監督:是枝裕和さん
脚本:坂元裕二さん
主演:安藤サクラさん
音楽:坂本龍一さん
母親は、小学生の息子の様子がどことなくおかしいことに気付く。
水筒に入っていた泥、片方がなくなったスニーカー。
母親は息子を問い詰め、学校へ直談判に行くが…というあらすじ。
私はヒーローがちきゅうを救うような映画が好きなので、
まあ正直この作品のようなテーマは苦手ですが、
脚本が凄すぎてヒエ……ってなりました。
演出も、音楽も、安藤サクラさんの演技もすばらしいですが
とりわけ脚本が飛びぬけていました。
マーティン・マクドナー脚本みたいなソリッドな感じが好きな人におすすめです。
きびしいめの映画が苦手な人向けではない。
ラストまでばれ
怪物が誰であるかを決める映画ではないが、
息子を虐待する父親や、クラスメイトをいじめる子供、
すべてに対して無関心で子供に加害すらする校長は怪物といえるかもしれない。
しかし母親の愛情をこめた言葉、ごく普通の家庭を持ってほしいという望みは
息子を追い詰めなかっただろうか。
教師の、シングルマザーへの偏見に満ちた言葉は、
恋人の何気ない励ましに影響を受けていた。
同僚の教師のばらまく事実無根の噂話が状況の悪化に一役買っていないか。
女児の嘘、そして湊の嘘も。
湊が見ていた番組の、オネエ系芸人は彼を傷つけなかったろうか。
果たしてあなたは自分が怪物ではないと言い切れるのか?という映画でした。
世界は悪人の加害者と善人の被害者というような、くっきりしたものではなく、
もっと細かく複雑で、時計のパーツのように組み合っており
なにがどれに影響しているのか、判断は難しいというのが表現されていた。
あと悲恋の物語を、その周囲の人を含めて俯瞰で見るとああいうふうになるのかも。
(情緒がないので言ってしまうと、教師視点のラストと繋がってないので
私は彼等が助からなかったと考える)
テンプレートでないセリフが良かった。
小学生の考えるビッグクランチの説明が好きだが、ああいうの大人でも書けるのか。
不倫夫の相手に対して「ださいニットを着てる」というのは、
つまり死体が着てたのかな?と考えるが、だとすると凄まじい話だ。
いじめをする小学生の「ドッキリなんで、やっちゃってください」
っていうAD風の喋り、残虐だ。(英訳できるだろうか?「やっちゃってください」のニュアンス)
(大人でも、抵抗をしない、怒らない相手にはなかなか無礼な態度をとる人が多いが
子供ならなおさらそうなるだろう。
そして星川君のあの無抵抗な性質はおそらく虐待で形成されたものだ)
セリフではないが、先生が気の迷いで飛び降りようとした時に鳴っている金管楽器の
微妙に記憶にとどまる音量の調整具合もいい仕事だった。
マーティン・マクドナー監督を例にだしたのは
前半からは考えられない取り合わせの人物2人が一緒に車に乗ったからです。
坂元裕二さん、たしかまだお若かったので、
アカデミー作品賞を本気で狙うなら彼しかないと、映画を見ながら考えたが、
なんか邦画は技巧をあまり重視しないというか、
他の価値観を上位にもつ関係者観客が多いので前途多難そうだな。
でもまあ無理にアメリカの賞をほしがらなくてもいいか。という結論に至った。
(なので韓国が賞を取ったから日本もとれ。とれないのは日本映画界が能無し。という論にはめちゃくちゃ腹が立つ)
(観客のレベルに合ったものが提供されてるのよ…。あと国の文化支援がへたくそというのもある)
でももし、次に何か書かれるとしたら、
同性愛者カップルの、うまくいった、
または(逆境をくぐり抜けて)うまくいってるパターンを描いてほしいものです。
悲劇的な同性愛者のカップルばかりがフィクションで描かれると、
彼等は普通の恋人同士ではない、一時的な、
特別な、現実的ではない存在という認識の強化になってしまう。
あれだけ技術があるなら、なんだって描けるよ!
