オールドゲーマーの、アーケードゲームとその周辺の記憶

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新日本企画(SNK)のメダルゲーム

2020年08月23日 22時04分04秒 | スロットマシン/メダルゲーム
新日本企画(以下、「SNK」とする)と言えば、1978年に創業し、その後さまざまな紆余曲折を経ながらも現存するゲームメーカーです。創業当初は、ブロック崩しの「センカンヤマト」や、タイトーの許諾を得た「T.T.スペースインベーダー」などを製造していましたが、翌79年にはオリジナルのドットイートゲーム「サファリラリー」を発売し、さらに80年には固定画面縦シューティング「サスケVS.コマンダー」や「オズマウォーズ」など、現在のレゲエファンにとっては感涙物のタイトルを発売しています。

SNKはその後も多くのAM用ビデオゲーム機を開発していきましたが、1990年には「凄いゲームを連れて帰ろう」をキャッチフレーズとする、AMとコンシューマを橋渡しするような「NEO GEO」システムを売り出しました。SNKは、このNEO GEOで多くの対戦格闘ゲームを作って、当時の絶対的人気機種だった「ストリートファイターII」のカプコンに対抗しうるメーカーとなるばかりでなく、その後に活きるたくさんの知的財産を生みだしました。

しかし、そのSNKの公式ウェブサイトの「SNKヒストリーサイト」というページでは、1986年以前については実に全くあきれるくらい簡単な記述しかありません。


「SNKヒストリーサイト」の1978年の画面。この次はいきなり1986年に飛んでおり、79年から85年についての記述は無い。

SNKは86年以前の歴史をなぜこんなにぞんざいに扱うのでしょうか。まさか資料が無いという事なのでしょうか。あるいは、この時期はSNKにとって思い出したくない黒歴史ででもあるのでしょうか。そう言えば、ワタシは知っています。SNKは1980年台初頭にメダルゲームを開発・発売していることを。ひょっとして、それが黒歴史の正体だったりするのでしょうか(妄想)。今回はそのSNKのメダルゲームを思い出しておこうと思います。

SNKのメダルゲームで発売時期が特定できるものとしては、1980年に発売された「メダルゲーム」で、これは、SNKが独自に開発したビデオシングルメダルの汎用筐体でした。当初は3タイトルが同時に発売され、翌81年にはさらに3タイトルが追加されています。


SNKの「メダルゲーム機」のフライヤー。1980年に発売された3タイトルに新たな3タイトルを追加して、1981年に頒布されたもの。この香ばしいバニーガールのイラストはだれが描いたのかが気になる。

1981年頃、ワタシは渋谷のゲームファンタジア(現・マクドナルド渋谷店)で、このSNK製の「メダルゲーム」を遊んだ記憶があります。それらのうち「バイバイゲーム」は「レッドドッグ」というカジノゲーム(関連記事:「レッドドッグ」をラスベガスで見た記憶)のゲーム性が採り入れられていて、結構喜んで遊んだものでした。

それにしても、このフライヤーのどこにも、筐体名やシリーズ名のようなものが掲げられていないのはどういう事でしょう。普通なら、「SNK・××メダルシリーズ」などと命名して、単品ではなくシリーズとして購入されることを期待するものだと思うのですが。これはフライヤーだけでなく、業界紙誌に掲載していた広告でも同様でした。


ゲームマシン紙1981年1月15日号37面に掲載されたSNKの広告。「メダルゲーム各種」というだけで、シリーズらしいアピールはない。

SNKのメダルゲームをもう一つ。それがいつのことだったか記憶が定かではありませんが、おそらく1981~82年頃だったと思います。銀座の「ゲームファンタジア・ポ二ー」で、「DIAMOND DERBY」という一人用ビデオ競馬のメダルゲームを見かけました。


