富谷教会ホームページ・礼拝説教

富谷教会は宗教法人の教会です。教会は礼拝室と二つの茶室からなる和風の教会です。ゴルフ場に接する自然豊かな環境にあります。

「最初の預言者サムエル」 サムエル記上7章1-17節

2014-03-16 21:40:41 | 礼拝説教

〒981-3302宮城県黒川郡富谷町三ノ関字坂ノ下120番地12 TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403

日本キリスト教 富 谷 教 会 

年間標語『主はわたしの羊飼い、わたしには何も欠けることがない。』

聖句「神は神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。」(ロマ8:28)

   週     報 

受難節節第二主日       2014年3月16日(日)     5時~5時50分 

礼    拝 

前 奏            奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(21) 404(あまつましみず)

交読詩編   71(主よ、御もとに身を寄せます) 

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

聖 書  サムエル記上7章1-17節

説 教 「最初の預言者サムエル」  辺見宗邦牧師

祈 祷

賛美歌(21)  464(ほめたたえよう)

献 金

感謝祈祷          

頌 栄(21)    24(たたえよ、主の民)

祝 祷

後 奏

 

次週礼拝 3月23日(日)午後5時~5時50分

 説教 「ルツの決意」

 聖書 ルツ記1章1-10節

 交読詩篇 63  讃美歌(21)459  529  24

本日の聖書 サムエル記上7章1-17節

1キルヤト・エアリムの人々はやって来て、主の箱を担ぎ上り、丘の上のアビナダブの家に運び入れた。そして、アビナダブの息子エルアザルを聖別して、主の箱を守らせた。

2主の箱がキルヤト・エアリムに安置された日から時が過ぎ、二十年を経た。イスラエルの家はこぞって主を慕い求めていた。

3サムエルはイスラエルの家の全体に対して言った。「あなたたちが心を尽くして主に立ち帰るというなら、あなたたちの中から異教の神々やアシュタロトを取り除き、心を正しく主に向け、ただ主にのみ仕えなさい。そうすれば、主はあなたたちをペリシテ人の手から救い出してくださる。」

4イスラエルの人々はバアルとアシュタロトを取り除き、ただ主にのみ仕えた。5サムエルは命じた。「イスラエルを全員、ミツパに集めなさい。あなたたちのために主に祈ろう。」6人々はミツパに集まると、水をくみ上げて主の御前に注ぎ、その日は断食し、その所で、「わたしたちは主に罪を犯しました」と言った。サムエルはミツパでイスラエルの人々に裁きを行った。

 7イスラエルの人々がミツパに集まっていると聞いて、ペリシテの領主たちはイスラエルに攻め上って来た。イスラエルの人々はそのことを聞き、ペリシテ軍を恐れて、8サムエルに乞うた。「どうか黙っていないでください。主が我々をペリシテ人の手から救ってくださるように、我々の神、主に助けを求めて叫んでください。」

9サムエルはまだ乳離れしない小羊一匹を取り、焼き尽くす献げ物として主にささげ、イスラエルのため主に助けを求めて叫んだ。主は彼に答えられた。10サムエルが焼き尽くす献げ物をささげている間に、ペリシテ軍はイスラエルに戦いを挑んで来たが、主がこの日、ペリシテ軍の上に激しい雷鳴をとどろかせ、彼らを混乱に陥れられたので、彼らはイスラエルに打ち負かされた。11イスラエルの兵はミツパを出てペリシテ人を追い、彼らを討ってベト・カルの下まで行った。12サムエルは石を一つ取ってミツパとシェンの間に置き、「今まで、主は我々を助けてくださった」と言って、それをエベン・エゼル(助けの石)と名付けた。

13ペリシテ人は鎮められ、二度とイスラエルの国境を侵すことはなかった。サムエルの時代を通して、主の手はペリシテ人を抑えていた。14ペリシテ人がイスラエルから奪い取っていた町々は、エクロンからガトまで再びイスラエルのものとなった。イスラエルはその周辺の村々をもペリシテ人の手から救った。イスラエルとアモリ人との間は平和であった。

15サムエルは生涯、イスラエルのために裁きを行った。16毎年、ベテル、ギルガル、ミツパを巡り歩き、それらの地でイスラエルのために裁きを行い、17ラマに戻った。そこには彼の家があった。彼はそこでもイスラエルのために裁きを行い、主のために祭壇を築いた。

