行雲流水

仏教をテーマとした記事を掲載しています。

禅語(31)・・・閑坐聴松風

2015年06月12日 | 禅の心
忙しいことは自慢ではありません

忙しいのも忘れるのも、心が亡くなると書きます

心に余裕がないと

ストレスで押しつぶされて

命を縮めることになります

世間の常識に騙されてはいけません

仕事より自分を大切にしましょう



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禅語(24)・・・無功徳

2015年06月12日 | 禅の心
達磨大師が、インドから梁の国に来たとき、武帝に会いました。

武帝は、「わしは、仏を熱心に帰依しとるんじゃけど、どんなにええことがあるのかいのう?」

と聞きました。

達磨大師は、「無功徳」と答えました。

功徳なんてないよというわけです。

逆説的になりますが、禅や仏教の功徳とは小さなものではありません。

自分は仏教に帰依しているのだから偉いのだと言う人がいます。

坐禅をしたから肝がすわっているのだという人がいます。

お寺に通っても、坐禅をしても、人を傷つけたり、おごり高ぶる人は仏教徒ではありません。

優しさや謙虚さが身についてこそ仏教徒と言えるのです。

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禅語(23)・・・青山元不動 白雲自去来

2015年06月09日 | 禅の心
青山元不動 白雲自去来

世間に振り回されて生きるか、しっかり自分をもって生きるか。

値打ちある人生はそのあたりで決まるのかなと思います。

大衆がカリスマ性のある政治家に熱狂することで、戦争は引き起こされ、世の中は地獄へと向かっていきます。

戦争は人間の怒り、愚痴、貪りの心が引き起こすものなのです。



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禅語(22)・・・世間虚仮

2015年06月05日 | 禅の心
世間虚仮は、聖徳太子の言葉であるといわれています。

世間はあてになりません。

戦時中は世間は戦争向かってまっしぐらでしたが、戦後はがらりと変わりました。

学生運動の時代に左翼活動をしていた人たちが、今は右翼を名乗ったりしています。

その時代によって変わっていくのが人の世というものです。

過激な権力者や、世間に流されてふらふらと生きているのはつまらないことです。

そう考えた釈尊は世間を捨てて出家したのです。

出家とは出世間です。

そして真理を求めて邁進するのが修行なのです。

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禅語(21)・・・行雲流水

2015年06月02日 | 禅の心
行雲流水は、若い人には自由きままという意味で受け取られていて、ある意味受けのよい言葉です。

しかし、行雲流水は自由気ままではなく、人生の無常を語っている言葉です。

自分も自分の周りも雲や水のごとく、とどまるところを知らず、常に変化しています。

威張り散らしていた権力者が、突然落ちぶれたり、

不遇の人が幸運をつかみ取ったりと、状況は常に変化しています。

そして、年をとり、病気になって死んで行きます。

この流れは誰にも止めることはできません。

そんな諸行無常の中で、本当に価値ある人生とは何か

たまには考えてみる必要があると思います。



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