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野々池周辺散策

野々池貯水池周辺をウォーキングしながら気がついた事や思い出した事柄をメモします。

鈴鹿サーキットはつまらなくなった?

2013-08-31 06:15:56 | モータースポーツ
Facebook友達の宮崎祥司さんが30日に投稿した記事はかなり気になったので取り上げることした。
                            
この日曜日に、鈴鹿では初めて開催されるAsiaドリームカップを見に行った宮崎さんの鈴鹿サーキットへの苦情指摘はこうだ。
ホンダのAsiaドリームカップなんて、綺麗に車が並べてあって凄く興味深いのに、良い顔してるのはプレス向けであってファンにはこんな事をやってますよって説明が無い。 あったのはライダーの名前のボードくらい。あれこそパドックのテントの下でやるべきだ!!」「走りはコースに見に行けば良い、どんなやつがその車に乗っているかを見るのがPITやパドック。 Asiaのチャンスをつかもうと必死になってる顔を見たかったのに、ほんとつまんなかった!!」

宮崎選手は元HRCのスター選手で、その後カワサキのロードレースチームに移籍し活躍した、非常に能力の高いライダーで、今も鈴鹿の近くで開業している。時間を見つけては鈴鹿サーキットに出掛け、ロードレースの活性化に尽力している人だが、私はカワサキ時代から宮崎さんの性格を含めよく存じあげている。大変温厚な性格の宮崎さんが、今回のAsiaドリームカップレースが開催されている鈴鹿サーキットの対応に大変がっかりしている。つまり、ファンを無視したサーキットに怒っているのだ。

日本最大の二輪ロードレースの祭典、鈴鹿8耐の観客動員数がピーク時の半分にも満たないようになって久しい。
サーキットも観客動員数を増やすために地道な努力をしているはずだが、記事にあるようなファンを無視した対応では、離れる一方の観客を取り戻すことなど夢の夢。私は、担当した’97鈴鹿8耐以降鈴鹿には行っていない。その後も8耐の観客動員数が激減していると聞いて、どこに問題があるのか不思議に感んじていたが、宮崎さんが指摘したファン無視の対応が仮にあるとすれば、それは鈴鹿の抱える、多くあると思われる原因の大きな一つかもしれない。

一昨年、久し振りに鈴鹿8耐をテレビ観戦し、その時の印象を本ブログに投稿した事がある。そのブログ記事「鈴鹿8耐」の一部を再稿したい。「鈴鹿8耐はFIM世界耐久選手権の一レースだった事もあり、フランスのボルドー24時間耐久レースも観戦する機会を得た。ボルドー24時間と鈴鹿8時間は、耐久時間においては相当の開きがあるが、耐久レースと称せど、そのレース内容は根本的に異なっていた。どちらがより難しいレースかとの単純な評価はかなり困難だが、実際のレースを戦った担当として言えば、鈴鹿8耐の方が遥かに神経を酷使するレースであった事に間違いない。ボルドー24時間は、その耐久時間の長さから戦い方は8時間と根本的に異なり、例えエンジンに不具合が発生したとしてもエンジンを交換して走れば良いのだ。それでも入賞あるいは三位以内に入れるかもしれない。鈴鹿8耐は一秒の遅れを喫したらまず勝てない。まさに神経戦だ。一秒の失敗が勝敗を分ける。

でも、なぜ、ボルドーの耐久レースが伝統的に観客を惹きつけ面白さが継続しているのに、8耐は観客動員数は減少し面白くなくなるのだろう。鈴鹿8耐の方が、よりセンシティブでハラハラドキドキする玄人受けする極めて面白いレースなのにだ。アメリカのスーパークロスやデイトナ200マイル、四輪ではナスカーレースでの観客動員数には圧倒される。アメリカのモータースポーツは、どちらかと言えば興行的な傾向がより強く、圧倒的な観客動員数を誇る。観客動員数が多ければ、レース志向の強い車を販売している二輪メーカは直接参戦せざるを得ない。すると、もっとエキサイティングなレースと相まって、観客はより一層盛りあがる。

レースはもっと泥臭くあるべきだろう。
欧米のレースは、観客がレースと触れ合う事、選手と触れ合う事を心底楽しんでいるように思える。知識が無くても単純明快に分かるレース、観客に対する最大限のファンサービス、みんなが楽しめる雰囲気づくり、そしてレースを主催する街。全てのベクトルが観客中心に向いていると感じた。ボルドー24時間中、レースを見ている観客は少なく、レース展開などそっちのけで飲み食いドンチャン騒ぎの家族も多数いる。ゴミはアチコチに散乱し、夜はワインを飲んで大騒ぎする。歴史的なレースイベントの高貴なイメージとは大きく異なる光景がそこにはある。レースを知らなくても楽しめる雰囲気作り、ドンチャン騒ぎする人も寛容に受け入れる街がある。もっとビックリするのが、サーキットまでの途中、道路近くの木々や電柱に巻き付けられた分厚いマットの存在だ。何のために設置してあるんだろう。

90年代の鈴鹿はもっと泥臭い雰囲気があった。野宿する若者に対して実に寛容だったし、アチコチのテント張にも寛容だった。何時のまにか、次第に大人しく窮屈になってしまったようだ。面白くない、妖しくない催し物には、誰も楽しくない。90年代も、レース観戦が主目的ではなかった観客の方が圧倒的に多ったと思う。鈴鹿8耐は欧州や米国の伝統的なレースのように歴史を重ね続けるべきだし、もっと、観客が一体となって楽しめる「泥臭い「祭り」」として歴史を継続させるべきだ。」



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