行雲流水

仏教をテーマとした記事を掲載しています。

因果一如

2010年06月04日 | 禅の心
世の中には、誠実で陰徳を積んでいる人なのにそれが報われなかったり、他人を傷つけたりいじめたりしている人に何も咎(とが)めがないなど、理不尽なことが多いものです。「善因善果」(良い事をすれば良い結果が生ずる)「悪因悪果」(悪い事をすれば悪い結果が生ずる)とは言いますが、現実にはそのようにならないものです。
道元禅師は
大凡(おおよそ)因果の道理 歴然として私なし。造悪の者は墜ち、修善の者はのぼる。

悪をつくりながら悪に非ずと思い、悪の報あるべからずと邪思惟するに依りて、悪の報を感得せざるには非ず。
悪い事をしても悪い結果にならないのは因果律が成り立たないのではなく、悪い事をしている事自体が悪い結果、すなはち因果一如とはこのことなのです。
蓮の花は花が開くと同時に蜂の巣のような実が出て来ます。つまり花という原因が実という結果と同時に現れています。同様に良い事をしているという事実そのものがいい結果なのです。

自分の行った良い行い悪い行いは時間というビデオテープに刻みこまれていきます。因果一如とは言っても、悪いことばかりしていればいつか悪い結果を生むものです。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする