行雲流水

仏教をテーマとした記事を掲載しています。

自然に学ぶ

2018年09月14日 | 仏の心
泣露千般草

吟風一様松

寒山のあまりにも美しい詩です。寒山は中国の唐の時代のお坊さんで、
拾得というお坊さんと仲が良く、寒山も拾得もいつもニヤリと笑った姿で絵に描かれています。
子供のように無邪気で、日本では一休さんのような存在と言っていいと思います。
子供のように無邪気で明るい人には二通りあります。
全く精神的に成長していなくて、子供のままの無邪気さをもった持った人。もう一つは悩み、苦労をして辛酸をなめたことを乗り越えた明るさをもった人です。寒山拾得や一休さんの明るさ、無邪気さは、後者の苦難を乗り越えたものであることは言うまでもありません。
鉄でもたたかれて、きたえられて強くなります。人間もそうだと思います。強い人間とは、しなやかさ、優しさをもった人です。鉄がいくら固くても、しなやかでなければ、もろく、割れやすくなります。

さて、この寒山の詩ですが、ちょうど今頃の季節の様子でしょうか。千草が露の重みでうなだれているのを、千草が泣いているようだと表現し、風になびいている松の枝の音が、松が吟じているようだと表現しています。
あまりにも美しい光景だと思います。
私は自然を鑑賞するものではないと思ってい
ます。自然は自分そのものであり、自然の光景は自分の心の中の姿だからです。美しいものを素直に美しいと思うのは、自分の心のはたらきだからです。

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