私は宗教に対して嫌な思いをしてきたので、宗教が好きなわけではありません。宗教は素晴らしいものだとも必要なものだとも思っていません。むしろ宗教に依存したり、宗教が元で争ったりすることが危険だと思っています。宗教は石膏の美術品の鋳型のようなもので、作品が完成すれば鋳型はいらないように、人間が完成すれば宗教は捨ててしまえばいいのです。というよりも美術品は鋳型そのものの本質を内在しているのですから、宗教がいらないというよりも、日々の生活が座禅であり念仏であり祈りであればいいのです。神や仏が自分の中にある状態と言ってもいいのかもしれません。これが才市さんのいう「阿弥陀仏の方からワシになる」ことで、華厳経の「事々無礙法界」ではないでしょうか。
ただ、才市さんのような心境になる人はまれで、私のような凡人にはとても到達できないことです。
ただ、才市さんのような心境になる人はまれで、私のような凡人にはとても到達できないことです。