達磨大師が、インドから梁の国に来たとき、武帝に会いました。
武帝は、「わしは、仏を熱心に帰依しとるんじゃけど、どんなにええことがあるのかいのう?」
と聞きました。
達磨大師は、「無功徳」と答えました。
功徳なんてないよというわけです。
逆説的になりますが、禅や仏教の功徳とは小さなものではありません。
自分は仏教に帰依しているのだから偉いのだと言う人がいます。
坐禅をしたから肝がすわっているのだという人がいます。
お寺に通っても、坐禅をしても、人を傷つけたり、おごり高ぶる人は仏教徒ではありません。
優しさや謙虚さが身についてこそ仏教徒と言えるのです。
武帝は、「わしは、仏を熱心に帰依しとるんじゃけど、どんなにええことがあるのかいのう?」
と聞きました。
達磨大師は、「無功徳」と答えました。
功徳なんてないよというわけです。
逆説的になりますが、禅や仏教の功徳とは小さなものではありません。
自分は仏教に帰依しているのだから偉いのだと言う人がいます。
坐禅をしたから肝がすわっているのだという人がいます。
お寺に通っても、坐禅をしても、人を傷つけたり、おごり高ぶる人は仏教徒ではありません。
優しさや謙虚さが身についてこそ仏教徒と言えるのです。