行雲流水

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寒山の禅心

2013年11月19日 | 禅の心
欲得安身處  安身の処を得んと欲せば

寒山可長保  寒山長(とこしなえ)に保つべし

微風吹幽松  微風幽松を吹く

近聴声愈好  近く聴けば声愈好し

下有班白人  下に班白の人有り

喃喃読黄老  喃喃(なんなん)として黄老を読む

十年帰不得  十年帰る事を得れば

忘却来時道  来時の道を忘却す




心身の安らぎを得たいのなら、
この寒山こそ、永久に良き場所じゃろう。
ここは山深く、幽松に微風が吹いて、美しい音色を奏でている。
近づいて聴けば聴くほどその声はいよいよ美しく心を洗うようじゃ
松の木陰には半分白髪の老人がいて
喃喃(なんなん)と声を出しながら宗教書を読んでいる。
もう十年も家に帰らないから、
来たときの道も忘れてしまっている。


これは寒山詩の中でも傑作と言われている詩です。
良い山、悪い山という相対的な思考を超えるために、「山」に「寒」をつけているのです。どこかに良い場所があるのではなく、自分のいるこの場所が良い場所なのです。
幽松の「幽」は、感覚でも理屈でもとらえることのできない存在をいいます。
幽松と微風と自分が一つにとけあう。異なるものが、対立するのではないというのが、禅の心なのです。
最後の一節は、悟りを開いてもその悟ったことすら忘れているのが本物の悟りだということです。「自分は、偉いんだ」という天狗の鼻をへし折って、謙虚に生きる生き方を寒山は勧めているのです。自分のことを偉いと思う心をとるのが、悟りなのです。

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