本日の説教 

   預言者サムエルは、「サムエル記上」の最初に登場します。1章から3章までは、サムエルの奇跡的な誕生から、彼が成長して預言者と知られるようになり、イスラエルの霊的指導者になるまでが記されています。

 1章:エフライムの山地ラマ(=ラマタイム・ツォフィム)に住むエルカナの妻ハンナは、シロの神殿に、年一度の礼拝をしに行った時、男の子を授けてくださいと祈り、願がかなったときには、その子をナジル人として神に捧げることを誓いました。彼女は男の子を授かったとき、その名をサムエル(その名は神)と名付けました。その子が乳離れしたとき、その幼子を、シロの祭司エリに託しました。

  2章:サムエルは「主に仕え」(2:18)、「主のみもとで成長し」(2:21)ました。

  3章:「サムエルは神の箱が安置された主の神殿に寝て」いました。神の箱がシロに運ばれたのはヨシュアの時代で、その頃は臨在の幕屋に安置されていました(ヨシュア記18:1)。その後、士師時代後期に、戦いのために、一時南のベテルに運ばれたことがありました(士師記21:27)。ヨシュアの時代から、およそ180年も経過しており、幕屋ではなく神殿に安置されています。神の箱は「契約の箱」とも呼ばれています。

 [インディ・ジョ―ンズの「失われたアーク<聖櫃>という冒険映画に出てくるのは、「金の<神の箱>を、イメージしています。]        

    

  サムエルは、神の箱の番をする役目のためか、この神殿で寝ていたとき、主の呼びかけを聞き、「ここにいます」と答えて、祭司のエリもとに走って行きました。同じことを三度も繰り返しました。エリは、少年を呼ばれたのは主であると悟り、もしまた呼ばれたら、「主よ、お話しください。僕は聞いております」と答えるようにと教えました。主は来て、これまでと同じように、「サムエルよ。」と呼ばれました。サムエルはエリに教わったように答えました。主はサムエルにエリの二人の息子の罪のゆえに、エリの家を罰すると語られました。サムエルはこのお告げをエリに伝えることを恐れましたが、エリから隠さずに話すように言われ、一部始終を話しました。サムエルは成長し、主は彼と共におられ、シロでサムエルに御自身を示されたので、サムエルは主の預言者としてイスラエルの人々に認められるようになりました。当時、イスラエルの人々はカナンの地では、真の神から離れたので、以前のように直接に神の語りかけを聞くことができなくなっていました。そのような中で起こされたのが預言者です。サムエルは最初の預言者とされたのです。

  4章から6章までは、ぺリシテ人の攻撃により、イスラエルは大きな打撃を受け、一時は神の箱を奪われたことが記されています。

   4章:シロにあった神の箱は、戦いの勝利をもたすために野営地のエベン・エゼルに運ばれましたが、ぺリシテ軍の攻撃にイスラエル軍は敗北したため、神の箱は奪われ、「神の箱」を担いだ、エリの二人の息子は戦死しました。二人の息子の死と、「神の箱」が奪われという報告を聞いて、エリは倒れて首を折って死にました。エベン・エゼルは「栄光が去った」と言わしめるほどの屈辱の場所となりました。

   5章:神の箱は、アシュドドに運ばれました。神の箱は、ぺリシテ人に災いをもたらしました。住民は疫病にかかり、苦しみました。神の箱の不気味な力を恐れて、ペリシテ人は、神の箱をガトに移し、更ににエクロンと移しました。

  6章:ぺリシテ人の地には7ヶ月置かれた後、神の箱は、イスラエル人の地、ベト・シュメシュに送り返されました。ところが主の箱の中をのぞいたベト・シュメシュの人々が災いに襲われたので、キルヤト・エアリムの人々に引き取ってもらうことにしたのです。

  7章:キルヤト・エアリムは、古いカナン人の町て聖所とされていた地だったからと思われます。「契約の箱」が戻ってもなお、イスラエルの民は堕落し、信仰を失ったままでした。それ以来、二十年間も神の箱は放置されました。ぺリシテによる支配に耐えかねて、イスラエルの家はこぞって主を慕い求めました。

   サムエルはイスラエル全国民に言いました。「心から神様のもとに帰りたいのなら、外国の神々やアシュタロテの偶像を取り除きなさい。神様お一人に従う決心をしなさい。そうすれば、ペリシテ人の手から救い出していただけます。」そこで人々は、バアルやアシュタロテの偶像を取りこわし、神様だけを礼拝するようになりました。

