行雲流水

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歩く

2012年07月06日 | 最澄・天台宗・比叡山
比叡山千日回峰行を二回成し遂げた、酒井雄哉師(天台宗大阿闍梨)の含蓄ある言葉です。

 人間だって自然の一部。自然はいろいろな命がつながり合っている。たった一人で生きている人間なんて誰もいない。誰もがいろいろな命の中で生かされているんだな。
 自然と離れて生活しているとそれを忘れてしまうけれど、自然の中に身を置いてみると、ああ一人ではないんだんなあ、としみじみ思うよ。

人間の自然な姿は歩くことだから、歩くことは人間を振り出しに戻してくれる。何かを振り返らせてくれるような気がする。原点かもしれない。地べたに自分の足がつくことで、土地とふれあい、大地の力をいただくことができる。
何かを置き忘れているような気がしたら、少しずつでいいから、歩いてみるといい。歩くことがきっと何かを教えてくれるよ。

自分の中に如来様がいて、日光と月光とが自然の中に立っている。仏さんなんて探したっていないんだ。自分の心の中にあるんだな。

呼吸のことはよく知らなかったけど、呼吸に意識を集中していたら気持ちが静まってきた。
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