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オールドゲーマーの、アーケードゲームとその周辺の記憶

コインマシンやギャンブルゲームやカジノの歴史的エピソードとか、時々カジノ旅行記とか、たまにスポーツやマンガとか。

新PHoF、いよいよ始動!

2020年10月04日 13時31分36秒 | ロケーション
拙ブログをご高覧下さっている方々にはもはや説明の必要はないとは思いますが、PHoF(ピンボール・ホール・オブ・フェイム)とは、米国ネバダ州ラスベガスにあるピンボール機の博物館です。

拙ブログで2018年8月26日にアップした記事「ピンボール・ホール・オブ・フェイム(ラスベガス)、移転か?」の件について、最近進展があったので、今回はPHoFのこれまでを振り返りつつ記録しておこうと思います。

PHoFのオープンは、今から14年前の2006年1月13日でした。ワタシは毎年秋にラスベガスで開かれるコンベンションを見物に行くことが恒例(関連記事:新・ラスベガス半生中継 2016年9月(5) コンベンション初日他)だったので、その機会に訪れることができました。




オープン当初のPHoF(上)と店内の一部(下)。駐車場に面している部分がガラス張りで外光が入るので、日中は店内が明るかった。

当時のワタシはアメリカで車を運転するようになって間もないころで、まだ土地勘が貧弱だったので、予め見当を付けていたつもりの場所に行ってもその周辺にPHoFは見つけることができませんでした。途方に暮れながら交差点で信号待ちしていると、中央分離帯上に物乞いをしていたホームレスの女性がいたので、藁をもつかむ思いで尋ねてみたところ、それはもっとずっと東の方の●●というところだと教えられて、無事にたどり着けた思い出があります。彼女には、信号が変わり後ろから急かされている中、慌ててポケットから掴み出した5ドル札1枚しかあげられませんでしたが、20ドルくらいあげても良かったと今でも後悔しています。

2009年11月3日、PHoFは現在の場所に引っ越し、規模も多少拡張されて再オープンしました。新しい場所は従来よりも約3㎞西の地点で、繁華街や南北に走る幹線道路とも近づき、ずいぶんと行きやすくなりました。




現在のPHoFと店内の一部。二つの入り口以外に外光が入る窓が無く、店内は薄暗くなったが、機械のイルミネーションが映えるようになった。

しかし、PHoFのオーナーであり、1000台以上のピンボールコレクションを持つティム・アーノルド(Tim Arnold)にとって、この程度の施設はまだ満足できるものではなかったそうです。そこでティムは、より広い施設を持つためにラスベガス繁華街の南端に広い土地を購入したのが2018年のことでした。しかし、土地は得たものの、その後のスケジュールは長いこと「未定」となっており、世界のピンボールファンは首を長くして次の展開を待っていました。

今年の5月18日、PHoFは、購入しておいた土地に杭を打ち込みつるはしを入れるというグラウンドブレイキングの儀式を、ティムとその仲間たちだけでごく小規模に行い、その動画をFacebookに投稿しました。

その時点ではそこは(当然ながら)まだ単なる空き地でしたが、その後ラスベガスの情報サイト「VITAL VEGAS」が、続いてラスベガスのローカルニュース会社「8 NEWS NOW」が、建設が進むPHoFの様子を報道しました。

そしてまさに今日、PHoFは自身のFacebookで、ストリップエリアに建てるマーキーのデザインを発表しました。PHoFはこの投稿に「First look at our massive new sign! We're proud to add the word PINBALL to The Las Vegas Strip. (まずは新しい巨大看板を見てください! 我々はPINBALLという言葉をラスベガスのストリップに加えることを誇りに思います)」とのコメントを付けています。

新しい場所は、ラスベガスで最も有名なストリップエリア繁華街の最南端となるマンダレイベイホテルの向かい、有名な「Welcome to fabulous Las Vegas」看板の少し北となり、従来の、車が無いと少々行きにくかった不便は大幅に改善されます。


現在と将来のPHoFの位置を示した地図。創設当時は、現在位置からさらに3㎞程東(地図上では右)にあった。

規模はこれまでの3倍ほどにも拡大されるので、1日ではとても遊びきれなくなることが予想されます。PHoFとしても、今まではボランティアだけで回していた(PHoFは非営利団体とされている)が、今後は専従の要員が必要になるだろうと言われています。

