富谷教会ホームページ・礼拝説教

富谷教会は宗教法人の教会です。教会は礼拝室と二つの茶室からなる和風の教会です。ゴルフ場に接する自然豊かな環境にあります。

「デリラを愛したサムソンの悲劇」 士師記16章15-31節

2014-03-09 21:04:18 | 礼拝説教

                  ↑ 聖書大百科(創元社)の地図を転載

〒981-3302宮城県黒川郡富谷町三ノ関字坂ノ下120番地12 TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403

日本キリスト教 富 谷 教 会 

年間標語『主はわたしの羊飼い、わたしには何も欠けることがない。』

聖句「神は神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者

  たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わた

  したちは知っている。」(ロマ8:28)

週     報 

受難節節第一主日       2014年3月9日(日)      5時~5時50分 

礼    拝  

              司会 永井 慎一兄

前 奏            奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(21) 402(いともとうとき)

交読詩編   84(神よ沈黙しないでください) 

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

聖 書  士師記16章15-31節

説 教 「デリラを愛したサムソンの悲劇」辺見宗邦牧師

祈 祷

賛美歌(21)  518(主にありてぞ)

献 金

感謝祈祷          

頌 栄(21)    24(たたえよ、主の民)

祝 祷

後 奏

次週礼拝 3月16日(日)午後5時~5時50分

 説教 「預言者サムエル」

 聖書 サムエル記上7章1~17節

 交読詩篇 107  讃美歌404 529  24

本日の聖書 士師記16章15-31節

  15デリラは彼に言った。「あなたの心はわたしにはないのに、どうしてお前を愛しているなどと言えるのですか。もう三回もあなたはわたしを侮り、怪力がどこに潜んでいるのか教えてくださらなかった。」 16来る日も来る日も彼女がこう言ってしつこく迫ったので、サムソンはそれに耐えきれず死にそうになり、 17ついに心の中を一切打ち明けた。「わたしは母の胎内にいたときからナジル人として神にささげられているので、頭にかみそりを当てたことがない。もし髪の毛をそられたら、わたしの力は抜けて、わたしは弱くなり、並の人間のようになってしまう。」

   18デリラは、彼が心の中を一切打ち明けたことを見て取り、ペリシテ人の領主たちに使いをやり、「上って来てください。今度こそ、彼は心の中を一切打ち明けました」と言わせた。ペリシテ人の領主たちは銀を携えて彼女のところに来た。 19彼女は膝を枕にサムソンを眠らせ、人を呼んで、彼の髪の毛七房をそらせた。彼女はこうして彼を抑え始め、彼の力は抜けた。 20彼女が、「サムソン、ペリシテ人があなたに」と言うと、サムソンは眠りから覚め、「いつものように出て行って暴れて来る」と言ったが、主が彼を離れられたことには気づいていなかった。 21ペリシテ人は彼を捕らえ、目をえぐり出してガザに連れて下り、青銅の足枷をはめ、牢屋で粉をひかせた。 22しかし、彼の髪の毛はそられた後、また伸び始めていた。

   23ペリシテ人の領主たちは集まって、彼らの神ダゴンに盛大ないけにえをささげ、喜び祝って言った。「我々の神は敵サムソンを我々の手に渡してくださった。」

   24その民もまたサムソンを見て、彼らの神をたたえて言った。「わが国を荒らし、数多くの同胞を殺した敵を我々の神は、我々の手に渡してくださった。」

25彼らは上機嫌になり、「サムソンを呼べ。見せ物にして楽しもう」と言い出した。こうしてサムソンは牢屋から呼び出され、笑いものにされた。柱の間に立たされたとき、 26サムソンは彼の手をつかんでいた若者に、「わたしを引いて、この建物を支えている柱に触らせてくれ。寄りかかりたい」と頼んだ。 27建物の中は男女でいっぱいであり、ペリシテの領主たちも皆、これに加わっていた。屋上にも三千人もの男女がいて、見せ物にされたサムソンを見ていた。 28サムソンは主に祈って言った。「わたしの神なる主よ。わたしを思い起こしてください。神よ、今一度だけわたしに力を与え、ペリシテ人に対してわたしの二つの目の復讐を一気にさせてください。」

