行雲流水

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つぶやきまとめ7

2022年03月22日 | 仏の心
「偏らない、こだわらない、とらわれない」ことが、幸せによりよく生きていくためには必要だと仏教では説いています。人は自分に都合のよい偏った情報を集めて、陰謀論やカルトに陥ってしまいます。自分に都合のよい情報を集めてしまうのは、自分にこだわり、とらわれ、執着してしまう我執によります。自分のこだわり、とらわれを点検する作業が必要になります。これがメタ認知です。それには自分を客観的に見つめる力が必要になります。

【逆さ天狗】高慢なのはよくないが、自分は馬鹿だ愚かだと必要以上に卑下して見せるのも、自分をよく見せたいという慢心の裏返しだ。高慢なのも自分を卑下し過ぎるのも結局は同じこと。

酒酔い、乗り物酔いはいずれ醒めるが、自己陶酔という酔いは怖い。自己陶酔は自分も破壊し、他人も妄想の世界へと導いていくからだ。自己陶酔している政治家や宗教家、哲学者には要注意。

「仏教は良いけどキリスト教はだめ」とか「老子はよくて孔子はだめ」という○×思考をしていると、考え方が偏って精神力を弱らせてしまう。栄養が偏ると体が弱っていくように。

「自己嫌悪を持たない、逆に言うならば、自己反省をまったく念頭におかない無反省な人間は、見ていても不愉快だからね」(志賀直哉)本当に自己肯定感のある人は、きちんと客観的に自分を見つめることができる。

助言を求める人に対して、有害な情報を教える人、あるいは最も有益な情報を隠しつつ教える人。彼を不徳の人であると知れ。『スッタニパータ126』▶すぐ怒る人、他人を恨む人、偽善的な人、だます人、誤った理論を実践している人。このような者を不徳の人であると知れ。『スッタニパータ116』お釈迦様はすぐ怒ったり、ウソをついたり、人を惑わしたりする子どもでもわかる行為を厳に戒めているのです。