DIAMOND DERBYのフライヤー。いつ頃の機械であったかが思い出せない。

その時、ワタシは珍しくそこそこ多くのメダルを持っていたので、この初めて見るゲームで遊んでみたのですが、本命ばかりにベットしているのに全然当たりません。だんだんと疑心暗鬼になってきたワタシは、オッズの高い組合せ上位3つを除く全てにベットするということを数ゲーム繰り返したのですが、それでも当たらないので、最後に最も高配当の1カ所を除いてすべてにベットするということを3回ほど繰り返しましたが、ただの一度もヒットしませんでした。

もちろん、完全にナチュラルディールであってもこのようなことが起きる可能性はゼロでないことは理解しています。しかし、この結果はあまりにも論外に思えました。それ以降、ワタシは新日本企画というメーカーをある種の偏見を通して見るようになってしまい、のめり込むようなゲームはその後は一つも出てきませんでした。

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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
懐かしいですね! (名無し)
2020-08-24 21:04:05
いつも楽しく拝見させていただいております。少々記憶を思い出し記載します。
バイバイゲーム:
トランプの絵柄でAとKが出たら、5回のバイバイ成立が高いのですが、なぜか4~5回目で、音詰まり(ノイズ音)が出ると絶対負ける(AorK)が表示されるので3回でやめていました。
また、3回目まではジョーカーボーナスで
最大10倍となりますが、1度も4~5回目でジョーカーを出した記憶がありません。※3桁勝ち含む

ダイアモンドダービー:
通常時のあたりの後に、ダブルアップ機能で0と2~3倍ルーレットがあったかと思いますが、毎回止めたところより大きくすべってはずれることが多かった記憶があります。
このころの両機種はインチキっぽい動きですが、コントロールできないものを達成したい気持ちで遊んでいました。

もちろん、1枚30円時代なので高価な遊びであるため、1枚BETで楽しい時代でした。
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Unknown (nazox2016)
2020-08-24 21:59:07
いつもご高覧下さり、ありがとうございます。実はバイバイゲームの内容はずいぶん忘れていたのですが、お話を伺って少し思い出しました。ワタシは結構遊ばせてもらいましたが、ある時から露骨に蹴とばしに来ているように思えてきたのに、意地を張って続けて結局すべてをなくしてしまったように記憶しています。

ダイアモンドダービーには、そう言えばいわゆる「ネキストゲーム」がありましたね。ワタシ自身は本来のゲームで当たったことが無いので見たことはないはずですが、その種の「ネキストゲーム」はなぜか見た覚えがあります。ひょっとしたら「ウィナーズサークル」など当時のGマシン流用の類似機種でのことだったかもしれません。

それにしても1枚30円とは、ひょっとしてsigmaのお店で遊んでらっしゃいましたか?
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懐かしいですね! (名無し)
2020-08-25 22:03:33
ご質問について、回答兼ねて補足を追加します。
該当の2機種のデビューは、お察しの通りSigmaのGFS2(池袋東口)です。
当時、大人用別でフロア分けされた子供用フロアで遊び、たぶん渋谷からのお下がりだと思います。

なお、ダイアモンドダービーは下記サイトで亜種(海外版)を見ることができます。
「Internet Arcade」この辺は、海外の流用品なのか、輸出品なのか不明ですがご参考程度としてお伝えしておきます。
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Unknown (nazox2016)
2020-08-26 00:13:42
やはりsigmaでしたか。メダル料金は高かったですが、よその店とはどこか違う、良い雰囲気がありましたね。

そして、おお、ありがとうございます! しかし、ゲーム内容がずいぶん改変されています。フライヤーのデザインはおおむね同じですが、画面紹介の中にネキストゲームの画面もあって、うん、これはやっぱりどこかで見たことがあります。どこでだろう?

ところで、
(C)1994 ELECTROCOIN
とあります。ELECTROCOINと言えば英国のコインマシンメーカーです。おそらくは低額の賞金を払い出す「AWP」として英国のゲーセンに設置されたものと思われますが、日本で発売されてから10年以上も経ったこのゲームを、いったいどんな経緯で英国に渡ったのでしょう。謎が深まりました。
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