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野々池周辺散策

野々池貯水池周辺をウォーキングしながら気がついた事や思い出した事柄をメモします。

あれから5年、モトクロスOB有志が再び集まる

2018-02-16 06:27:01 | 二輪事業
2013年と言えば、「KX40周年を祝う有志の会」に開発関係OBやカワサキワークスチーム関係OB有志が一堂に集まり、語る会を開いた年だ。
当時、KX40周年にこんなことを書いていた。「1973年にデビュー以来、数多くの勝利とタイトルを獲得し続け、その評判を揺ぎ無いものとした、カワサキの輝かしいモトクロッサーブランド「KX」が40周年を迎えました。以来41年、一度たりとも開発を中断することなく、一度たりとも生産を中断せず、一度たりともレースを止めることもなかった40周年です。この間、モトクロッサーの最適技術を開発し続け、世界中のモトクロスファンに愛され、多くのチャンピオンシップでチャンピオンを勝ち取りながらKXは改良されてきました。 これもひとえに多くのカワサキファンからの真摯な指摘と支持を受けて、毎年進化し続けてきた結果であり、そして現在も進化し続けている歴史がKXの40周年だと思います」。5年前の「KX40周年を祝う有志の会」は技術部の開発・ワークス「カワサキレーシングチーム」に近い有志に出席者を限定したが、それでも九州、関東からも馳せ参じてくれた出席者は結局80名を越す盛大な会となった、その時、次は5年後に再び会おうと約束していた。

レースに勝ちたいと言う目的で開発され他社競合車と戦い続け、互いの社内外の環境変化によっては、時には後塵を浴びることもあっただろうが、多くのカワサキファンからの真摯な指摘と支持を受けて、毎年進化し続けてきた経緯があり、そして現在も進化し続けている歴史がKXの40周年だった。黎明期の開発/レース運営を経験した辛苦や成功は次に世代に引き継がれ、またその次の世代に引き継がれる。開発やレース運営は社内外の環境にも大きく影響を受け、全く勝てない苦労の連続な時代がある一方、開発やレース運営が巧く機能し、当時のレース界をカワサキが牽引した時代もあったが、これは前世代から引き継いだ置き土産を周到に分析した結果で、前世代の成せる技が後輩の時代に成功した証しだと思う。誰でも他社競合チームに勝ちたいと思って一生懸命なるも幸不幸の時代は背中合わせで、それは時の運不運のなせるものかもしれない。その歴史が今のKXの成功に連綿と繋がっているのも事実であり、否定しようもない。その時代々に活躍した開発担当者やレース関係者が集まり、昔を懐かしみ敬愛し、次の世代に期待して懇親を深めようと有志が集まった会が、「KX40周年を祝う有志の会」だった。そして、次の5年後、50周年を目指すため、KXと同時に誕生したワークスレースチーム「カワサキレーシングチーム(KRT)」も45周年になるのを期に、有志が再び立ち上がった。 

一方、ワークス活動を行なう川崎重工業の「カワサキ・レーシング・チーム(KRT)」とは別に、国内の販売会社が立ち上げた販促目的のレースチーム「チームグリーン」も創立されて以来、今年は35周年となる。この間、技術部がマシン開発のために運営するワークスチーム「KRT」と販売会社が運営する「チームグリーン」は切ってもきれぬ関係で互いに成長してきた。かって、KMJの「チームグリーン」は多くの優秀なライダーを育成し国内で特筆すべきモトクロスチームとして名をあげた、モトクロスライダー憧れのチームで、誰しも一度は「チームグリーン」のメンバーになりたいと思った。優秀なライダーは「カワサキレーシングチーム」がテストライダーとして契約し、耐久テスト等で練習させながらレースはチームグリーンメンバーとして出場し、格段の実績を挙げた成績優秀なライダーは「カワサキレーシングチーム」のワークスライダーとして契約するという循環システムを構築した。共に互いに補完しあうことで、カワサキのモトクロスチームは全日本のモトクロス界において歴史を作りあげてきた。その輝かしい実績と歴史を持つKMJの「チームグリーン」も35周年になる。