    29それからサムソンは、建物を支えている真ん中の二本を探りあて、一方に右手を、他方に左手をつけて柱にもたれかかった。 30そこでサムソンは、「わたしの命はペリシテ人と共に絶えればよい」と言って、力を込めて押した。建物は領主たちだけでなく、そこにいたすべての民の上に崩れ落ちた。彼がその死をもって殺した者は、生きている間に殺した者より多かった。 31彼の兄弟たち、家族の者たちが皆、下って来て、彼を引き取り、ツォルアとエシュタオルの間にある父マノアの墓に運び、そこに葬った。彼は二十年間、士師としてイスラエルを裁いた。

本日の説教 

   士師記の12人の最後の士師はサムソンです。サムソンについては、13章から16章まで、士師たちの中で最も長い紙面がさかれています。サムソンは映画では「サムソンとデリラ」、音楽ではサン・サーンスの歌劇「サムソンとデリラ」、絵画ではレンブラントの作品があります。旅行用のスーツケースで世界的に有名なメーカーの「サムソナイト」は、「サムソンのような」という意味で、怪力の持ち主サムソンにあやかって<丈夫で、頑丈>なカバンを売り物としています。このように、士師サムソンは良く知られている人気のある豪傑です。

   【13章】サムソンが士師として出現するのは、イスラエルの人々が、ぺリシテ人の支配に四十年間も苦しめられているときでした。     

   [ペリシテ人は、イスラエル人のカナン侵入とほぼ同じ年代、紀元前13世紀頃、古代カナンの南部の地中海沿岸部に侵入した海洋民族で、高度の鉄器文明をもった民族でした。ガザ、アシュドド、アシュケロン、ガト、エクロンの5つの都市を築き、その地域は「フィリスティア(ペリシテ人の地)」と呼ばれました。これは後に「パレスチナ」と呼ばれる名称の由来になりました。ぺリシテ人は、士師時代の後期からサウルの時代に至るまで、イスラエルの最大の強敵となったのです。]


 神はイスラエルがいつまでも苦しむのを放っておかれませんでした。ある日、ダン部族に属し、ツォルハ出身の男マノアの妻に、主の御使いが現れ、彼女は不妊でしたが、男の子が生まれることを告げました。[ツォルハは、ダン部族に割り当てられた町でしたが、ダン部族はこの地域には定着できず、北部、ガリラヤ湖の更に北に、ダンの町を作り移住しました。それ以来ツォルハはユダ部族の地となりました。サムソンの父マノアは、ツォルハに留まったダン部族の一氏族であったと思われる。(士師記18:11)]

  御使いはマノアの妻に対し、その子は胎内にいるときから死ぬ日までナジル人として神にささげられていることを告げ、子供が生まれるまで葡萄酒や汚れたものを食べず、生まれてくる子供の髪を剃らないように命じました。その子は、ぺリシテ人の手からイスラエルを解き放つ救いの先駆者になることを明らかにしました。

   ナジル人というのは、「主のものとして聖別された者(民数6:2)」という意味です。1)ナジル人は酒を飲まない、2)汚れた物を食べず、死体にふれない、3)頭にかみそりを当てない、という三つの禁令がありました。サムソンは終身のナジル人として定められた人でした。
 主の使いの預言が成就し、マノアの妻は男の子を産みました。男の子は、サムソン(「太陽の子」の意)と名付けられました。夫婦はサムソンを命じられた通り髪を剃らずに育てました。サムソンは神の使命を果たすべく特別な祝福を受けて成長しました。

