野々池周辺散策

野々池貯水池周辺をウォーキングしながら気がついた事や思い出した事柄をメモします。

鈴鹿8耐

2011-08-04 06:50:07 | モータースポーツ
鈴鹿8耐を、USTREAMとソーシャルストリームを見ながら観戦した。
観戦したと言うより、ライブのラップタイムとツイッターによる実況が実に面白いのだ。レース場にいても、結局、レース展開が実質分かるのはライブタイム表示によるわけだから、これにツイッターによる観客の主観が手短に加わると、戦闘状況良くわかる。

今年のレースエントリー台数や観客は一時に比べれば格段に減少したが、それでも55,000人/(日曜日)の観客動員数。
一番動員数の多かった時期は16万(消防法の関係で表示は16万人、実質20万か)だけど、16万は流行の絶頂期にあっただけで、それに比べれば少なくなっただけ。1日に6万人もの集客をする催物なんかそう滅多にあるものではない。二輪のレースで6万も集まれば立派なものだ。エントリーはホンダ車が圧倒的に多く、モータースポーツ分野の盟主は相変わらずホンダだが、そうあって欲しいと思う。しかし、17、18年前のライダーがトップを走行しているのは気になるな。

ホンダに対抗しうるチームは、唯一ヨシムラスズキだけになった。
ヨシムラスズキ、鈴鹿8耐第一回大会の優勝者であり、2009年大会の優勝者でもある。確かに、ヨシムラが優勝チームとして再び脚光を浴びる事自体素晴しいとは思うが、世界に冠たる二輪メーカの主力が参加しないモータースポーツには興味が半減する。鈴鹿8耐は日本を代表する二輪モータースポーツの、その頂点にあることに変わりないのにだ。

1993年から1997年まで、オフロードに加え、ロードレースも担当した。
その間、鈴鹿8耐に勝つ事のみを考えてきたが、当時の8耐は観客数に若干の陰りは見えても、日本の二輪メーカーにとって最大級のレースであり、マスコミの取上げ方も半端ではなかった。だからこそ、二輪モータースポーツの頂点に立つべく、1年前から必死に作戦を練り、チーム組織を鼓舞して戦った。そこに世界最高レベルの二輪レースがあるから、そこの頂点に立つことを単純に目指した。

勝てたら目的を最大級に達成出来るし、仮に優勝出来なくとも、トップに極めて肉薄したレースを展開できたら次善の結果である。
「勝てるか」との質問を受けることが度々あったが、勝つための戦略や戦術を仕組んできたので「勝つ可能性はある」と回答してきた。
相手も当然勝つ戦略を練ってくるので、当然相手も勝つ可能性はある。だけど、実際のレースでは少しでもミスした方が負け。競争相手も同じ境遇だった事は、ホンダの「8耐の本質と10回の敗北」に少しだけど記述してある。

勝負は、運が良かったなと思う事はあっても、運だけでは勝てない。
相手の欠点を判断し(例えば、ライダーの組合せ等)、彼我の比較をする事で、ある程度の勝負の確率予測はできる。8耐の担当期間中(’93~’97)、優勝が一回、残りの4回はトップと同周回数の2位、もしくは3位の表彰台だった。レース予算が当方の10倍強のチームと互角に戦えたので、個人的には次善の評価をしている。

がしかし、トップへの8耐報告会は相当つらかった思いばかりが残る。
そう簡単に、8耐は勝てないよ。


鈴鹿8耐はFIM世界耐久選手権の一レースだった事もあり、フランスのボルドー24時間耐久レースも観戦する機会を得た。
ボルドー24時間と鈴鹿8時間は、耐久時間においては相当の開きがあるが、耐久レースと称せど、そのレース内容は根本的に異なっていた。どちらがより難しいレースかとの単純な評価はかなり困難だが、実際のレースを戦った担当として言えば、鈴鹿8耐の方が遥かに神経を酷使するレースであった事に間違いない。ボルドー24時間は、その耐久時間の長さから戦い方は8時間と根本的に異なり、例えエンジンに不具合が発生したとしてもエンジンを交換して走れば良いのだ。それでも入賞あるいは三位以内に入れるかもしれない。鈴鹿8耐は一秒の遅れを喫したらまず勝てない。まさに神経戦だ。一秒の失敗が勝敗を分ける。

