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オールドゲーマーの、アーケードゲームとその周辺の記憶

コインマシンやギャンブルゲームやカジノの歴史的エピソードとか、時々カジノ旅行記とか、たまにスポーツやマンガとか。

近畿レゲエ紀行(1) DAY1・その1:ゲームセンターCUE奈良三条店&まるかつ

2022年04月03日 19時50分16秒 | ロケーション

去る3月26日から27日にかけて、奈良県と大阪府の弾丸ツァーに行ってまいりました。今回の旅の主たる目的は奈良にありましたが、せっかくならついでに3年ぶりとなる大阪のオールドゲーム状況も見てこなければもったいないと考え、タイトになることを承知の旅程を組みました。そのため今回の旅はお忍びとしており、本来であればご連絡申し上げておくべき方々には義理を欠いてしまいました。申し訳ありません。

奈良も、せっかく訪れるのであればレゲエスポットはないものかと調べたところ、JR奈良駅東口からほど近いところに建つ「ゲームセンターCUE奈良三条店」がヒットしたので、この機会に覗いてまいりました。訪問時はそこそこの雨が降っており、傘を持っていなかったワタシは店舗外観の写真を撮影していません。店舗の概要などは公式のウェブページを参照ください。

目的のレトロゲームコーナー3階にあり、レトロゲームのほとんどは二つの壁に沿ってL字型に設置されていました。複数のゲームが遊べる仕様に改造されている筐体もありましたが、それらはゲーム切り替えの方法がよくわからず多少まごつくのと、おそらくは汎用性を高めるためと思われますが、ボタンが6個くらい付いているため、現在画面に映っているゲームで使用するボタンと、どのボタンが何の機能であるかは、実際に操作してみないとわからないところがありました。

しかし、ラインナップにはワタシがビデオゲームに最も耽溺していた80年代のタイトルが豊富にあります。中でもナムコのタイトルが充実しており、ワタシがテーブル筐体のビデオゲームの最高傑作と思っている「リブルラブル」を30年ぶりに遊べたのは今回の旅行の最大の収穫と言えたかもしれません。ただ、最盛期には最高で27回起こせた「奇跡」が、今回は僅か2回しか起こせませんでした。

ゲームセンターCUE奈良三条店に設置されていたレトロゲームの一部。左上から、ナムコのリブルラブル、バラデューク、グロブダー、ドルアーガの塔。実はワタシは、かつてはナムコの熱狂的なファンだったのだった。

公式ウェブサイトの設置機種リストには、「レトロゲーム他多数 お客様のご要望に応じて!!」とあるのですが、気軽に行けるところではないことが本当に残念です。

ゲームセンターCUE奈良三条店を出た後は、駅前からバスで10分ほどの「神殿(こどの)」にある、「とんかつ店まるかつ」に向かいました。現地に到着したのは午後2時半ころでしたが、まだ店内に入りきれないほどの待ち行列が出来ており、その人気のほどがうかがわれます。

「まるかつ」は、その店長の人柄やスタッフの接客の評判を様々な方面から聞いていたので、ここは厚切りロースかつ、ヒレカツ、大えびフライを盛り合わせた「厚切りミックス定食(2380円)」と、ワタシにしては珍しく奮発し、帰りにはお土産としてレトルトの「まるかつカレー」を購入して帰りました。噂に違わぬ名店だったので、ワタシもここで宣伝しておきたいと思います。
まるかつ公式ウェブサイト まるかつtwitter

まるかつの厚切りミックス定食。ごはん(十五穀米に変更も可)としじみ汁はおかわり自由。ハラショー。

CUE」と言い「まるかつ」と言い、この近郊の人たちがつくづく羨ましいです。

(「DAY1・その2:大阪新世界」につづく)

余談:まるかつの店内の壁には、店長による人生訓がびっしりと掲示されており、とんかつができてくるまでの間、人生について考えることができます。

店内に掲示されている人生訓のごく一部。ヘンな店に見えるかもしれないが、とんかつも接客も一流。


【予告】近畿レゲエ紀行

2022年03月28日 21時23分01秒 | ロケーション

毎週日曜日更新を目指す拙ブログですが、先週末は奈良→大阪の弾丸ツァーに出かけており、更新が滞っただけでなくその告知さえもせぬまま日曜日が過ぎてしまいました。申し訳ありません。

また、本来ならば大阪を訪れる際にはご連絡をしておくべき方々がいらっしゃるのですが、今回は滞在時間が短かかったためお忍びとさせていただきました。不義理をしてしまってこちらも申し訳ありませんでした。