PHoFのオープンは、早ければ今年の12月か、もしくは来年1月と見込まれているとのことです。なんとか来年にはコロナ騒ぎが終息して、新しくなったPHoFで、スペースの都合上展示できていなかったたくさんの機種を堪能したいものです。

西東京レゲエ紀行

2020年09月20日 23時06分31秒 | ロケーション
9月19日(土)、レゲエを求めて西荻窪と小平に行ってまいりましたので記録しておこうと思います。

■(1)HI-SCORE
西荻窪の目的地は、Twitterで偶然見つけた「HI-SCORE」という「バーケイド」です。「バーケイド」とは、ゲーム(主にAM)が楽しめる飲み屋のことです。米国では15年くらい前から見られる業態で、その呼び名は飲み屋の「BAR」とゲーセンの「ARCADE」を合成したものです。


「HI-SCORE」の外観。(1)店舗正面。 (2)店舗を斜めアングルから。 (3)側面の「ARCADE 25¢」の看板。オールドファッションな米国のゲーセンぽくてカッコいい。 (4)店頭に置かれたメニュー(一部)。

店内には、テーブル筐体が3台、NEOGEOのミニ筐体1台、カプコンのミニ筐体CUTE1台、スペースインベーダーのアップライト筐体(TAITO製)1台がありました。テーブル筐体には「パックマン(Namco, 1980)」、「テラフォース(nichibutsu, 1987)」、「スペースレーザー対戦(Taito, 1979?)」が入っていました。


(1)パックマン (2)テラフォース (3)スペースレーザー対戦。スペースレーザー対戦は、レジャックから同じ内容のゲームで「カメレオンアーミー」及び「スペースウォー」というタイトルでも出ており、何が何だかよくわからない。なんにしろスペースインベーダーの基板が流用されているとのこと。 (4)アップライト筐体。CUTE筐体は調整中だった。

これらは、一部を除いてフリープレイモードとなっており、自由に遊ぶことができますが、有料の機械もあるため、このお店はゲームセンターとして風俗第5号営業の許可を取っているとのことです。風俗営業ということは深夜営業ができないという事でもありますが、店舗の賃貸契約がそもそも深夜営業をしない条件だったので、その点では特に不都合ではなかったのだそうです。

AM機ばかりでなく、カウンター上には「Replicade Amusement」社製のミニチュアゲーム機がプレイヤブルな状態で置かれており、これも無料で遊ぶことができます。ワタシが訪れた時にはATARIの「Tempest(1981)」と「Centipede(1981)」が動いていました。聞くところでは、このシリーズには「Dragon's Lair (Cinematronics, 1983)」もあるとのことで、いずれお店に置かれることもあるかもしれません。


Tempest(左)とCentipede(右)のミニチュア筐体。

これら以外にも、店内には店主のアーケード愛をひしひしと感じさせるさまざまなコレクションがあちこちにさりげなく潜んでいますので、お近くの方は実際に来店の上ご確認いただければと思います。個人的には、ATARI筐体のコインシュートを模したキーホルダーが特に羨ましかったです。

HI-SCOREでは、「HI-SCORE アボカドチーズバーガー」、ビール、それにデザートとしてプリンをいただきました。ワタシは乾き物と若干の小料理くらいしか提供されない新宿ゴールデン街のバーみたいなものを想像していた(そしてそれでも全然かまわないと思っていた)のですが、とんでもない、いずれも非常にしっかりとしたもので、この点でも驚きました。


(1)-(2)HI‐SCORE アボカドチーズバーガー。紙の袋に入れることで食べやすくなる。 (3)プリン(サーブ時)。上に乗っているのはわたあめ。 (4)わたあめに添付のカラメルシロップ(これがまたおいしい)をかけると魔法のようにプリンが現れる。

ご主人は、「日本にも『BARCADE』文化が広まって欲しい」とおっしゃっていましたが、これにはワタシも最大限にヘッドバンキングして共感したいです。AM業界には新たな業態が必要であり、特に「大人が遊べる、従来のゲームセンターとは異なる業態」の出現が待望されますが、現在のコインオペレーションには「風適法」という時代遅れの壁が依然として立ちはだかっており、なかなか思う通りには行かないのが現状です(関連記事:ゲーセンと法律の話(3)新概念「特定遊興飲食店」をゲーム業界に活かせないものか)。

