セガの前身となった企業の一つ、「ローゼン・エンタープライゼス」が1961年ころに作成したと推察されるカタログシリーズ5回目(最終回)は、「ジュークボックス」と「キディライド」のページです。
前回のベンディングマシンとともに、ワタシにとってはストライクゾーンにギリかかるかどうかのきわどいボールで、また拙ブログをご高覧いただいている方の多くには退屈かもしれませんが、アーケードゲーム機とはコインマシンという共通項を持つジャンルを全く無視するわけにはいかないのです。
******* ジュークボックス
日本においてジュークボックスは、タイトーが1950年代に進駐軍払い下げのジュークボックスを再生して酒場に置いたところ大ヒットして、戦後復興期の日本に広まったようです。しかし、やがて払い下げ品が払底して製品の供給がままならなくなったタイトーは、1956年には自社で開発した「ジュークJ40」を売り出しましたが、不良品が多く失敗に終わりました(関連記事:オリンピア・たぶんこうだったんじゃないか劇場(2):第1幕/第2幕)
その後1961年、セガが「SEGA1000」を発売します。輸入品よりも格段に安いのでよく売れたそうです。国産ジュークボックスとしては他に「ツガミ」と言うブランドがあったようですが、こちらは調べていないので詳しいことはわかりません。
タイトーが先鞭をつけた日本のジュークボックス市場はやはり米国製品が強く、ローゼン・エンタープライゼスも早い段階から複数のブランドの機械を手広く扱っていました。
★画像は例によって1ページを上下に二分割しています。
ジュークボックスその1。共に米国企業であるSeeburg社とAMI社の製品が掲載されている。上の余白に誰かの手による「1963年」との書き込みがあるが、ここに掲載されている機種は次ページも含めて最も新しいものでも1961年製(最も古いものは1951年製)である。
ジュークボックスその2。前ページに引き続きAMI社と、やはり米国企業のUnited社の製品が掲載されている。ジュークボックスは以上の2ページしかなく、よく知られているWurlitzer社やRock-Ola社が扱われていないのはなぜだろう。
******* キディライド
キディライドは1930年に米国で発明されたものが最初だそうです。日本では、兵庫県の「宝塚新温泉(後の宝塚ファミリーランド)」に娯楽機が導入されたと聞いた日本娯楽機(後のニチゴ)の遠藤嘉一氏が昭和3年(1928)に視察に行ったところ、係員に2銭を渡すとアヒルのような形をした鞍が2分間揺動するドイツ製のキディライドを見て感じ入るものがあり、翌年これを自動化して売り出したものが国産のキディライドの始まりでした(関連記事:AM産業と業界誌の謎(2))。
日本のAM機器メーカーにはキディライドから始まった企業が多く、例えばナムコは、社内報のタイトルを自らの原点である「もくば」としていました。また後に日本のAM業界に「メダルゲーム」という新ジャンルを確立したsigmaの創始者である真鍋勝記氏も、最初はキディライドのレンタルから始まったと聞いています。
キディライドその1。上段中央に大きく掲載されている「Kamel」は「最新のキディライド」と謳われている。それにしてもなぜ「K」で始まるのか。米国製品には、このような故意のスペルミスをする商品をたまに見かける。中段左の「Fire Chief」は、Williamsのピンボール「Fire! (1987)」を思い出す。消防士はいつの時代もヒーロー。
キディライドその2。1961年は、ガガーリンが人類初の有人宇宙飛行をし、またアポロ計画が発表された年。大きく掲載されている「Moon Rocket」はそれらを受けてのものなのだろうか。有人ロケットがどんなものなのかろくにわからなかった時代に、何を考えながら船内をデザインしたのだろうか。
キディライドその3。馬は定番であろうが、TVカメラマンは珍しい。左下のバイクは、ビンゴ・ピンボールなどギャンブル機に強く、3年後の1964年には世界のスロットマシン業界の頂点に君臨するBally製。
キディライドその4。「宇宙への飛行」や「ヘリコプター」を、「上昇、降下、左右の傾きなどリアルな動きでシミュレートする」と言っている。「加速、減速、ハンドルでの方向転換」や「離陸、飛行中音、秒読みを再現するサウンドシステム」などと謳われると、うっかり乗ってみたくなる。
(このシリーズ終わり)
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