行雲流水

仏教をテーマとした記事を掲載しています。

宗教と道徳

2010年06月25日 | 禅の心
宗教と道徳は似て非なるものです。道徳は、権力者の都合によって変わって行くもの。宗教は永遠普遍の真理。カントのいう道徳法則の普遍的妥当性とは宗教に近いものなのかもしれません。戦争中にあっては、敵を多く殺傷することが道徳でした。時として、殺人が道徳になることもあるのです。江戸時代の「武士道」も道徳の一つです。そもそも武士道は、幕府が平和な時代に武士はかくあるべきということを示すのが目的だったと思われます。つまりは権力者が支配するための押し付け的なところがあります。
江戸時代には幕府や諸藩に忠実であれとうたったものでした。明治政府はこれをうまく取り入れ、明治維新から戦前までは、国家や天皇陛下に、忠実であれと置き換えたのでした。そして現代は会社や組織に忠実であれといったところでしょうか。
明治維新で武士道の精神の形を変えて行ったのは、山岡鉄舟らでしょう。ただ、山岡鉄舟は平和主義者なので、これを戦争への道に繋げようとは思わなかったと思います。ただ、武士道の精神を教育勅語に取り入れたのは確かです。
私が、武士道について疑問を持っているのは、人の命を軽んじたり、人の死を栄誉あるものにすり替えたりする点です。葉隠の有名な一節に、「武士道とは死ぬこととみつけたり」があります。江戸時代においては、主君のため、明治維新以降はお国のために死ぬことを美徳としているところです。
また、捕虜になって辱められるなら死んだ方がましだというようなものもありました。
人間、どんなときでも生きなければなりません。それを教えるのが教育であるはずです。武士道をすべて否定するつもりはありませんが、死を美徳とするのは現代にはそぐわないと思います。
人のものを盗んではいけない、人を殺してはいけないというのは道徳です。人のものを盗ることができない、人を殺すことができないというのが宗教です。悪いことをしてはいけないのではなく、悪いことができないという心を養うのが宗教なのです。
ただ、今の日本には宗教がないのが現実です。


鳥取県岩美町


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