脚本:坂元裕二さん
主演:安藤サクラさん
音楽:坂本龍一さん
母親は、小学生の息子の様子がどことなくおかしいことに気付く。
水筒に入っていた泥、片方がなくなったスニーカー。
母親は息子を問い詰め、学校へ直談判に行くが…というあらすじ。
私はヒーローがちきゅうを救うような映画が好きなので、
まあ正直この作品のようなテーマは苦手ですが、
脚本が凄すぎてヒエ……ってなりました。
演出も、音楽も、安藤サクラさんの演技もすばらしいですが
とりわけ脚本が飛びぬけていました。
マーティン・マクドナー脚本みたいなソリッドな感じが好きな人におすすめです。
きびしいめの映画が苦手な人向けではない。
ラストまでばれ
怪物が誰であるかを決める映画ではないが、
息子を虐待する父親や、クラスメイトをいじめる子供、
すべてに対して無関心で子供に加害すらする校長は怪物といえるかもしれない。
しかし母親の愛情をこめた言葉、ごく普通の家庭を持ってほしいという望みは
息子を追い詰めなかっただろうか。
教師の、シングルマザーへの偏見に満ちた言葉は、
恋人の何気ない励ましに影響を受けていた。
同僚の教師のばらまく事実無根の噂話が状況の悪化に一役買っていないか。
女児の嘘、そして湊の嘘も。
湊が見ていた番組の、オネエ系芸人は彼を傷つけなかったろうか。
果たしてあなたは自分が怪物ではないと言い切れるのか?という映画でした。
世界は悪人の加害者と善人の被害者というような、くっきりしたものではなく、
もっと細かく複雑で、時計のパーツのように組み合っており
なにがどれに影響しているのか、判断は難しいというのが表現されていた。
あと悲恋の物語を、その周囲の人を含めて俯瞰で見るとああいうふうになるのかも。
(情緒がないので言ってしまうと、教師視点のラストと繋がってないので
私は彼等が助からなかったと考える)
テンプレートでないセリフが良かった。
小学生の考えるビッグクランチの説明が好きだが、ああいうの大人でも書けるのか。
不倫夫の相手に対して「ださいニットを着てる」というのは、
つまり死体が着てたのかな?と考えるが、だとすると凄まじい話だ。
いじめをする小学生の「ドッキリなんで、やっちゃってください」
っていうAD風の喋り、残虐だ。(英訳できるだろうか?「やっちゃってください」のニュアンス)
(大人でも、抵抗をしない、怒らない相手にはなかなか無礼な態度をとる人が多いが
子供ならなおさらそうなるだろう。
そして星川君のあの無抵抗な性質はおそらく虐待で形成されたものだ)
セリフではないが、先生が気の迷いで飛び降りようとした時に鳴っている金管楽器の
微妙に記憶にとどまる音量の調整具合もいい仕事だった。
マーティン・マクドナー監督を例にだしたのは
前半からは考えられない取り合わせの人物2人が一緒に車に乗ったからです。
坂元裕二さん、たしかまだお若かったので、
アカデミー作品賞を本気で狙うなら彼しかないと、映画を見ながら考えたが、
なんか邦画は技巧をあまり重視しないというか、
他の価値観を上位にもつ関係者観客が多いので前途多難そうだな。
でもまあ無理にアメリカの賞をほしがらなくてもいいか。という結論に至った。
(なので韓国が賞を取ったから日本もとれ。とれないのは日本映画界が能無し。という論にはめちゃくちゃ腹が立つ)
(観客のレベルに合ったものが提供されてるのよ…。あと国の文化支援がへたくそというのもある)
でももし、次に何か書かれるとしたら、
同性愛者カップルの、うまくいった、
または(逆境をくぐり抜けて)うまくいってるパターンを描いてほしいものです。
悲劇的な同性愛者のカップルばかりがフィクションで描かれると、
彼等は普通の恋人同士ではない、一時的な、
特別な、現実的ではない存在という認識の強化になってしまう。
あれだけ技術があるなら、なんだって描けるよ!