   それを見て、サムエルは命じました。「全員、ミツパに集合せよ。あなたがたのために神様に祈ろう。」 人々はミツパに集結し、井戸からくんだ水を神様の前で注ぐという、一大儀式を執り行ないました。また、自らの罪を悔いて、まる一日断食しました。こうして、サムエルはミツパで、イスラエルを治めたのです。サムエルはイスラエルを統一する王が誕生する前の最後の士師でした。彼はまた、最初の預言者として神の言葉を民に伝え,イスラエルを統治しました。

  ペリシテ人の指導者たちは、ミツパにイスラエルの大群衆が集結したことを知り、兵を動員して攻め寄せてきました。ペリシテ軍が近づいて来たと聞いて、イスラエル人は恐れおののきました。「どうぞ、お救いくださるよう、神様に願ってください。」とサムエルに嘆願しました。

   そこでサムエルは、子羊一頭を取り、完全に焼き尽くすいけにえとして神様にささげ、イスラエルを助けてくださるよう祈りました。祈りは答えられました。ちょうどサムエルがいけにえをささげていた時、ペリシテ人が攻めて来ました。ところが神様は、天から大きな雷鳴をとどろかせ、彼らを大混乱に陥らせてくださったのです。敵はたちまち総くずれになりました。イスラエル人は、ミツパからベテ・カルまで追い打ちをかけ、完全に敵を滅ぼしました。この時サムエルは、一つの石をミツパとシェンの間にすえ、「エベン<石>・エゼル<助けの>」と名づけました。「助けの石」という意味です。彼が、「今まで、主は我々を助けてくださった」と言ったからです。

   こうしてペリシテ人は制圧され、サムエルが生きている間、二度とイスラエルを襲撃しませんでした。神様がペリシテ人を見張っておられたからです。ペリシテ人に占領された、エクロンからガテに至るイスラエルの町々は、イスラエル軍が奪い返しました。

  サムエルは生涯を通して、イスラエルを統治しました。毎年、サムエルは、ベテル、ギルガル、ミツパと回わりました。それから生家のあるラマへ戻り、そこでも種々の訴えを聞き、解決しました。ラマに神様のために祭壇を築きました。

   エベン・エゼルは、イスラエルの民がぺリシテ軍に対して陣を敷いたときの野営地でした(4:1)。そこは敗北の地でした。その場所は、海岸平野とエフライム山地の境目付近と思われます。

   サムエルがペリシテに勝利して、石を取って、エベン・エゼルと名付けた地はミツパに近い内陸部でした。二つの場所は別々のようです。どちらの場所も正確な位置は不明です。どちらもぺリシテ人と戦ったところです。

   4章では、イスラエルが神の箱の呪術的な力に頼り、それを自分たちの都合のために役立てようとして、かえって敵を鼓舞することになり、大敗北を喫しました。十戒の石の板を収めたとされる「神の箱」は、神の現臨の象徴であり、戦いにおける加護と勝利を与えてくれるものと考えたのですが、しかしイスラエル人の期待と予想に反し、敗北し、神の箱は奪われました。

  これに対して、7章の10節以下では、イスラエルは、神への悔い改めと、預言者サムエルの執り成しの祈りによって大勝利を与えられています。主が守ってくださったことによって勝利したのです。サムエルは、「今まで、主は我々を助けてくださった」と言っています。「主の助けのお蔭で勝利できた。」今、我々は主に助けられて生きている、と感謝したのです。「今まで」ということは、「これからも」もという、主に対する信頼が含まれています。

  聖歌273番の2節の歌詞で、「神より離れて、迷いし我を、イェス君、見出し給いし日より、恵みにもれたる時はなかりき。いざうちたてまし、エベネゼル(=エベン・エゼル)をば。」と歌っています。エベネゼルはラテン語訳のことばが、さらに英語訳の言葉になったようです。

  讃美歌21の464番「ほめたたえよう」の1節では、「ほめたたえよう、主のみめぐみ。今日まで旅路を、主は守られた」と歌っています。

  私は、私も、家族も、教会の方々も、「今まで」、これまでずっと、健康においても、経済的にも、精神的にも、すべての面で、主に助けられてきたことを覚えざるを得ません。主の十字架の贖いにより、罪赦され、主の愛を受けて生かされていることは感謝です。

  主は我々を助け、救ってくださった方であり、これからも助けてくださる方であることを覚え、心に「エベン・エゼル(助けの石)」なるキリストを迎え、主に感謝し、「世界の民よ、たたえうたおう。『あがないの主に、み栄えあれ』と。」、と賛美しようではありませんか。

 

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