行雲流水

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もう一人のジブンがみてござる

2021年06月22日 | 法句経
愚かにも、悪い見解にもとづいて、真理にしたがって生きる真人、聖者たちの教えを罵るならば、その人には悪い報いが熟する。カッタカという草は果実が熟すると自分自身が滅びてしまうように。(法句経164)陰謀論者や「コロナはただの風邪」には自分で自分の首を絞めることになる。

みずから悪をなすならば、みずから汚れ、みずから悪をなさないならば、みずから清まる。清いのも清くないのも、各自のことがらである。人は他人を清めることはできない。(法句経165)お天道様が見ていなくても、お地蔵様が見ていなくても、悪いことをすれば自分の中のもう一人のジブンが見ていて裁かれるよ。

たとい他人にとっていかに大事であろうとも、自分でない他人の目的のために自分のつとめをすて去ってはならぬ。
自分の目的を熟知して、自分のつとめに専念せよ。(法句経166)他人に支配されるのではなく、自分を生きる。他人を支配するのではなく、他人を活かす。
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