富谷教会ホームページ・礼拝説教

富谷教会は宗教法人の教会です。教会は礼拝室と二つの茶室からなる和風の教会です。ゴルフ場に接する自然豊かな環境にあります。

「士師エフタと娘の悲劇」 士師記11章1-13節

2014-03-01 22:45:17 | 礼拝説教

〒981-3302宮城県黒川郡富谷町三ノ関字坂ノ下120番地12 TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403

日本キリスト教 富 谷 教 会 

年間標語『主はわたしの羊飼い、わたしには何も欠けることがない。』

聖句「神は神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。」(ロマ8:28)

週     報  降誕節第八主日       2014年3月2日(日)    5時~5時50分 

礼    拝  

前 奏            奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(21) 355(主をほめよ、わが心)

交読詩編   16(神よ、守ってください) 

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

聖 書  士師記11章1-13節

説 教  「士師エフタと娘の悲劇」   辺見宗邦牧師

祈 祷

賛美歌(21)  481(救いの主イェスの)

献 金

感謝祈祷          

頌 栄(21)    24(たたえよ、主の民)

祝 祷

後 奏

 

次週礼拝 3月9日(日)午後5時~5時50分

 説教 「士師サムソンの出生」

 聖書 士師記13章1~24節

 交読詩篇 84  讃美歌402 518 24

本日の聖書 士師記11章1-13節

 1ギレアドの人エフタは、勇者であった。彼は遊女の子で、父親はギレアドである。2ギレアドの妻も男の子を産んだ。その妻の産んだ子供たちは成長すると、エフタに、「あなたは、よその女の産んだ子だから、わたしたちの父の家にはあなたが受け継ぐものはない」と言って、彼を追い出した。3エフタは兄弟たちから逃れて、トブの地に、身を落ち着けた。そのエフタのもとにはならず者が集まり、彼と行動を共にするようになった。

  4しばらくしてアンモンの人々が、イスラエルに戦争を仕掛けてきた。05アンモンの人々が戦争を仕掛けてきたとき、ギレアドの長老たちはエフタをトブの地から連れ戻そうと、やって来た。6彼らはエフタに言った。「帰って来てください。わたしたちの指揮官になっていただければ、わたしたちもアンモンの人々と戦えます。」7エフタはギレアドの長老たちに言った。「あなたたちはわたしをのけ者にし、父の家から追い出したではありませんか。困ったことになったからと言って、今ごろなぜわたしのところに来るのですか。」8ギレアドの長老たちは、エフタに言った。「だからこそ今、あなたのところに戻って来たのです。わたしたちと共に来て、アンモン人と戦ってくださるなら、あなたにわたしたちギレアド全住民の、頭になっていただきます。」9エフタは、ギレアドの長老たちに言った。「あなたたちがわたしを連れ帰り、わたしがアンモン人と戦い、主が彼らをわたしに渡してくださるなら、このわたしがあなたたちの頭になるというのですね。」10ギレアドの長老たちは、エフタに言った。「主がわたしたちの一問一答の証人です。わたしたちは必ずあなたのお言葉どおりにいたします」と答えた。11エフタはギレアドの長老たちと同行した。民は彼を自分たちの頭とし、指揮官として立てた。エフタは、ミツパで主の御前に出て自分が言った言葉をことごとく繰り返した。

  12エフタは、アンモンの王に使者を送って言わせた。「あなたはわたしと何のかかわりがあって、わたしの国に戦いを仕掛けようと向かって来るのか。」13アンモンの王はエフタの使者に答えた。「イスラエルがエジプトから上って来たとき、アルノンからヤボク、ヨルダンまでのわが国土を奪ったからだ。今、それを平和に返還せよ。」