カワサキモトクロスの歴史を、そもそも論で言えば、”明石工場50年史(H2年10月発行、川崎重工業株式会社 明石工場)”にはこうある。『昭和38(1963年)年5月、青野ヶ原 MFJ兵庫支部主催 第一回モトクロス大会に、市販車改造B8レーサーと経験の浅い素人ライダーでレースに臨んだ。(略)・・  このころは、工場チームの組織はなく、有志が集まり改造に取り組み、業務の合間に乏しい予算の中で残業代も返上し、手弁当さげての出場だった』と記載されている。当時、単車事業の業績が悪化し赤字が増える一方だったため、1963年に入ると事業継続か中止かが経営上の大きな課題となっていた時期であったが、青野ヶ原の完全優勝を皮切りに事業部全体が自信を取リ戻し、優勝マシンB8の成果を背景に10月、積極的に事業展開したと本書は解説している。つまり、当時単車事業部は赤字が続き事業見直しの議論が行われていたが、赤タンクモトクロッサーの活躍で、このカワサキの技術を活かせば事業は軌道に乗せることができるとの判断が下されたのだった。モトクロスの大先輩達が単車事業を救ってくれたのである。


その伝統を引き継いでいかねばとカワサキモトクロスの歴史を構築してきたOB有志が、「Kawasaki Racing Team 45 & Team Green JPN 35」を合言葉に、「カワサキモトクロスOB有志の会」として、この7月、再び集まる。

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ヤマハの思いに納得

2018-02-12 07:09:09 | 二輪事業
「Cycle News」
2月10日、2018 AMA Supercross第6戦San Diego で、ヤマハが新YZ65モトクロッサーを発表した。
世界のミニモトクロス界で圧倒的支持を得ているKTM社のKTM 65 SXに対抗出来るであろうミニモトクロッサーが遂に販売される。ヤマハモトクロスマシンはYZ450F,YZ250F,YZ250,YZ125、YZ85に加えてYZ65のラインアップを揃えたので、日本二輪企業唯一のMXマシンの品揃えが完成した。欧州のKTMと同等に戦えるであろうマシンが店頭に並ぶので、KTM 65 SXに勝利を奪われ苦々しい思いをしてきたユーザーにとって願ってもない朗報だと思う。これでヤマハの「Yamaha Off-Road Racing Amateur Support( Blu Cru)」は更に充実するだろう。
  「Yamaha/blu-cru」

かって、日本の二輪企業がオフ車の大市場アメリカに進出した際、最も大事にした購買層はキッズ市場で、各社ともキャンペーンを組んでこの層のユーザーを大事に育ててきた。しかし、その後、アメリカの訴訟問題が加熱した時期に、子供を巻き組む訴訟を恐れた日本の二輪企業ヤマハ、スズキ、ホンダは全米のミニMXバイク販売から全面撤退した。結果、全米のアマチュアライダーを支援しづけてきたのは唯一カワサキの「Team Green」のみとなった。そもそも、ミニモトクロスバイク撤退理由とされた訴訟問題は、現実的にはミニバイクに乗る子供が訴状に上がること自体考え難い。と言うのは、全米で蔓延した訴訟原因要素の一つであるアルコールやドラッグの問題は子供には無縁で、かつ、親が自分の子供に不安定なバイクを買い与えるはずもなく、バイクのメンテも親がしっかりやるので、ミニバイクの訴訟問題は基本的に発生しにくいはずだった。以降、日本主企業が撤退したミニバイク市場で、じわじわと欧州のKTMが強力なサポートプログラムをもって販売を伸ばし、今や、この分野はKTMの寡占状態にある。そこに、2013年ごろから、日本二輪企業の中では最も多くのMX車の品揃えを提供している二輪企業、ヤマハがアマチュアライダー支援プログラム「Yamaha Off-Road Racing Amateur Support」を開始した。多くのアマチュアライダーにとって、自分が購入したバイクメーカーが全面支援してくれる企業が増える事は、鬼に金棒だ。リーマンショックで100万台規模にあった二輪市場が一挙に約45万程に落ち込んだ米国市場だが徐々に回復しつつある。伝統的に白人社会に支持されてきた米国のオフロード市場は、こうしてフォローの風に乗る。

KTM65SXと戦えるミニモトクロスバイク待望論を数年前から聞いてきた。例えば、身近な話として2013年、マウンテンライダーズ設立50周年記念パーティに出席した際、オフビの社長と四方山話をしたが、彼が言うに、「日本のオフ市場にKTMが台頭しつつある。今の日本製ミニモトクロスバイクではKTMに対抗できない。このままにしておくと、日本市場がKTMに置換してしまう恐れがあり、取って替わられる前になにか検討しておくべきではないか」と聞かされた。また、欧州で開催された、FIM Junior Motocross World Championshipに参戦した日本代表チームのマシンがKTMだった事に、「何でチームジャパンなのにKTMなんだ。日本車じゃないのか?何で日本のメーカーは2ストを作らないのか。65や85ccの新しいバイクを開発しないの?と、、、」等、戦闘力のある日本製ミニモトクロスマシが市場にないことを多くの欧州現地の関係者が疑問に思っていると、FB紙上に投稿されていた事等々を思い出すが、やっと、ヤマハが販売する。