今回のツァーのメインは奈良の用件にありましたが、せっかくの機会ということで奈良駅前のCUEというゲームセンターのレトロゲームコーナーを探訪してまいりました。さらにその後大阪に向かって新世界周辺探訪後に心斎橋で一泊、翌日はシルバーボールプラネットでピンボールを堪能してから東京に戻ってまいりました。

そこで次回の更新では、その時の様子を「近畿レゲエ紀行」としてご報告することとして、今回はその予告ということでご勘弁願いたく存じます。

アミューズメントCUE奈良三条店のレトロゲームコーナーの一部。「レトロゲーム部はじめました」が嬉しい。

 

新世界。前回(2019年)来阪時にはなかった「矢場」。

 

かすが娯楽場の店内。前回来訪時(2019年)からメダルゲームコーナーがずいぶんと変わっていた。


ロンゴロンゴ(sigma, 1993):最もバブリーなロケーション

2021年09月19日 21時28分58秒 | ロケーション

メダルゲームというジャンルの創始者であるsigmaは、1993年10月15日、渋谷の道玄坂に「ロンゴロンゴ」というゲームセンターをオープンさせました。ロンゴロンゴは地上6階から地下1階までの一棟すべてが娯楽施設(6階は事務所)で、業界紙「ゲームマシン」の93年11月15日号(第461号)によれば、「土地代を除いた総投資額は約20億円」とのことです。sigmaは1971年の暮れに、新宿歌舞伎町に「ゲームファンタジア・ミラノ」をオープンして業界を驚かせており(関連記事:ゲームファンタジア・ミラノ:メダルゲーム発祥の地)、これはその壮挙の再来と思わせられます。

ロンゴロンゴの1階と地下1階は吹き抜けとなっており、当時の流行であったカジノのテーブルゲームも設置されているメダルゲーム場となっていました。メダル貸出料金は1000円で25枚で、通常のsigmaのロケよりも1.4倍高価な価格設定でした。テーブルゲームは初期料金が3000円で100チップに1ドリンク付き、追加チップは2000円で100チップでした。

やはり吹き抜けとなっており「スコットフィールド」と名付けられていた2階と3階は、2階のフロア中央に設置された大型競馬ゲーム機を、2階と3階のサテライトがまるでコロシアムのように取り巻いており、最大63人が一度に参加できる一大競馬ゲーム場でした。3階の一部には「ロイヤルルーム」と銘打った、ドリンクやスナックも提供される(ただし有料)VIP席があり、この料金は二人で1時間3000円(メダル50枚付き)でした。

4階と5階は「バトルテックセンター」で、当時最先端のビデオゲームと目されていた対戦型バーチャルロボットバトル「バトルテック」が設置されていました。バトルテックの1回の所要時間はおよそ10分程度でしたが、料金は1000円と高額でした。

なんだかんだで客単価5000円以上となるロンゴロンゴは、ゲーセンとしては何から何まで破格でしたが、オープンした頃の世情はいわゆるバブル景気が弾けて不景気と言われる時期に既に突入しており、この状況でのsigmaの姿勢はよく言えば強気、悪く言えば無茶にさえ見えます。

しかし、バブル時代の高揚に慣れてしまい楽しみを我慢することができない人々は遊びを諦めるという選択をせず、以前ほどお金や時間をかけないで済むレジャーに流れていました。レジャー業界はこの傾向を「安、近、短」というキーワードで表現しましたが、ゲームセンターはまさにそんな需要の最大の受け皿となっており、不景気にあえぐ他の業種を尻目に活況を呈していたのでした。このため、「ゲーセンは不況に強い」などと妄言を掲載する経済誌も出てくる有様でした。

今回の画像は、この日本のゲーセン史上最もバブリーなゲーセン、ロンゴロンゴのフリーペーパーです。

表紙(右)と裏表紙(左)。昭和時代にあった「金粉ショー」を思わせる演出は、ワタシはあまりいい趣味には見えない。

 

見開き1ページ目。ロンゴロンゴの紹介の文章からは、「ゲームファンタジア・カスタム」以来一貫して「大人のためのアミューズメントスポット」を志向していたsigma(関連記事:「メダルゲーム」という業態の発生から確立までの経緯をまとめてみた)が従来のスタイルではもう目的に合わなくなったので次のステップに進んだという意図が見える。

見開き2ページ目。地下1階と1階のメダルゲームフロアの案内。「シングル機がアンティークスロットも含めて68台」とあるが、アンティークスロットを見た覚えはない。

見開き3ページ目。ロンゴロンゴのメイン施設であるスコット・フィールドの案内。

見開き4ページ目。スコットフィールドの内部が見渡せる。

見開き5ページ目。バトルテックの案内。

不況知らずと思われていたゲームセンターでしたが、2008年のスマホの登場を境に下降線をたどるようになり、ロンゴロンゴ開店当時の好況ぶりは今となってはうたかたの夢と消えてしまいました。


