桓公九合諸侯、不以兵車、管仲之力也、如其仁、如其仁(憲問第十四の17)
九合=糾合=集め合わすこと
桓公、諸侯を九合するに、兵車を以てせざるは、管仲之力なり。その仁なり、その仁なり。
桓公が周辺諸国を傘下におさめていった際、決して武力を用いなかったのだが、これはもっぱら管仲の力でなしとげられた。仁の人、管仲が仕切ったからでしょう。
桓公が、離反を計る身内の人間を殺害した際、その側近であったにもかかわらず管仲は殉死の道を選ばなかった。(もうひとりの側近は殉死した)。
このことに関し、子路が「(管仲は)仁には程遠いですよね」と、孔子に確認した。その答えが上。
孔子の言いたかったことは、「殉死を仁と考えることは間違い。国の勢力範囲を広げていく際に、武力を用いなかったこと、そのことのみをとっても管仲は仁の人と言える」ということでしょうか。
戦後レジームからの脱却、などと言われる時代になってきました。しかしこの変換は危険です。戦後レジームは継続すべきです。
ただひたすら、武力大国(AからBに変わるかもしれない)の顔色をうかがいながら生きていく、という道です。
島国根性(井の中の蛙状態)丸出しの武装は亡国のはじまりと思います。
九合=糾合=集め合わすこと
桓公、諸侯を九合するに、兵車を以てせざるは、管仲之力なり。その仁なり、その仁なり。
桓公が周辺諸国を傘下におさめていった際、決して武力を用いなかったのだが、これはもっぱら管仲の力でなしとげられた。仁の人、管仲が仕切ったからでしょう。
桓公が、離反を計る身内の人間を殺害した際、その側近であったにもかかわらず管仲は殉死の道を選ばなかった。(もうひとりの側近は殉死した)。
このことに関し、子路が「(管仲は)仁には程遠いですよね」と、孔子に確認した。その答えが上。
孔子の言いたかったことは、「殉死を仁と考えることは間違い。国の勢力範囲を広げていく際に、武力を用いなかったこと、そのことのみをとっても管仲は仁の人と言える」ということでしょうか。
戦後レジームからの脱却、などと言われる時代になってきました。しかしこの変換は危険です。戦後レジームは継続すべきです。
ただひたすら、武力大国(AからBに変わるかもしれない)の顔色をうかがいながら生きていく、という道です。
島国根性(井の中の蛙状態)丸出しの武装は亡国のはじまりと思います。