HI-SCOREは、コロナ騒ぎが始まる今年の3月にオープンしたとのことです。さぞご苦労が多いこととは思いますが、今後もぜひ頑張っていただきたいものです。

「HI-SCORE」
東京都杉並区西荻南2-25-10 (JR中央線西荻窪駅南口から徒歩3分)
公式HP:https://hiscore2020.wixsite.com/arcadehi
食べログ:https://tabelog.com/tokyo/A1319/A131907/13245164/
営業時間に関しては、公式HPと食べログで記載内容が一致していないところに若干の不安を感じますが、SNSもありますので、そちらでも確認されることをお勧めします。
Twitter:@ArcadeHi_kari
instagram:@arcadehi_


■(2)PIA21(Retro Pia 22)
HI-SCOREを辞した後、次に目指したのは西武新宿線小平駅近くにある「PIA21」というゲームセンターでした。

ワタシが予め仕入れていた知識では、ここはレゲエスポットでした。しかし、いざ現地に到着してみたら、店頭の看板には「Retro Pia 22」と書かれています。


(1)Retro Pia 22の入り口。 (2)店名が異なるが・・・?  (3)店頭のロボットのオブジェは確かにPIA21のもののはず。 (4)階段を上った2Fに入り口がある。

入り口を覗くと、休憩用なのか、ソファーといくらかの4号転用機が見えます。このまま入って行っていいのだろうかと不安になりました。


画像:入り口から店内を見た様子。

恐る恐る中に入って右手を見ると、そこにはワタシの情報には無かった、異様にも見える光景がありました。


店内の様子。パソコンがずらりと並んでおり、少なくとも普通のゲームセンターではないことは明らか。

ワタシが知っている「PIA 21」は、レトロゲームを置いたゲームセンターだったはずです。これはいったいどういうことだろうと訝りながらきょろきょろしていると、カウンターにいた店員さんが「初めてですか?」と声をかけてくれたので、お話を伺うことにしました。

聞けば、「PIA 21」は昨年の9月で廃業したのですが、店の常連だった人が潰すのは惜しいと店を受け継いで、店名も「Retro Pia 22」に変え、その際に対象をPCゲームプレイヤーに移したという事でした。しかし、PIA 21時代にたいへん盛んに行なわれていた「テトリス(カプコン/ARICA版)」のトーナメントは残したいとの思いがあり、また「麻雀ファイトクラブ」の常連もいるとのことでこれも残したとのことでした。ただし、そのため「Retro Pia 22」も風俗第5号営業です。


トーナメント用に残されたテトリス筐体4台。テトリスのトーナメントは現在も行われているとのこと。

PCでは、「Steam」というPCゲームのプラットフォームで提供されているいろいろなゲームで店内で対戦するのだそうです。課金は時間制で、モニターに付属しているコインシュートに50円硬貨を投入すると一定時間(8分間だったか?)モニターの電源が入り、時間が切れるとモニターの電源が落ちるが、PC上でのゲームは継続しているとのことでした。

店員さんは、「実際のところ、ここに来なくても自宅で同じゲームはできるのだが、同好の士が同じ場所に集まって直接のコミュニケーションをとりながら遊ぶことでより楽しくなるということでみなさん集まってくる」と説明してくれました。PCゲームに耽溺する人は他者とのコミュニケーションに難があるという先入観を持ちがちですが、そうではない人もたくさんいるという事でしょう。良いことだと思います。

ワタシはここでも「バーケイド」の可能性はないかと思い、「飲食を提供するような業態は考えられないか」とお尋ねしたのですが、「過去に検討はしたけれど、このビルは古くて衛生状態が保てるかどうかが不安なので今のところそのような計画はない」とのことでした。

この店員さんは、ワタシのつまらない質問にも大変親切に答えてくれて、大変感謝しております。PCゲームはワタシの守備範囲外なので何も語れませんが、バーケードと同様、新たなコンピューターゲームの業態として、今後も発展していただきたいものです。それにしても実情にそぐわない風適法、何とかならないものでしょうか。

「Retro Pia 22」(旧Pia 21)
東京都小平市美園町1-4-10 タカラヤビル2F (西武新宿線小平駅徒歩1分)
年中無休夜12時まで営業
Twitter:@RetroPia22

浅草・三松館を惜しみつつ追懐する

2020年08月09日 21時50分42秒 | ロケーション
今年の1月、浅草六区にあった「三松館」が閉店するというニュースに接し、いずれ拙ブログでも取り上げなければと思っていたのですが、なかなか手を付けられないままもう閉店から半年以上も経過してしまいました。何しろ浅草の名物の一つでしたから、ウェブ上には既にたくさんの関連情報が見つかるので今さらながらなのですが、それでも一応ワタシなりの記録をとどめておこうと思います。