オモロン西新小岩店の記憶

2021年04月18日 20時31分13秒 | ロケーション
2005年8月、ワタシは総武線新小岩駅を最寄り駅とするゲームセンター、「オモロン西新小岩店」を訪れています。ここは、この時点でもはや希少種となっていたピンボール機を多く設置しており、ときおりピンボール大会も開催している奇特なロケであると聞き、これは一度みてみなければなるまいと思ってのことでした。


オモロン西新小岩店の外観。緑一色の派手なビルだったが、今はいたって普通のベージュ色で、「業務スーパー」になっている。

ワタシはここで相当数の写真を撮影したはずなのですが、現在手元にはなぜか30数枚しか残っていません。この事実に気づいたのは2010年ころのことでしたが、「そのうちまた行けばいいや」と延ばし延ばしにしているうちに、オモロン西新小岩店は2014年1月31日に閉店してしまい、後悔先に立たずの言葉通り、取り返しのつかない大きな後悔となっています。

「オモロン」は、90年代のAM業界誌でその名前をしばしば見た記憶があり、ゲーム機のディストリビューターを本業としていた会社だったと思ったのですが、今となってはあやふやです。ネット上を調べても、有用な情報がほとんど記載されていない企業情報が少しヒットするだけで、現存するのかどうかすらよくわかりません。こうなると、あとは国会図書館に行って昔のコインジャーナル誌でもひっくり返して調べたいところですが、コロナ禍の昨今はそれもなかなかままなりません。

というわけで、今回の記事は歴史資料としてはあまり役に立ちません。それでも、かつてそんなロケがあったということを記録しておく意味で、半ば無理やり記事に仕立て上げておきます。

オモロン西新小岩店の建物自体は3階建てで、ワタシの記憶では、2Fがメダルコーナー、3階がピンボールといくらかのプライズ機やビデオ筐体が並んでいました。1Fがどうであったかは覚えていません。

3Fのピンボール機は、10台くらいあったように記憶していますが、残っている画像が不完全で、全容がわかりません。ただ、左右の窓から入って来る外光でなかなか良い絵が撮れなかった印象が残っています。


ピンボール画像その1。手前からStar Wars Episode I(Williams, 1999)、Black Rose(Bally=Midway=WMS, 1992)、Twilight Zone(Williams, 1990)、World Cup Soccer(Bally=Midway=WMS, 1992)。

Black RoseとWorld Cup Soccerの2機種は、バックグラスにはBallyのロゴが描かれていますが、IPDBはMidway社製品としています。この時期、Bally社のピンボール部門はWilliamsの親会社であるWMS社に買収されており、ブランド名だけ残っているもののため、表記がややこしくなっています。

似たような現象は2010年代半ばにスロットマシン業界にも起きており、それまでライバル関係だったBallyとWMS(Williamsの親会社)はScientific Games社に買収されてしまいました(関連記事:新・ラスベガス半生中継 2016年9月(5) コンベンション初日)。


ピンボール画像その2。奥に見える左からFish Tail (Williams, 1992)、Cirqus Voltaire(Bally=Midway=WMS, 1997)、Medieval Madness(Williams, 1997)、不明。

これらの他にも、少なくともJokerz!(Williams, 1988)Attack From Mars(Bally=Midway=WMS, 1997)などもあったはずなのですが、画像が見当たりません。実に全く痛恨の極みです。

ビデオゲームは、脱衣麻雀とレトロゲームが多かったです。

麻雀ゲームコーナー。これ以外にも脱衣麻雀がいくつかあったはずだが、それらの画像も見当たらない。




コナミのドーミー筐体に入ったビデオゲーム。ファンタジーゾーン(セガ、1986)、新入社員とおる君(コナミ、1984)、エキサイティングアワー(テクノスジャパン、1985)、ナムコクラシックコレクションVol.1(ナムコ、1995)。ほかに、ドラゴンスピリッツ(ナムコ、1987)があったことも覚えている。

