行雲流水

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酒井雄哉師が千日回峰行を語る

2014年03月14日 | 最澄・天台宗・比叡山
 行にしても、何のためにやっているか、自分でもわかんないだよ。とにかくやっているだけのことだな。ほかの人たちは、それ相応の理由があって坊さんになったり、子供のころから仏さんの生活をしていたんだろうがなあ。ぼくなんかは、気が付いたらいい年になっていて、坊さんになっちゃったてなもんかな。

  七年かけて満行する千日回峰行にしても、つらいぞ、命を落とすかもしれない、それでもやるか、っていわれてやったの。頼んでやらせてもらっただけに苦しいとかいえないのよ。
  行き道は いずこの里の 土まんじゅう
回峰行の師で亡くなった箱崎文応師が詠んでくれた句だよ。お師匠さんから見たら、ひ弱い、頼りない小僧に見えたんだろう。それで、このぐらいのことをいうとかないと、もたつくんじゃないかと、こんな句を詠んでくれたんかもしれないね。
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