塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

監督にとって戦術の幅は不可欠か

2012-11-05 23:22:59 | 日記
 監督にとって戦術は指導の中でどのくらいのウエイトを占める物なのでしょうか?

 ヒディンクのように戦況を見つめながら、随時布陣を変える監督は傍から見ていても凄いですし、一度
彼が日本代表を指揮する姿を見てみたいと思います。

 それは

 「現在のサッカーにおいて、交代は負傷した選手の穴を埋めるものではない。
  選手11人を最適な戦術で戦わせる要素なのだ。」

 という概念を、僕たちに示してくれるはずだからです。

 その一方でヒディンクの要求を選手がこなすには、思考の柔軟性とプレイの幅が問われるのですが。

 逆に戦術をただひとつしか持たない指揮官も存在します。

 例えばマルセロ・ビエルサがそうでしょう。

 アテネ五輪で金メダルに輝いたアルゼンチン代表は、その2年前日本で頓挫した3-4-3が見事なまで
に機能し、全勝で優勝を飾りました。

 ビエルサといえば3-4-3という連想は、今も昔も簡単になりたちますが、昨年就任したビルバオでは
4バックも導入し、懐の深さを見せています。

 一方で

 「古臭い戦術」
 「彼は既に時代遅れ」

 と揶揄されながらも、一貫して4-3-3を踏襲してきたのがズネスク・ゼーマンです。

 オズバルトにトッティ、ラメロにデストロと攻撃陣に豊富な駒を揃えるローマにとって、ゼーマンは最適
の人物を言われています。

 ただ、攻撃は見ごたえがあるがタイトルとは無縁というのが、彼に必ず付いて回る枕詞ですが。

 彼が90年代初頭、フォッジャでその鮮やかな攻撃サッカーを展開していたとき、イタリアは当然サッキ
の支配下に置かれていました。

 つまり時は4-4-2の全盛期でした。

 その後ユヴェントスをドーピングで告発するなど、周囲と迎合することを嫌ったこのチェコ人は、その姿勢
を今でも守っていると言えます。
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