   主の霊が彼を奮い立たせ、霊的覚醒を与えたのは、彼がツォルアとエシュタオルの間にあるマハネ・ダンにいたときのことでした。

   【14章】サムソンはティムナに下っていったとき、ペリシテ人の娘を見初め、親の反対を押し切って、求婚する為にその村へ向かいました。その途中、猛り狂う獅子が現れてサムソンを襲いました。しかしサムソンはその獅子を素手でたやすく引き裂いてしまいました。しばらくしてから、その場所へ行ってみると、裂かれた獅子の死骸に蜜蜂が群がり、蜂蜜が流れ出ていました。サムソンは蜜を集めて食べ、残りを持ち帰って両親にも与えました。
    サムソンは再びペリシテ人の村を訪れ、その娘との婚礼の宴を設けました。そして三十人の客人に一つの謎を出し、七日の宴の間に解く事が出来たら、客人全てに晴れ着を振る舞うと約束しました。そしてもし解けなかったならば、自分に三十の晴れ着を与えるように告げたのです。サムソンは「食べるものから食べ物が出た。強きものから甘いものが出た」という謎を出しました。
    客人たちは謎を解く事が出来ず、七日目になって、花婿から答えを聞き出すように花嫁に迫りました。さもないと、火を放って家族もろとも焼き殺してやる、とおどしたのです。            サムソンの妻は夫に謎の意味を自分に明かすように、泣きすがってしつこくせがんだので、サムソンはとうとう答えを明かしてしまいました。七日目に客人たちは「蜂蜜より甘いものは何か、獅子より強いものは何か。」と言って、「答えは蜂蜜と獅子だ」と答える事が出来ました。そのとき、主の霊が激しくサムソンに降り、力を受けたサムソンはアシュケロンの町へ向かい、そこでペリシテ人三十人を殺して着物を奪い、謎を解いた人々にそれを与えたました。

  彼は,妻からなぞの答えを聞き出した客人と,答えを教えた妻に怒って、父の家へ帰っていったので、花嫁の父親は結婚が破談になったと思い、娘を客人の一人に嫁がせてしまいました。

   【15章】しばらくして、サムソンは花嫁の家を訪れたが、彼女は他のぺリシテ人の妻となっていたことを怒り、その腹癒せに、三百匹のジャッカル(アカギツネ)を捕え、尾と尾を結び、二つの尾の真ん中に松明を一本ずつ取り付け、ペリシテ人等の畑へ放って、収穫前の畑を焼き払いました。                                                するとペリシテ人等はその報復として、花嫁とその父を、家に火を放って焼き殺しました。サムソンはその報復に大勢のペリシテ人を殺し、エタムの岩の避け目に住みました。
  ペリシテ人はサムソンを追ってユダに攻め上ってきて、レヒ(国境)に陣を敷き、ユダの人々にサムソンを縛って、引き渡すように命じました。ユダの人々はこれに応じ、サムソンを縛って連行しました。しかし縛られたサムソンは主によって縄を解かれ、ロバの顎の骨を武器として千人のペリシテ人を打ち殺しました。
   サムソンは非常に喉が渇いていたので、主に祈りました。「あなたはこの大いなる勝利を、この僕の手によってお与えになりました。しかし今、わたしは喉が渇いて死にそうで、無割礼の者たちの手に落ちようとしています。」すると主はレヒのくぼ地を割り、そこより水が流れ出てサムソンの命を救いました。

   【16章】サムソンはガザに行き、一人の遊女のところに入りました。ガザの人々は、「サムソンが来た」との知らせを受けると、一晩中町の門で待ち伏せし、彼を殺そうとしました。サムソンは夜中に起き、町の門のとびらと二本の門柱をつかんで、かんぬきごと引き抜き、地中海沿岸の町ガザから、標高927メートルにあるヘブロンを望む山の上に、肩にかついで運びました。

  その後、サムソンはソレクの谷にいるデリラという女を愛するようになりました。するとペリシテ人の領主たちはデリラの家を訪れ、サムソンの弱点を聞き出したならば一人一人が、千百枚の銀を与えると約束しました。デリラは秘密を聞き出そうと試みたが、サムソンは真実を話そうとしませんでした。愛するデリラに激しく責められ、女性に弱いサムソンは、「ナジル人の印である長髪を剃り落されたなら、怪力は失われ、並みの人とおなじになる」と打ち明けました。
   やがてデリラの膝の上でサムソンが眠ってしまうと、彼女は聞き出した通りに、人を呼んでその髪を剃り落としました。するとサムソンはその怪力を失い、ペリシテ人に易々と捕えられてしまったのです。彼らはサムソンの両目を抉り、青銅の足枷を付けてガザの獄舎に繋ぎました。そこでサムソンは石臼を回させられたが、やがて剃られた髪が再び生え始め、その力も次第に戻り始めました。
  ペリシテ人の領主たちは集まって、ダゴン神に盛大ないけにえをささげ、サムソンを捕えたことを喜び祝いました。ダゴン神は、ぺリシテの主神で、穀物の神です。バアルの父とも言われている神です。