2Fのメダルコーナーには、sigmaのメカスロが残っていました。

sigmaのメカスロ。Now PlayingとDouble Cherries。共に1980年代終わりころの機械で、同名のビデオ版もあった。

最後に、記憶がないはずの1Fにあったことは確かだとなぜか確信がある、「サブマリンキャッチャー(ユーエス産業、2000)。

サブマリンキャッチャー。

サブマリンキャッチャーは、活きたイセエビをつかみ取るプライズ機で、別名「イセエビキャッチャー」とも呼ばれていました。これが発表された当初、「イセエビがゲームセンターの景品として認められる上限800円で収まるのか」という議論が行われましたが、供給側は「問題ない」としていたものでした。ワタシはこれを、ラスベガスの「Las Vegas Club (現Circa)」というカジノに設置されているのを見たことがあります。

ゲーム場チェーン「マジックランド」の記憶

2020年11月15日 20時21分24秒 | ロケーション
sigmaと言えば、メダルゲームを主とするゲーム場「ゲームファンタジア」(関連記事:ゲームファンタジア・ミラノ:メダルゲーム発祥の地)をチェーン展開し、「メダルゲームのsigma」という揺るぎない定評を築き上げたオペレーターです。

そのsigmaが、メダルゲームではない、一般のゲームに重点を置いたロケーションである「マジックランド」の第一号店をオープンしたのは、1979年2月のことで、場所はワタシの家の最寄り駅である東横線都立大学駅の駅前でした。


マジックランドのオープンを報じる記事。業界紙ゲームマシンの1979年3月15日号5面より。記事では「ワンダーランド」と誤った屋号で紹介されている。

ゲームマシン紙の報道では、「これまでアダルト向けの店舗を展開してきたが、マジックランドはあらゆる客層へのニーズに応えられる新シリーズ」という位置づけとされています。

実は、このマジックランドは当初、ウチのもう一つの最寄り駅であり、都立大学駅の隣駅である学芸大学駅の、かつてレストラン街だったが長い間閉鎖されたままになっていた地下街にできるはずでした。その下ろしっぱなしになっていた入り口のシャッターにマジックランドのシンボルであるピエロと店のロゴが描かれたのは1978年の事だったと記憶しています。しかし、当時はまだゲーセン=不良のたまり場という固定観念が強い時代であったせいか、どうも地元住民の反対があったらしく、出店計画は撤回されてしまいました。シャッターに描かれたペイントが塗りつぶされてその事実を知ったワタシはおおいに落胆したものでした。

都立大学駅前の立地は、かつて「後楽園」というパチンコ店(関連記事:オリンピアとワタシの関わりの記録)だったことが出店を容易にしたのかどうかはわかりませんが、とにかく自宅からほど近いところに、住宅街にしては結構な規模のゲーセンができることは、ワタシにとっては嬉しいことでした。その頃のワタシは大学生になって間もないと同時に風適法の縛りもない頃だったので、ときどき深夜に家を抜け出して一晩中ピンボールとビデオゲームで遊んでいました。

オープンした1979年2月というと、タイトーのスペースインベーダーが既にブームになっていたころでしたが、まだぎりぎりアップライト筐体が主流でした。しかし、業界ではテーブル筐体が急激に広まり始めた時期であり(関連記事:TV報道番組に見る1978年のAM業界(5):インベーダーブーム直前とテーブル筐体の台頭)、このマジックランドでも「Straight Flush (Taito, 1979)」、「Monkey Magic (Nintendo, 1979)」、「Carnival (Sega, 1980)」、「Astro Fighter (Data East, 1980)など国産の新製品は続々とテーブル筐体で設置されていきました。

このマジックランド都立大学店ではいろいろな想い出があります。ピンボール機が充実している店でしたが、開店当初は1回50円だったゲーム料金が、ビデオゲームに合わせてすぐに100円に値上がりしたまま定着したように記憶しています。それでも、レーンチェンジを初めて採用した「Fire Power (Williams, 1980)」、「Superman (ATARI, 1980)」、「Six Million Dollar Man (Bally, 1979)」、「Flash (Williams, 1978)」などに特に熱中し、「Middle Earth(ATARI, 1978)」ではいつも「毒島」という名前しか知らない人と月間チャンピオンを競っていたものでした。この頃のBallyのピンボールにはハズレがなかったことと、ATARIのワイドボディが非常に先進的に見えたのが印象的な時期でした。

AM業界がビデオゲームブームとなる1979年以降、sigmaは新規出店だけでなく、それまで「ゲームファンタジア」としていたロケのいくつかを「マジックランド」に変えるなどして、東京都内では結構な店舗数になっていたと思います。しかし、ビデオゲームブームが終わって再びメダルゲームブームがやってくる90年代初頭から中ころにかけて、再び業態を転換するか、またはクローズしていたと思うのですが、この辺の記憶が定かではありせん。どちら様でも、マジックランドがいつ頃全滅してしまったのかご存知の方がいらっしゃいましたらご教示いただければありがたく存じます。