野々池周辺散策

野々池貯水池周辺をウォーキングしながら気がついた事や思い出した事柄をメモします。

この意見は大いに納得

2019-02-13 07:25:52 | その他
昨年12月末、日本の二輪企業が社内カンパニーとして「レーシングカンパニー」を新設したとの報道があったので、どんな事業をするんだろうと興味があった。一方、モータースポーツを一つの事業体として考える、「レーシングカンパニー」と言う名の社内カンパニーは既に数年前、トヨタが組織化しているが、つい最近、そのカンパニー長へのインタビュー記事「トヨタが「国際レース」に力を入れる意外な理由」があった。記事を読むと、世界に冠たる四輪企業のモータースポーツは規模というか、その質向上のために金の掛け方が桁違いに大きいと感心することばかりだが、読み進めると、レースに取り組む基本的な考えには、事業規模にかかわらず、大いに納得という件(くだり)があった。それは、
「単にお金を使っているだけだと、景気が悪くなったときすぐに(レースを)やめろと言われたりするので、ここできちっと収益をあげて、それをモータースポーツ活動や車両の開発に投下していくというサイクルを回していく。それがTOYOTA GAZOO Racingの最終的な姿ですね。」とか、
また、こんなくだり、「トヨタ社長は、レースはドライバーズオリエンテッド。エンジニアが前に出るようなモータースポーツはありえないと言います。それはトヨタの昔のモータースポーツからしたらありえないことで(笑)。過去を悪く言うつもりはないですが、昔はやっぱりエンジニアオリエンテッドで、ドライバーは1つの道具でした。今はとにかくドライバーの言葉に耳を傾ける。そして現地現物でメカニック、エンジニア、ドライバーが一体となってクルマを仕上げていく。それが普通にできるようになったのは、この1~2年ですよ。それがWRCやWECでの優勝につながったと思います」と。

二輪や四輪製造にかかわる企業がモータースポーツに関与する理由は色々掲げられている。例えば、該当する二輪や四輪の性能のありったけを発揮してみて、その優劣を争うレース競技においてこそ本物の改良進歩が行われる、いわゆる、開発技術力の蓄積もそうだし、あるいはレース参戦による修羅場体験もそうだ。組織が大きくなると、自分は何もしなくても業績に影響しないような状況が各所に生まれがちで、大企業病が蔓延する。そうならないよう、社員をいかに修羅場に追い込んでいく、つまり人間力を鍛えるためだと答える経営者もいたり、またレース参戦の最大の目的は「必勝」の追求であると、色々ある。何れもしかりだが、レース参戦の目的が明確に示されていないと、レースは金を喰うので、社会や企業の経営環境によっては「参戦と撤退」を繰り返すことになって、その都度、折角蓄積した人材や門外不出の貴重なデータや経験が散失し、再び参戦する際にものすごく苦労することになる。経営的勘定で企業のレース活動を決断すべきだろう。そうしないと、レースに勝つ事を目的として多額の費用を掛ける競争相手に勝つことは困難であるし、レース担当者にも無益な負担が常に掛ってくるので、ますます負の連鎖となっていく事例も多い。

例えば、「参戦と撤退」を繰り返すと、その度に再びゼロからのテイクオフとなるので多大な費用がかかる割に勝利するまでに相当な時間が必要となり、勝てないと次第に開発陣の意思が萎えてしまうこともあって、益々レース費用は増加する一方で、勝てないサイクルにはまってしまう。手っ取り早くレースに勝てる体制を求め、外部のレースチーム屋にマシンを無償で貸与しサポート要員を派遣する委託方法もあるが、そうなると、スポンサーも、メカニックも、ライダーも、皆チームオーナーに帰属し、企業は単なる御用聞きに終始してしまう、「ピストンは足りてますか」「予算はどうですか」となる。そのうち、勝てば委託したチームの力、負ければマシンが悪いからとなって、多大なレース予算を委託する割には、本来得られるべき貴重な経験やノウハウは外部チームや団体・個人に散逸し、企業に残らないことになる。

また、こんな事例もありうる。レース参戦が決まると、往々にして「レース参戦するなら勝って当たり前だろう」とか「何故勝てないんだ」言う声が聞こえてくる。別に不思議なことでも何でも無く、素直な発言だろうと思う。その声は、モータースポーツを一度も担当していないか、あるいは遊びでレースをやった経験のある人から聞こえてくることの方が多い。レース界は単なる設計開発作業と異なり、色んな職種の人が社内人脈との絡みもあって複雑なので、泥臭い人間模様が一般的にはある。下位の企業が収益トップの大企業に何故勝てないんだとの質問と同じ言質なんだが、回答するのに窮することがある。資金力や技術力の蓄積そして経験値をもった企業が参戦目的を明確にして戦えば、同じ戦場で下位企業が勝つのは至難の事。昔はどうか知らないが、現在のモータースポーツ界ではレース戦績と掛ける資金力は比例するので、資金力のない弱小企業が勝つには、戦う土俵を選ばないと、何時もトップ企業の後塵を浴び、引き立て役を担う事になる。大東亜戦争と同じで、その場の空気とか精神力だけではレースに勝てない。

結局、トヨタの前述の如く、「ここできちっと収益をあげて、それをモータースポーツ活動や車両の開発に投下していくというサイクルを回していく」これが最も重要要件だと思う。モータースポーツを事業として捉え、レ―スを通じて最先端の技術を開発し収益性の高い市販車として販売することで、顧客に絶対的な品質と信頼性の高いマシンを提供し続けるサイクルが構築すれば、景気が悪くなったと言う理由とかでモータースポーツから撤退せねばらぬ理由がなくなる。ましてやモータースポーツは単に技術屋がレースを担当すると言う内輪のルーティングでは既になく、二輪や四輪を購入する購買層のみならず車を購入しない層を巻きこんだ、またモータースポーツに加わる多くのファンを巻きこんだ社会の公器となっているので、相当な理由がない限り、企業側の論理だけで止めるわけにはいかなくなっている。だからこそ、レース事業体としてきちっと収益をあげて、それをモータースポーツ活動や車両の開発に投下していくというサイクルを回すとする考えは極めて大事だと思う。

こうして考えてみると、モータースポーツに限ることではないが、一種の戦いのなかで蓄積された人的・物的な知識・技能の伝承が最も必要な運営組織は経験的に企業グループ内で実質運営されるべきであり、レース運営を外部団体に委託すること等は組織技術ソフトウェアの蓄積から言えば絶対に避けるべき事であろう。何時も、こう思う。
『技術レベルの高さの優劣を、勝負として競争するのがレースであり、過去、日本企業はレースで勝つことで優秀性をアピールし企業自体が発展してきた歴史がある。二輪ユーザーが求めるものは多様化しつつあるが、最も技術力を誇示できる場がレースであることは現在も何等変わらない。更に加えるなら、書籍「失敗の本質」では、技術には兵器体系というハードウェアのみならず、組織が蓄積した知識・技能等のソフトウェアの体系の構築が必要と指摘している。組織の知識・技能は、軍事組織でいえば、組織が蓄積してきた戦闘に関するノウハウと言っても良い。組織としての行動は個人間の相互作用から生まれてくるとある。この指摘から言えば、戦いのなかで蓄積された人的・物的な知識・技能の伝承が最も必要なレース運営組織は経験的に企業グループ内で実質運営されるべきであり、レース運営を外部団体に委託すること等は組織技術ソフトウェアの蓄積から言えば絶対に避けるべき事であろう』
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