「三松館」とは、今や絶滅危惧種である遊技「スマートボール」と「アレンジボール」(関連記事:シリーズ絶滅種:アレンジボールを記憶に留めておこう)専門の遊技場です。開業は1948年とのことですから、70年以上の歴史を持つロケーションでした。

三松館の末期は、週末と祝日のみの営業でした。建物と遊技機の老朽化からそろそろ潮時と閉店を決められたそうです。今後建物は壊されるが、遊技機は区役所や福祉施設などに寄贈すると聞いています。その後どうなったのか追跡調査はしていませんが、多少なりとも廃棄されずに済んだ台があるならなによりです。




三松館のエントランス(上・人物はワタシの女房)と店内(下)。店内左手の壁沿いにはアレンジボールが並んで設置されていたが、故障で稼働していないものも少なからずあった。この画像は2010年に撮影したもの。




スマートボールの機械と裏側。光が透過すると美しい青いガラス製のボールは、後になって作られたものと思われる。


スマートボールの製造元の銘板。パチンコ誕生博物館(関連記事:【特報】パチンコ誕生博物館オープン(1))によれば、三葉産業は最後のスマートボール製造企業だった。


   
 
アレンジボール各種。いずれも1978年~79年頃の機械のように見える。ほとんどはさとみ(サミー)の製品だが、太陽電子の機械もわずかながらあった(最後の画像)。

ワタシがこの三松館に初めて行ったのは1990年頃だったように思います。勤め先の後輩数名と、仕事をさぼって昼間から、既に天然記念物級の希少ゲームとなっていたスマートボール(とアレンジボール)を経験しに訪れ、出た玉との交換でポラロイド写真を1枚撮ってもらいました。

大阪の「ニュースター」もそうでした(関連記事:大阪レゲエ紀行2019(1) DAY 1・午前)が、今のスマートボールは、パチンコやパチスロのように目を血走らせて熱中するようなゲームではありません。この程度なら、保護者同伴であれば18歳未満の年少者にも遊ばせても良いではないかと思われる程度の射幸性です。海外では、子供向けの娯楽として、ゲームの結果によって払い出されるチケットを貯めて景品と交換できる「リデンプションゲーム」というジャンルが存在しますが、日本でもその程度のことは許してもいいのではないかと思います。それがAM業界の守備範囲なのか、それとも4号業界の守備範囲なのかはわかりませんが、どこでもいいからそろそろ風適法を見直そうという機運が高まって欲しい関連記事:ゲーセンと法律の話(3)新概念「特定遊興飲食店」をゲーム業界に活かせないものか)ものです。

埼玉レゲエ紀行(2):BAYONの記録その2 + パチンコ博物館(さいたま市)

2019年12月22日 22時55分42秒 | ロケーション

レゲエコーナーを一通り見て回った後、メダルゲームコーナーに向かうと、そこには「COCKTAIL NIGHT筐体」や「LOTUS筐体」などの懐かしい筐体に入ったビデオポーカー類、sigmaが海外のカジノ向けに作ったメカスロット類が大量に設置されていました。


懐かしの筐体の本のごく一部。(1)sigmaのメカスロ「Night Fever(1994頃)」。 (2)ベルトップ筐体(1998頃)。この筐体は当時ラスベガスのカジノのあちこちで見かけた。 (3)カクテルナイト筐体(違うかも? 1987頃)UP2筐体(コメント欄でのご指摘により修正・21/9/23) (4)ロータス筐体(1994頃)インターミディ筐体(コメント欄でのご指摘により修正・21/9/25)。

さらには、sigmaのスピリッツを引き継ぐCRON社のマシンで構成される一角まであり、BAYONのシングルメダル機にかける熱い気持ちが伝わってきます。


おびただしい数のCRON社のシングル機で構成されている一角。画像右下にわずかに見えるスラント筐体は、CRONを立ち上げたメンバーがサミーに所属していた時に開発していたものだったかもしれないが、迂闊にも確認するのを忘れてしまった。

これらの筐体を重点的に撮影しながら奥に進んでいくと、うわさに聞いていた、現在の日本で(おそらく)唯一営業稼働しているビンゴ機が3台、ステージのように一段高くしたところに設置されていました。


