「滝」の俳句~私の心に見えたもの

220728 佐々木博子(「滝」瀬音集・渓流集・瀑声集 推薦作品より)

花野風歩荷は立ちしまま休む 鈴木幸子 「滝」1月号<滝集>

2015-01-16 04:20:03 | 日記
 私は、富士山で(200リッター入り)ドラム缶を背負う歩
荷を見たことがあるが、登山道の脇の所々に、立ったままで
荷が乗せられるように頑丈な第がしつらせえてある。作者は
実際にこの場面に会っているのかも知れないが些細な事も見
逃さない作者の目は鋭い。花野風がさわやかで心地良い。(木下あきら)

鮪船ゆけど銀河の幅を出ず 相馬カツオ 「滝」1月号<瀑声集>

2015-01-15 04:41:53 | 日記
 海の男たちは最高の鮪を求めて船団を組んで荒海をものと
もせず漁をしながら、一年を超える航海に出る。南方航路、
インド洋の歌詞が踊る気仙沼のスナックでよく歌われる「お
いらの船は三百トン」の世界を想起していまう。句意は鮪漁
をしている間も、銀河は天球を大きく流れてゆく変らぬ悠久
の景を描き、幅を出ずとは、則をば越えずであり、人の営み
の愛おしさを描いて余りある。(赤間学)

冬の虹口の大きな女来る 谷口加代 「滝」1月号<渓流集>

2015-01-14 04:23:48 | 日記
 冬の虹とは一色も欠かさない鮮明な虹のことであり、寒い
地上でふさぎがちになっている人々の心を、にわかにときめ
かせてくれながら、神々しさをもまとっている。中七下五は
「口の大きな女来る」と繋がるが作者が女性であるので男子
としては違う捉え方になりそうだが、街騒の中を、溌剌と開
放感に溢れた口の大きな若い女性が来ると昔を懐かしむ自画
像が描かれている。そして、その晴れがましい姿と背中合わ
せに「あはれ」「儚さ」を読者に感じさせる。(赤間学)

行く末を海鼠となつて考へる 鈴木要一 「滝」1月号<渓流集>

2015-01-13 04:25:40 | 日記
 この感性は要一さんしか持ち得ない。俳画を描く要一さん
にとっては当たり前の姿であろうが、この俳句の世界はどこ
か斜にみて真実を切り取ってゆく要一ワールドである。老境
を逆手にとって、真面目に考えるとは言っているが、その余
裕こそ、海鼠の姿であり、海底に漂いながら、今後も「滝」
の進む道をご教示願いたいものである。(赤間学)

行く末を海鼠となつて考へる 鈴木要一 「滝」1月号<渓流集>

2015-01-12 05:53:49 | 日記
 ご家族に恵まれている作者に家庭での悩みなどあるまい、
では仕事の悩みか。昔、フランキー堺主演の「私は貝になり
たい」という映画があったが、それほど深刻な悩みでもない
だろう。一句に仕立てて解決では、あまり重く考えなくても
あるがままで良いのではないでしょうか。(木下あきら)