でも、なぜ、ボルドーの耐久レースが伝統的に観客を惹きつけ面白さが継続しているのに、8耐は観客動員数は減少し面白くなくなるのだろう。鈴鹿8耐の方が、よりセンシティブでハラハラドキドキする玄人受けする極めて面白いレースなのにだ。

アメリカのスーパークロスやデイトナ200マイル、四輪ではナスカーレースでの観客動員数には圧倒される。
アメリカのモータースポーツは、どちらかと言えば興行的な傾向がより強く、圧倒的な観客動員数を誇る。観客動員数が多ければ、レース志向の強い車を販売している二輪メーカは直接参戦せざるを得ない。すると、もっとエキサイティングなレースと相まって、観客はより一層盛りあがる。

レースはもっと泥臭くあるべきだろう。

欧米のレースは、観客がレースと触れ合う事、選手と触れ合う事を心底楽しんでいるように思える。。
知識が無くても単純明快に分かるレース、観客に対する最大限のファンサービス、みんなが楽しめる雰囲気づくり、そしてレースを主催する街。全てのベクトルが観客中心に向いていると感じた。

ボルドー24時間中、レースを見ている観客は少なく、レース展開などそっちのけで飲み食いドンチャン騒ぎの家族も多数いる。
ゴミはアチコチに散乱し、夜はワインを飲んで大騒ぎする。歴史的なレースイベントの高貴なイメージとは大きく異なる光景がそこにはある。レースを知らなくても楽しめる雰囲気作り、ドンチャン騒ぎする人も寛容に受け入れる街がある。もっとビックリするのが、サーキットまでの途中、道路近くの木々や電柱に巻き付けられた分厚いマットの存在だ。何のために設置してあるんだろう。

90年代の鈴鹿はもっと泥臭い雰囲気があった。
野宿する若者に対して実に寛容だったし、アチコチのテント張にも寛容だった。何時のまにか、次第に大人しく窮屈になってしまったようだ。面白くない、妖しくない催し物には、誰も楽しくない。90年代も、レース観戦が主目的ではなかった観客の方が圧倒的に多ったと思う。でも、鈴鹿8耐は欧州や米国の伝統的なレースのように歴史を重ね続けるべきだし、もっと、観客が一体となって楽しめる「泥臭い「祭り」」として歴史を継続させるべきだ。


ホンダ鈴鹿8耐・・・ 「8耐の本質と10回の敗北」 

ホンダは二輪業界の盟主だ。そして、ホンダの二輪レースの位置づけは極めて明快で理解し易い。
ホンダの「8耐の本質と10回の敗北」の記述は、8耐を戦った者にとっては、実に興味深い。
でも、これだけホンダが鈴鹿に入れ込んでも観客動員が伸びない。

鈴鹿8耐は、二輪業界の宝だと思っている。

移り気な日本の若者、全般に大人なしくなった若者と言えど、日本人の本質には何等変りはしない。
ただ、常に興味をそそる「泥臭い策」を取って行かない限り、鈴鹿には戻ってこない。





一方、勝負に掛けたい強い意志のある開発陣も当然いるはずだ。
何の商品であれ、開発とは競争相手に如何にして勝つかであろう。
ところが、その競争が最も如実に勝ち負けを具現化したレースとなると、拒絶したがる開発陣が二輪に多くなったようだが、気のせいか。一般の量産機種の開発であれば、量産移行した時点で仕事は終了し、それに目標の販売台数を確保すれば目的は達成する。だけど、運よく販売好調でも、あるいはその逆でも、実はその理由は多岐に渡るため、一概に開発の評価は難しい。

ところが、レースは、マシンを、車を、開発したらそれで終了ではなく、競争相手との戦いに勝たねばならない。車を開発したら、はい終わりでは無いので、担当者にとってはつらい評価が常に付き纏っている仕事だ。

鈴鹿8耐は、スプリントタイムで8時間を競争相手より如何に早くゴールさせるかの競争だ。
その戦いは、考え方によっては非常に奥が深い。勝ったから車が何台売れるかの単純な物ではないが、若い技術者が戦うには面白い素材だと思うのだがな。



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« モミジアオイ + 朝顔 +... | トップ | 世界スーパーバイク選手権 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

モータースポーツ」カテゴリの最新記事