ミニモトクロスマシンで思いだしたが、随分大昔、65や85㏄マシンはクリスマス商戦が重要な販売時期だった。各社ともクリスマスに間に合わせようと、それまではシーズン当初に照準を合わせたものから、数か月生産を前倒しになる格好だった。その分開発の前倒しが必要だったが、次第に生産開始時期も早くなり、夏シーズンの単車生産ラインを平準化にすることも可能となったが、結果的にこれ等はMXビジネスを成功させた最大理由のひとつになった。

かって、85㏄ミニモトクロスマシンの生産台数は2万台前後/年だった時期でもあり、だから色んな仕様のトライをミニバイクで先行開発したこともあった。アルミフレームもそうだ。たかが子供の乗り物とする営業担当もいたが、乗り手は8才~15才位の子供でも、彼らの能力たるや上級機種のプロライダーと遜色ないラップタイムで走る能力を持っている。上級機種と同じ様にジャンプ飛距離を飛び、タイムもほぼ同等。そのために彼らが安全にレースを楽しみながら勝利を掴かむマシンとは、上級機種に殆ど近い仕様を装着する必要があり、彼らがミニモトクロッサーに要求したマシンとはそういうものだった。だから、必然的に65ccのミニMXも水冷化する必要があった。当時の走行テストでは、学校が終わると母親が14、15才の子供をレーストラックにつれてくる。我々は子供の意見を聞きながら慎重に仕様を詰めていく。ライダーが数人集まるとレースそのものだった。

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2018,AMA SX もう一つの話題

2018-01-10 06:15:50 | 二輪事業
米国SX 第1戦ANAHEIM 1で、もう一つのビックリする出来事を、Cycle News誌がRyan Villopoto Joins Yamahaを伝えている。
これには驚いた。
 「Cycle News」
Ryan Villopoto Joins Yamaha—Ryan Villopoto has ended his career with Kawasaki and will form a marketing partnership with rival manufacturer, Yamaha, announced today at Anaheim Stadium ahead of round one of the 2018 Monster Energy AMA Supercross Championship season. “With my transition to life after racing, I’m still passionate about motorsports,” Villopoto said. “Whether I’m racing, riding recreationally or teaching my kids to ride, I still have a lot I want to give back to the motorsports industry from many aspects」

US Kawasakiで4度のSX Championとなり名実ともにKAWASKIが誇るBrand Ambassador で、年少の頃からUS Kawasaki Team Greenで育った生粋のKawasakiの代名詞だった。つまり、最近の米国二輪モータースポーツ界では、「Kawasakiと言えば Villopoto」、「Ryan Villopotoと言えばKawasaki」だっただけに、突然のYamaha移籍に驚いた。US Yamahaでの仕事はMXに限定せず、ヤマハが提供する全商品のBrand Ambassador として活躍するそうだ。

一方、Ryan Villopotoが抜けたUS Kawasakiは、昨年からJeremy McGrathがKawasakiのBrand Ambassadorとして活躍中である。AMAスーパークロス7回のチャンピオンで史上最多の72勝を誇り、言わばMX界の英雄で大スターだ。その McGrathのプロモトクロスライダーとしての出発点は「US Kawasaki Team Green」で、かつ彼の最初のスーパークロスの勝利は'90のKX125で勝ちとったもので、KAWASKIとは少なからず関係がある。US KawasakiはSXの大スター2名(Ryan VillopotoとJeremy McGrath)を抱え勿体ないなーと感じていたが、VillopotoがUS YamahaのBrand Ambassadorに就任したことは、やはりアメリカの二輪業界はモトクロスを最高の宣伝媒体として考えている事の証左であろう。因みに、KAWASKIで活躍したJeff Emig選手も Husqvarna社のAambassador 兼 spokesmanに就任し活躍している。

日本でもこうしたスターと一緒に地道な草の芽活動に繋げていく活動を具体的に展開しないと二輪マーケットの縮小を抑えられないかもしれない。
・・・「 Let the good times roll
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2ストロークモトクロッサー待望論

