか把握しきれません。今回、アルゼの破産について調べていたところ、非常に詳しく報じており実に興味深いウェブサイトを発見したので、興味のある方はこちらをご参照いただければと思います。
思えば、ユニバーサル(アルゼ)はこれまでにいろいろとやらかしてきた企業でした。1980年代にはスロットマシンで違法な演出を行ってネバダでのライセンスを取り消されたり、重役として入社した長男をある日いきなり解雇したり(その確執は現在進行形で続いている)、ウィン・ラスベガスに出資(それが許可されたことも驚きでしたが)して一時は蜜月状態にあったウィン・リゾートから「株主として不適切な行い」を理由に強制的に追い出されたりなど、話題には事欠きません。
しかし一方で、ユニバーサルはメカスロットの分野においてはいち早くステッピングモーターを導入しています。電子的に決定したゲーム結果をステッピングモーターで制御して表示するという手法は、今ではメカスロットの不可欠な標準的な技術となっており、功の部分もないわけではありません。
最近のニュースによると、アルゼゲーミングは今後同業他社に買収される公算が大きいようです。その場合、1980年代から続いてきたアルゼ(ユニバーサル)の名前は消えてしまうことになると思われ、一抹の寂しさを感じます。ただ、ワタシ個人の好みとしては、パチンコ・パチスロ的なセンスを感じるアルゼの機械は嫌いだったので、アルゼ的なゲームが無くなること自体には特別な感慨はありません。
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