人之過誤宜恕、而在己則不可恕。
己之困辱当忍、而在人則不可忍。
人の過誤(かご)は宜しく恕(ゆる)すべきも、而(しか)も己(おのれ)に在(あ)りては則(すなわ)ち恕(ゆる)すべからず。
己(おのれ)の困辱(こんじょく)は当(まさ)に忍(しの)ぶべきも、而(しか)も人に存(あ)りては則(すなわ)ち忍ぶべからず。
他人の過ちは許すようにすべきであるが、自分の過ちは許してはいけない。
自分の苦しみや屈辱には耐えなければならないが、他人の苦しみに対しては見過ごしてはならない。自分のことは差し置いて、全力で苦しんでいる人を助けなければならない。
仏教では、「自分はどうか」ということが一つの大きなテーマになっています。古今東西、クレーマーと呼ばれる人がいます。クレーマーの中には他人の過ちに敏感ですが、自分には甘い人がいます。自分の悪に気づくことなく、ただ、他人を責め立てる人は決して良い人生を送って行くことができません。他人は何も言わなくても、煙たがり誰からも相手にされなくなっていくからです。徳を備えた人は、自分には厳しく、他人には優しいものです。
己之困辱当忍、而在人則不可忍。
人の過誤(かご)は宜しく恕(ゆる)すべきも、而(しか)も己(おのれ)に在(あ)りては則(すなわ)ち恕(ゆる)すべからず。
己(おのれ)の困辱(こんじょく)は当(まさ)に忍(しの)ぶべきも、而(しか)も人に存(あ)りては則(すなわ)ち忍ぶべからず。
他人の過ちは許すようにすべきであるが、自分の過ちは許してはいけない。
自分の苦しみや屈辱には耐えなければならないが、他人の苦しみに対しては見過ごしてはならない。自分のことは差し置いて、全力で苦しんでいる人を助けなければならない。
仏教では、「自分はどうか」ということが一つの大きなテーマになっています。古今東西、クレーマーと呼ばれる人がいます。クレーマーの中には他人の過ちに敏感ですが、自分には甘い人がいます。自分の悪に気づくことなく、ただ、他人を責め立てる人は決して良い人生を送って行くことができません。他人は何も言わなくても、煙たがり誰からも相手にされなくなっていくからです。徳を備えた人は、自分には厳しく、他人には優しいものです。