オールドゲーマーの、アーケードゲームとその周辺の記憶

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アイレム(IREM)のメダルゲーム

2023年07月23日 23時10分42秒 | スロットマシン/メダルゲーム

アイレム(IREM)は、元々は、後にカプコンの創業者となる辻本憲三氏が「アイピーエム」として立ち上げた会社が1979年に社名変更されたものですが、その社名の由来は、「International Rental Electronics Machine」の頭文字なのだそうで、これはちょっとなんだかセンスがナナメな感じ(悪い意味)がします。

アイレムは1980年にCRTモニターなど電子機器を製造していた「ナナオ(現EIZO)」に買収された後、「ムーンパトロール」(1982)、「ジッピーレース」(1983)、「10ヤードファイト」(1983)、「スパルタンX」(1984)、「R・TYPE」(1987)、「イメージファイト」(1988)など、人気タイトルをコンスタントに輩出するゲームメーカーとなりました。

このように、ビデオゲームメーカーの印象が強かったアイレムですが、1985年10月に行われた東京・平和島で開催されたJAMMAショウに、「NEVADA 21」と言うタイトルで5人用メダルゲーム機を参考出品され、後に「ブラックジャック (Blackjack)」の名で売り出されました。

「ブラックジャック(BLACKJACK)」のフライヤー。5席5人用で、サテライトそれぞれにモニターが付いており、更にディーラー席用として6個目のモニターが付いている。この頃のモニターは相対的に高価な部材で、贅沢な仕様と言えたと思う。

ブラックジャックをモチーフとしたメダルゲーム機はこれ以前にもありましたが、たいていは本来のルールになにがしかのアレンジが加えられており、正しくブラックジャックと言えるものではありませんでした。しかしアイレムの製品は実際のゲームを忠実に再現しています。試作段階のタイトルである「NEVADA 21」も、本物のブラックジャックであることを意識していることを伺わせます。

アイレムの「ブラックジャック」は、個人経営に近いような小規模なロケ(1985年ころはまだそういうロケがたくさんあった)にも普及し、結構なヒット作となりました。これに気を良くしたのか、アイレムは1991年2月に開催されたAOUショウに、「クラップス」を再現した6人用メダルゲーム機「セブンアウト (Seven Out)」を出展しました。

「セブンアウト」のフライヤー。

クラップスは、プレイヤー自身が振った2個のダイスの出目で勝敗が決まる、特に北米で大変な人気があるゲームです。ダイスを振るプレイヤーは「シューター」と呼ばれ、良い結果を出し続けるシューターは他のプレイヤーからも称賛されて、大いに盛り上がります。「セブンアウト」では、各サテライトにトラックボールが付いており、シューターとなるプレイヤーはこのトラックボールを転がすと2つのCRTモニターで構成されるプレイフィールド上をダイスのグラフィックが転がりました。ただ、そのダイスの転がり方が、実際の操作の強さに比例している動きには感じられない点はストレスでした。

クラップスには、配当が整数倍でない賭け方(例えば6単位の賭けに対して7単位を支払う(1.16倍)6または8へのプレイスベット)もありますが、「セブンアウト」はこれも忠実に再現しました。このように小数点以下の倍率を付けた賭け目を採用したメダルゲームはこれが初めてで、sigmaやセガでもこの頃はまだやっていませんでした。また、ペイアウト率が100%となる「オッズベット」も、「シングルオッズ(当初の賭け金と同額までの意味。実際のカジノでは当初の賭け金の2倍以上に設定されているケースが多い)」ではあるものの再現しており、ベストプレイを行えばペイアウト率は99%を超えますが、これをメダルゲームとして稼働する上でどのように折り合いを付けていたのか不思議になります。

セブンアウトの遊び方の説明書。二つ折り4ページ。

遊び方説明書の、ゲームの説明部分の拡大図。実際のルールから若干の省略はあるが、大筋においては本来のルールが採用されている。

ことほど左様に本来のカジノゲームに近づけた「ブラックジャック」と「セブンアウト」を、ワタシは1996年か1997年ラスベガスのストラトスフィアカジノで見ています。ただし、メーカー名は「IREM」ではなく、聞いたことがない、海外の社名になっていました。おそらくはカジノ仕様に改造されているはずですが、IREMがどこまでこのカジノ版に関与していたのかはわかりません。

その後のアイレムは、90年以降は4号営業方面の開発にも参入し、「大工の源さん」や「海物語」など、永くその名を使い続けられるタイトルを作っており、元々ギャンブル志向を持ち続けていたメーカーだったのかもしれません。90年代半ばには「回転ハード」を使用した本格的ルーレットをナムコから発表するということもしていたようにも思うのですが、アレは結局発売されたのでしょうか。


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2 コメント

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Unknown (Liner)
2023-07-24 16:18:56
アイレムBJは、少なくとも日本のメダルゲーム版ですと、個人的感想の域を出ませんが、あからさまなカード制御のたぐいは「存在した」と見ています。
いわゆるS17 Standのルールでダブルダウンもできる、更にライドベット上限99枚というルールに純正BJ15倍配当、6枚Underなどというボーナスも仕掛けていた機種ですから、これは流石にカードを弄らないと「やっていけない」でしょうし、現に99枚ライドからの連勝なども度々見かけることがありました。
クラップスの方は実機を見ることがありませんでしたが、BJはシグマ・マタハリーなどメジャーなオペレーターも積極的に買っていて、よく見かけました。
ホッパーがエスカレーターレール利用で上からの払い出しになっているというのも当時では比較的珍しかったと記憶しています。
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Unknown (nazox2016)
2023-07-24 22:02:03
Linerさん、コメントをありがとうございます。そうですね。ワタシもこのボーナスがある時点でナチュラルディールではないと感じていましたが、そうだとしてもかなり巧妙にやっていたものと思います。上出しホッパーも確かにこの時期はまだ先進的でしたね。
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