BAYONに設置されているビンゴ機3台。手前からCHEROKEE ROSE、PASTEL SHOWER、ELDORADO。いずれもsigma製のICビンゴ。

これらのうち、CHEROKEE ROSEを除いたEL DORADOとPASTEL SHOWERの2機は残念ながら稼働していませんでした。ビンゴはワタシが最も熱中したゲーム機の一つですから、せっかくここまで来たのに遊ばない手はありません。メダルを借りに貸出機の方に行きました。メダルの貸出料金は1000円で150枚、2000円で400枚、3000円で500枚となっていました。

昔は1000円で50枚が相場(sigmaのゲームファンタジアはさらに高い35枚だった)である上にボリュームディスカウントも殆どなかったので、当時のワタシがsigmaのビンゴ・イン(関連記事:ゲームファンタジア・ミラノ:メダルゲーム発祥の地)で遊ぶときには1000円で50枚ずつ借りて惜しみながらベットしていたものなのに、150枚となればその3000円分ですから、当時のワタシにとってみれば結構なお大尽遊びのレベルです。

唯一稼働しているCHEROKEE ROSEは、プランジャーに僅かに引っかかるような感触があり、ボールの安定した打ち出しが若干困難でした。ある程度ならば筐体を揺らすことでリカバーはできますが、もし、BAYONの方々がこれに気づかれましたら、メンテナンスをお願いしたいところです。

ビンゴ・ピンボールは、スコアが伸びればフィーチャーが有効になりにくくなり、逆にフィーチャーが早い段階で有効になるとスコアが伸びにくくなるという特性があります。あるとき、メダル20枚のベットで、スコアだけがどんどん伸びてフィーチャーが一切有効とならないという展開になってしまいました。これ以上追加ベットをしてもフィーチャーが有効になることは望み薄なので、ゲームとしてはあまり面白くないのですが、大量メダル獲得を目指すことでがまんして頑張ったら、最もスコアが高い赤ラインに4並びを完成させて480枚という大当たりを出すことができました。


今回の大当たり。20メダルのベットで、赤ラインに4並びで480枚のメダルを獲得。もしこれが5¢硬貨でのガチなギャンブルプレイなら、$1のベットで$24の大勝利という事になる。

これだけの当たりは、ワタシが最も一所懸命ビンゴ・ピンボールを遊んでいた頃でもそうそうありません。昔は自由になるお金が少なかったので、特に大きなチャンスの時にかかるプレッシャーは今とは比べ物にならぬほど大きく、ガチガチに緊張してボールコントロールのミスを誘ってしまっていたものでしたが、今は当時と比べればはるかに恵まれているので昔のような切実な緊張感はなく、このメンタルの余裕が勝利に結び着いたことは間違いありません。しかし、それはそれで良し悪しでもあります。心に余裕がある半面、勝利の嬉しさの強さが昔に比べて半減している気がします。そしてこれには、メダル単価の大暴落と、プッシャーなどに見られるジャックポットのインフレ化も多少なりとも関係していると思います。

◆パチンコ博物館(さいたま市南区)

BAYONを午後3時ころに出て、次にワタシは北戸田駅を目指しました。今回、BAYONについて立地などを調べていたら、ここに「パチンコ博物館」というものがあることを発見していたので、ついでに訪れることにしていたのです。

ふじみ野駅から電車を2回乗り継いで辿りついた北戸田駅から徒歩数分のところにある「ガーデン北戸田」というパチンコ店の2階に、「パチンコ博物館」はありました。入場は無料で、子供連れでも入れるとのことです。

自動ドアを開けて中に入りましたが、他の観覧客の姿が認められず、ずかずかと入り込んで良いのか不安になりました。右手に女性の受付係員がいたので入っても良いのかと聞くと、どうぞと丁寧に答えてくれました。ついでに、写真を撮影しても良いかと聞くと、「申し訳ありませんが写真の撮影はご遠慮いただいております」と、本当に申し訳なさそうに言われてしまいました。その代わりと言うわけではないのでしょうが、脇にあるウィンドウに陳列されている業者関連のグッズから一つ、好きなものを下さるというので、西陣のネームの入ったクリアフォルダをいただきました。

展示はパチンコの原型となったゲーム機から始まり、バラ釘時代、村正のスタンダード6穴時代、連発式の許可、役物の自由化時代を経て電役、羽モノ、そしてセブン機と順を追って豊富に展示されており、実に充実しています。特に、バラ釘以前の機械は、現存しているのが奇跡的と思われるものもあります(ただ、なぜか「半ゲージ」の展示は無かった)。