  サムソンを見せ物にして楽しもうと、二階席だけでも、三千人の集う建物の中へと彼を呼び出し、笑いものにしました。しかしそこでサムソンが主に祈りました。「わたしの神なる主よ。わたしを思い起こしてください。神よ、今一度だけわたしに力を与え、ぺリシテ人に対してわたしの二つの目の復讐を一気にさせてください。」その怪力は再び戻りました。「わたしの命はぺリシテ人と共に絶えればよい。」と言って、彼は屋根を支える二本の柱を倒し、建物の内外に居た者らを道連れにして死にました。その際にサムソンが殺した人間の数は、それまでに殺した人数よりも多かったのです。

  彼の兄弟たち、家族の者たちが彼の遺体を引き取り、ツォルアとエシュタオルの間にある父マノアの墓に運び、そこに葬りました。彼は二十年間、士師としてイスラエルを治めました。

  サムソンは生涯ナジル人として聖別された人でした。彼はペリシテ人の攻撃や支配からイスラエルを救う士師として神に選ばれた人でした。主はサムソンを祝福され、ぺリシテを撃つために、特別な力を与えられました。しかし、サムソンはナジル人としての三つの禁止事項を守ったでしょうか。

1.ぶどうの実から出来たのものを一切口にいれてはいけない。「ぶどう酒や強い飲み物を飲んではならない」という禁止については、ティムナの女と結婚するとき、ペリシテの若者の習慣に従い、三十人の客を招き、七日間の宴会を催しています。酒宴だったと思われます。 2.汚れたものや、死体には触れてはいけない、という禁止に関しては、彼を襲った獅子を殺したあと、後日屍に見ようと近づき、獅子の屍骸にむらがる蜜蜂の蜜をかき集め、食べて、禁を犯しています。                                               3.髪の毛を剃ってはいけない、という決まりについては、愛人デボラのしつこい求めに屈して、ナジル人との髪の毛の秘密を洩らし、彼の髪の毛七房をそらせてしまっています。

 サムソンはナジル人としての三つの禁止事項をことごとく破っているのです。サムソンはぺリシテ人の女性を愛したことが、災いを招くことになりました。彼は女性の甘言に弱く、大切な秘密を洩らしたことが、大きな悲劇を生みました。サムソンは信仰の人としてのつつしみのない、乱暴狼藉の怪力をふるった、奔放な情欲の人という印象を与えています。果たしてこのようなサムソンが士師としての資格があるのでしょうか。

  サムソンの人生は、神の選びには似つかわしくないものでしたが、そのようなサムソンを神は士師としてお用いになりました。サムソンの使命は具体的には、敵国ペリシテの人々を可能な限り大勢殺すことでした。それが、生まれる前から、神に託された彼の使命でした。サムソンは、イスラエルの霊的な暗黒時代に一人主からの使命を自覚し、孤軍奮闘して敵と戦い続け、自分の愚かさと罪のためにナジル人としての怪力と両目を失いましたが、ついに自分のいのちと引き換えにペリシテの領主たちと多数の民を殺し、自分の使命を果たしました。その働きによって、イスラエルに優れた指導者サムエルやダビデ王の出現のための下地を造り、その道を開きました。このように、サムソンの罪と弱さがあるにも関わらず、神はサムソンをイスラエルの強敵ペリシテに対して大きな力を発揮した古代イスラエルの英雄としたのです。彼は二十年間、士師としてイスラエルの危機を救いました。

                           サムソンの髪を剃り落す人を呼ぶデリラ

                   レンブラント『サムソンとデリラ』1628年ごろ

 

                         

                     レンブラント『目をえぐられるサムソン』1636年ごろ

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