行雲流水

仏教をテーマとした記事を掲載しています。

舌切り雀

2009年10月20日 | 禅の心
むかし、山奥の村に、じいさんと ばあさんが 住んどったんよぉ。

おじいさんは、山で一羽の傷ついたスズメを見つけての、連れて帰って

手当をしてやったんじゃと。

「すずめや、元気になるまでうちにおりんさいや」

おじいさんは、そう言うて、スズメをしばらく家に置いてやることに

したんよぉ。

ある日、ばあさんが、洗濯しよう思うて、糊をこしらえておったんじゃ

そこへ、スズメがやってきて、

「ご飯で作った美味そうなのりじゃ。ちいとぐらい食うてもよかろうかい」

言うて、糊を食うてしもうたんじゃと。

それを ばあさんが見つけて、

「こらい!なんちゅうことをしょうるん!、ワシが洗濯しよう思うて

こしらえた糊じゃちゅうに!」

と言うて、スズメを捕まえて舌を切ってしもうたんじゃと。

「いたたた(泣)」

そう言うて、スズメは逃げていったんじゃ。

おじいさんが、家に帰ってみると、スズメがおらんもんじゃけぇ、

「のう、ばあさや、スズメはどがぁしたん?」

「あの性悪スズメめ、舌を切ってやったわ」

「なして、そがあなことを・・・・・・」

おじいさんは、泣く泣くスズメを探しに行ったんじゃと。

「スズメ、スズメ、お宿はどこじゃ」

すると、

「おじいさん、こちらじゃよ」



スズメが、おじいさんを呼んだんじゃそうな。

「おお、スズメや、かわいそうなことじゃ。こらえちゃんさいや」

「おじいさん、会いたかったよ。元気じゃった?」

おじいさんは、スズメのところでもてなしを受けたんじゃと。

「スズメやワシはそろそろ帰らにゃならんのんよ」

「おじいさん、またいつでも来ちゃんさいや。」

「ああ、来るけぇね」

「おじいさんお土産を持って帰りんさい。

私が、おじいさんのために造ったお人形じゃよ。」

「おお、これは、宝物じゃ、大事にするけぇ」


さて、じいさんは、家に帰ってから、ばあさんにもてなしを受けたことを

話したんじゃて。

ばあさんは、「ワシももてなしを受けに行こう」思うて、

おじいさんに、スズメのお宿の場所を聞いて、行ったんよ。

おばあさんも、おじいさんと同じようにスズメのもてなしを受けて、

帰り際に、同じようにスズメの造ったお人形をもろうたんよ。

そがあしたら、おばあさん、

「なんじゃい!これ?オバケじゃないか?」

と言うたんよね。

みなさん、おわかりでしょうか、おじいさんも、おばあさんも、

スズメの心のこもった、お人形をお土産にもらいました。

そのお人形は、下手くそな造りだったかもしれません。

しかし、おじいさんにはその下手くそなお人形が、

愛すべきスズメの造った宝物に見え、

おばあさんには、ただのガラクタにしか見えなかったのです。

スズメを自分の子や孫に置き換えてみたらよくわかると思います。

可愛い孫が、「おばあちゃんの顔だよ」と描いてくれた絵は

おばあさんにとって、何ものにも代え難い宝物のはずです。

幸せというのは、自分の心の持ち方によって決まるのです。

同じものが宝物になるか、オバケになるか。

同じ事をしてもらっても、感謝の気持ちを持てるか、不平不満しか言えないか。

不平不満だらけの人生ほどムナイシイものはありません。

感謝できる人は幸せです。

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