また、順路の壁にはパチンコの年表や昭和時代のパチンコ店の風景などもあり、これらも丁寧に見て行こうとすると時間がいくらあっても足りそうもありません。写真撮影を断られているので撮影もできないので、これらを丹念に見ることはできませんでした。

写真撮影を禁じている理由はわかりません。一般人がウェブ上で公開してしまったら来場者が減ると考えているのでしょうか。ワタシとしては、一般人が広く紹介すれば、実際に訪れてみようと思う人は増えると思うのですが。なんとももったいないことです。

写真は無いので、配布しているパンフレットを掲載しておきます。興味を持たれましたらぜひ実際に確認しに行って見てください。

パチンコ博物館
所在地 : 埼玉県さいたま市南区辻8-24-10
      ガーデンシティ北戸田2F
開館時間: 午前10時~午後6時まで(定休日:不定休)
最寄駅 : JR埼京線 北戸田駅東口から徒歩2分







(このシリーズ終わり)


埼玉レゲエ紀行(1):BAYONの記録その1

2019年12月15日 23時14分27秒 | ロケーション
去る11月29日(金)、ワタシは初めて、埼玉県ふじみ野市にある、一部のレゲエファンの間で聖地となっている「バイヨン(BAYON)」というゲームセンターに行って参りました。


東武東上線ふじみ野駅から徒歩およそ5分、BAYONが入る建物の正面。BAYONはこの2階全域を占める。

BAYONは、シングルメダルゲーム機が充実しまくっていると聞いていました。中でも、今ではおそらく日本で唯一ビンゴ・ピンボール機を設置しているロケであるとのことだったので、かねてからいずれは行かなければならないと思っていたところです。

エスカレーターで2階に上がると、すぐ左手がレトロゲームコーナーの入り口となっていましたのでまずはここから入ると、たくさんのビデオゲーム筐体と、今時珍しいピンボールコーナーがありました。BAYONと言うとメダルゲームでしか聞いたことが無かったので、これは嬉しいサプライズでした。ただ、残念なことにビデオゲームのほとんどは90年代以降のもので、ワタシにとってレトロゲームと呼べる機種は「ゼビウス」くらいしかなく、レゲエの聖地と言うには中途半端な印象を受けました。いろいろ事情はあるでしょうが、80年代のゲームの充実が望まれます

ピンボールコーナーの床にはダーツのスローラインと思しき跡があり、もとはエレクトリック・ダーツを置いていた一角と見えます。様々な試行錯誤を繰り返して奮闘されている様子が窺われます。

ピンボール機はSS機が8台で、うち2台は故障中でしたが、稼働している機械はどれもメンテナンス状態が良く、快適に遊べます。これももっと知られてよいフィーチャーだと思うので、BAYONには頑張ってもらいたいものです。

【設置されていた機械】
・BANZAI RUN (Williams, 1988・故障中)
・FISH TAILES  (Williams, 1992)
・JACK BOT (Williams, 1995)
・CONGO (Williams, 1995)
・ATTACK From MARS (Bally Midway (WMS), 1995)
・LETHAL WEAPON 3 (Data East, 1992)
・JUNK YARD (Williams, 1996)
・TWILIGHT ZONE (Bally Midway (WMS), 1993)


ピンボールコーナー。いまどきこれだけのピンボール機を設置している店は無いので、もっと広く知られてもらいたいものだ。ファンがそのためにできることには何があるだろう?

レゲエとピンボールコーナーの隅の壁には、「MAナビ」と称して、設置ゲームの遊び方や攻略法などを解説した資料が用意されていました。今後発売されるビデオゲームでは新規客の取り込みが難しいとなれば、過去のヘビープレイヤーをゲーセンに呼び戻すことと、併せて古き良きゲームで新規客を開拓しようとすること自体は大変良い試みだとは思うのですが、そのようなターゲットにどこまで、どうやって周知させるかが課題だと思います


「MAナビ」と称する、設置されているオールドゲームの遊び方を説明したチラシ。このような取り組みは大いに賞賛したいが、どれだけ知られ、どれだけ有効に機能しているのだろうか。

本日はちょっと体調がすぐれないため、残りは次回とさせていただきます。皆様におかれましては、栄養と睡眠を十分にとって、風邪など召されませんようにお過ごしください。