  14エフタは再びアンモンの王に使者を送って、15言わせた。「エフタはこう言う。イスラエルはモアブの地もアンモンの地も奪いはしなかった。

・・・・・・・・・・

  29主の霊がエフタに臨んだ。彼はギレアドとマナセを通り、更にギレアドのミツパを通り、ギレアドのミツパからアンモン人に向かって兵を進めた。 30エフタは主に誓いを立てて言った。「もしあなたがアンモン人をわたしの手に渡してくださるなら、 31わたしがアンモンとの戦いから無事に帰るとき、わたしの家の戸口からわたしを迎えに出て来る者を主のものといたします。わたしはその者を、焼き尽くす献げ物といたします。」32こうしてエフタは進んで行き、アンモン人と戦った。主は彼らをエフタの手にお渡しになった。33彼はアロエルからミニトに至るまでの二十の町とアベル・ケラミムに至るまでのアンモン人を徹底的に撃ったので、アンモン人はイスラエルの人々に屈服した。

本日の説教 

  11章から士師エフタが登場しますが、その前にイスラエルの民の腐敗した状況が10章6節以下に記されています。

 イスラエルの人々がまたもカナンの土着の神々や周囲の国々の神々を拝み、主の目に悪とされることを行ったのです。

 カナン人の神々とは、「バアル」と「アシュトレト」です。バアルは雨を降らし植物に生命を与える肥沃をもたらす神であり、アシュトレトは多産と豊穣の神です。バアルとアシュトレトは男神と女神であり、双方が交わることによって、子どもや家畜、作物がたくさん出来ると信じられていました。バアルの神殿とアシュトレトの神殿は通常一緒にあり、バールの神殿には娼婦や男娼がいて、人々は欲望のままに振舞っていました。このカナンの宗教がイスラエルに大きな影響を与えました。

 カナンの地に定住し、遊牧生活から農耕生活に移ったイスラエルの民にとって、刈入れの豊作をもたらす神と信じられていたバアル崇拝は大きな誘惑でした。イスラエルの民はまたもやこれらの異国の神々を仕え、罪を犯したのです。

 主なる神は怒り、その罰としてイスラエルをアンモン人の支配下におかれ、イスラエルを放置しました。アンモン人はヨルダン川東岸のギレアドを侵略し、ヨルダン川を越えて西岸の地域をも侵し始めました。イスラエル人は、十八年間にわたって苦境に立たされました。

 ついにイスラエル人は、主なる神に救いを求めるようになりました。主はイスラエル人が悔い改めたので、再びイスラエルを憐れまれるようになります。

 アンモン人は自分たちの領土を拡張するために、ギレアドに集結して陣を敷きました。それに対抗するために、イスラエル人はミツバに集まって陣を敷をしいたものの、戦いの指揮を取るにふさわしい人物がいないのに気付きました。

 そこで登場するのがエフタです。まず、エフタの恵まれない生い立ちと勇者であったことが語られます。

  エフタはギレアド氏族の人です。ギレアドは、ヤコブの時代は、ヨルダン川の東側で、ヤボク川の北の山地を指していました。ギレアドとは、山々の「固い」を意味する言葉だと言われています。

   【イスラエルの民がヨルダン川を渡る前、マナセの子マキルの子らはギレアドに行き、そこにいたアモリ人を攻め、これを追い出しました。モーセはギレアドをマナセの子マキルに与え、マキルはそこに住みました(民数記32:39,40)。このマナセ部族の一氏族がギレアドと呼ばれるよになり、勢力を強めて、ヤボク川以南のガト部族の領地に進出し、定住しました。そこで、その地もギレアドと呼ばれるようになりました。それ以来、ギレアドは、ヤボク川以北の山地を指すだけでなく、ギレアド族の住んでいるヤボク川以南もギレアドと呼ばれるよになりました。更に後年には、ヨルダン川東岸全体も、ギレアドと呼ばれるようになりました。】

   「ギレアドの人エフタ」とは、マナセ部族の一氏族であるギレアド氏族の属する人であるエフタということです。

   【マナセ族と主導権を争っていたエフライム族は、ギレアド族が一人前の部族の顔をして行動するのを苦々しく思っていたので、士師記12章4節後半でギレアド族をからかい、侮辱しています。】 

  このギレアドの地に、同じ名前のギルアドという人がいましたが、自分の妻との間に出来た息子のほかに、遊女から生まれたエフタという子がいました。エフタは、その出生のゆえに父の家ではのけ者扱いをされ、正妻の子どもたちによって家から追い出されました。エフタは兄弟たちから逃れてトブの地(ガリラヤ湖の東約60㌔)に住んでいました。エフタは「勇者あった」とあるように、勇敢で統率力があったようです。彼のもとには、ならず者が集まり、共に生活していました。彼はならず者のボス的な存在だったのです。

 アンモンの人々が、イスラエルに戦争を仕掛けてきました。ギレアドの長老たちは、このエフタに目をつけ、アンモンと戦う指揮官になってもらうために、はるばるトブの地にやってきました。その長老たちにエフタが言いまました。「わたしをのけ者にし、父の家から追い出しておいて、困ったことになったからと言って、今ごろなぜわたしのところに来るのですか。」 これに長老たちは「こういう今だからこそです」と答えました。アンモンに攻められ、今緊急事態なのだからと訴えたのです。長老たちは「指揮官となって敵と戦ってくれるなら、ギレアドの全住民の頭(かしら)に就いてほしい」と申し入れ、「このやりとりの証人は主です」と保障したのです。これを受けてようやくエフタは故郷に帰ることに決めたのです。

 ギレアド族の長となったエフタが最初にしたことは、ヨルダン川の東方の地を全て奪うために攻めて来たアモン軍との外交交渉でした。これまでの歴史を振り返れば、互いに戦う理由は何もなく、平和的に話し合いで解決できるのではないかと思い、アンモン王に使者を送り、なぜイスラエルに戦いを挑むのか、とその理由を正しました。

  これにアンモン王は「イスラエルがエジプトから上って来たとき、アルノンからヤボク、ヨルダンまでのわが国土を奪ったからだ。今、それを平和に返還せよ」と迫ったのです。アンモン人は、ギルアデのすぐ東にいる民です。アンモン人は領土問題を理由に戦争を仕掛けてきたのです。

                                       

   エフタは再びアンモンの王に使者を送り、「イスラエルはモアブの地もアンモンの地も奪いはしなかった」と言い、アンモン王の間違った歴史的認識を正しました。
 エジプトを出たイスラエルは、近道であるアンモンの地を回避したことを伝えました。アンモンとモアブは、アブラハムの甥ロトの子孫なので、ヤハウェが手出しを禁じたからです(申命記2章18,19)。
  さらに、ヤコブの兄エサウの子孫であるエドム人の土地も迂回したこと(民数記21章4、10)を告げましいた。イスラエルは迂回して、アンモンの王がいうアルノンではなくその東側に宿営しました。その際も、モアブの国境を侵犯することがないように注意をはらいました(民数記21章11~15)。(地図参照)

 しかし、アモリ人は領地を通過するのを拒んだだけでなく、兵を集めて攻撃してきたので、イスラエルはこれと戦って勝ち、全領土を占領しました。あなたがたモアブの王バラクもイスラエルと戦うことはありませんでした、と伝えたのです。

 さらに、エフタは「あなたはあなたの神ケモシュ(主神ミルコムの間違いか、?)の得させた地を、わたしたちはわたしたちの神、主が得させた地を得たのではありませんか。すでにイスラエルは300年(多民族と士師の支配年数を加算した年数)もこの地を実効支配しているのに、領土権を主張するなら、なぜイスラエルが入ってきたときにやらなかったのか」と伝えました。しかし何とか戦いを回避しようと努めたにも関わらず、アンモン人の王はエフタが彼に送った言葉を聞き入れず、ついに外交交渉は決裂し、戦争状態に入りました。

 主の霊がエフタに臨みました(11:29)。この主の霊が与えられることによって、エフタはイスラエルを救う士師とされたのです。彼はギレアドのミツパからアンモン人に向かって兵を進めました。

 ところがこの時エフタは、とんでもない誓いを立ててしまいます。「もしあなたがアンモン人をわたしの手に渡してくださるなら、わたしがアンモンとの戦いから無事に帰るとき、わたしの家の戸口からわたしを迎えに出て来る者を主のものといたします。わたしはその者を、焼き尽くす献げ物といたします」と誓ったのです。

 こうしてエフタは進んで行き、アンモン人と戦いました。主は彼らをエフタに与えられたので、エフタはアロエルからミニトに至るまでの二十の町とアベル・ケラミムに至るまでのアンモン人を徹底的に撃ったので、アンモンの人々はイスラエルに屈服しました。しかし、主はエフタの誓いに応えて勝利を与えたのではなく、主御自身がイスラエルを憐れまれたからです。

 ところが、エフタがミツパにある自分の家に帰ったとき、戸口から最初に出て来たのは彼の一人娘でした。彼女は手鼓(タンバリン)を打ち鳴らし踊りながら、帰ってきた父を迎えました。それを見たエフタは、悲しみのあまり自分の衣を引き裂きました。出陣の前に、勝って帰ったら、家から最初に出迎える者を「焼き尽くす献げ物」としますと誓っていたからです。

  タンバリンを叩いて出迎えたエフタの娘  

  父から誓いのことを知らされた娘は「父上。あなたは主の御前で口を開かれました。どうか、わたしを、その口でおっしゃったとおりにしてください。主はあなたに、あなたの敵アンモン人に対して復讐させてくださったのですから。」と告げ、自分の死を覚悟しました。その誓約を果たす前に、娘は二か月間家を出て悲しむことを父に願いました。娘は山の中を歩き回って自分が妻にも母にもならずに死ななければならないことを泣き悲しみました。彼女はエフタの一人娘として、ユダヤ社会の女性の名誉である父の家に子孫を残すという務めを果たすことなく、世を去ることをどんなに無念に思ったことでしょう。彼女には親しい友が付き添いました。

  娘が父のもとに帰って来ると、エフタは立てた誓いどおりに娘をささげました。聖書には「毎年、年に四日間、ギルアデ人エフタの娘のために嘆きの歌を歌うことがしきたりとなった」とあります。

 エフタは六年間士師としてイスラエルを治め、死んで自分の町ギレアドに葬られました。

  エフタが「焼き尽くす献げ物といたします」と誓ったのは、異教の神々に捧げられている人身御供(ひとみごくう)の風習の影響を受けたためと思われます。エフタがうかつな誓願をしたために自分の唯一人の愛娘を死なせる結果を招いたのは、彼の律法に関する知識と理解の乏しさに原因がありました。
 レビ記18章21では、人身犠牲の風習を禁じています。エレミヤは、「わたしの名によって呼ばれるこの神殿に、彼らは・・高台を築いて息子、娘を火で焼いた。このようなことをわたしは命じたこともなく、心に思い浮かべたこともない」(エレミヤ書7:30-31)と言っています。エフタは主なる神が望まない誓願を立て、実行したのです。

  これは、紀元前1000年前後の原始的な時代を背景として起きた悲劇的な出来事でした。エフタは誓う必然性のない誓願をたてたことにより自分と娘を苦しめる事態を招きました。娘も父親同様、イスラエルの神に関する正確な知識がないために、身を捧げることを承知しました。しかし、親子共に、自分たちの幸せより、国の幸福と主の栄光を優先させ、誓ったことを守ろうとしたことは、当時の旧約の民イスラエルとしては賞賛に値する行為だったのでしょう。エフタの娘の父親を思う愛と神に対する敬虔さと従順さには、胸を打たれとともに、彼女の死が悼(いた)まれてなりません。

  主イエスは、「一切誓いを立ててはならない」(マタイ5:34)と教えておられます。そして「「はい」は「はい」、「いいえ」は「いいえ」とだけ言いなさい(マタイ:5章37節)」とも言われました。神様の御心を察して「神様の御心なら、正しいとして行えば良いし、御心でないなら行わなければ良い」ということを教えています。「心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして神を愛し、また隣人を自分のように愛する」ということは、どんな焼き尽くす献げ物やいけにえよりも優れています」(マルコ12:33)と教えています。

  神の御子、主イエスは御自分を、わたしたちの罪のために、完全な「唯一の生け贄」(ヘブライ:10章12節)として献げてくださっていることを深く感謝したいと思います。

 

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