2017-11-10 06:43:49 | 二輪事業
8日のRacerxOnlineに、著名なアフターマーケット会社「Pro Circuit」の社長で「Pro Circuit Race Team」のオーナーでもあり、かつ優秀なエンジンチューナーでもある、Mitch Paytonさんのインタビュー記事「BETWEEN THE MOTOS MITCH PAYTON」があった。その前段にはこう纏めて書いてある。「“Everybody is buying some old two-stroke and they’re fixing them up as a weekend ride bike. I think there is a certain amount of people that love riding motorcycles and they just want to do it for fun. They don’t need a World Superbike to go ride on.”」とある。
・・米国では、生活の一部として極普通にバイクを楽しんでいる多くの人々がいる。彼らは古い2サイクルのモトクロスバイクを購入し週末には整備し、こうした人生を楽しんでいる。米国の多くの人々はバイクが好きなんだ。だけど、彼らが欲しいバイクはWorld Superbikeマシンでは決してない。・・と言う事なんだろう。
   「左:Mitch Payton」
Mitch Paytonさんのインタビューは多岐にわたっているが、その中に、質問者の「Mitchが、バイクマーケットを広げるためには、よりエントリーレベルに適した、格好良くて高性能な2ストロークモトクロスバイクが必要だと日頃から語っている件について」と言う質問に、こう答えている。
「I would love it. I think it’s important. I think the manufacturers, as a whole, have done a pretty good job of trying to keep the minibike classes to two-strokes. I wish Honda would bring out a two-stroke again. I see it in our shop. Our two-stroke pipe sales are fantastic. Everybody is buying some old two-stroke and they’re fixing them up as a weekend ride bike. I think there is a certain amount of people that love riding motorcycles and they just want to do it for fun. They don’t need a World Superbike to go ride on. [Laughs] I almost think—and this sounds crazy, and I’m probably going to get slaughtered for saying it—that we don’t need to have electric start and some of the stuff. We keep pushing the bikes and they keep getting a little bit more sophisticated. Yeah, after a guy has a button, he doesn’t want to go back to kick starting a bike. We had great racing when we just had dumb old two-strokes with a kick start. And the cost was cheaper. (略)」

今、Pro Circuitの2ストローク用のエキゾートパイプはよく売れているそうだ。古い2ストロークエンジンモトクロスバイクを買ってきて、Pro Circuit製のエキゾートパイプを装着し楽しんでいる多くのユーザーがいると、末端市場と常に接点を持ってビジネスを展開してきたPro Circuitは米国の顧客ニーズをこう説明している。されば、世界の半分以上を有する大市場である米国の末端の動きを無視しては通れまい。

最近のモトクロスマシンの主流が4ストロークエンジンに移行し、最新マシンが発表される度に感じたことだが、この開発方向が末端ユーザが本当に望む事なんだろうかとか、ひょっとしたら開発販売企業の都合だけで動いてはいないだろうかと言う疑念を持ってきた。2ストロークエンジンの持つ優位性が、4ストローク化によってエンジンは複雑化し、それは重量増とも繋がり、それにアルミの車体だ。4ストエンジンの持つ欠点を解消するために、油圧クラッチ採用だ、セルスターター採用だとなると、それらは更にコストに跳ねかえり、結局ユーザー負担。これでは健全スポーツを志向するモトクロスファンが逃げていくような気がしていた。あまりにも技術が複雑化してのコスト増ではユーザ負担が増加する。すると、必然的に原点に帰ると言う作用が発生するのは過去の日本のレーサーレプリカ時代もあったように、世界の多くのモトクロスユーザーは、今、販売価格も維持費も安価な2ストロークエンジンのモトクロスマシンを待ち望んいるようだ。

一方、期せずして最近、オーストラリア、カナダ、デンマークそして欧州を主戦勝とするEMX GPサポートシリーズ(EMX250クラスはモトクロスグランプリレースのサポートレースで、欧州では最重要なクラス)が250㏄クラス分けを、従来の4ストロークエンジン250㏄に加え、2ストロークエンジン250㏄エンジンでの出場を許可すると発表している。従来は、このクラスに出場する2サイクルエンジンは排気量半分の125㏄のみが許可されていたが、排気量の差別化を撤廃すると言うものだ。やっと、4ストエンジンが2ストエンジンと同等に競合できるレベルにまで競争力が向上したので、エンジンの差別化をする必要性が無くなった言う事だろうか。ルールは企業のためにあるのでないのだから、エンドユーザーの要求にルールが近づいた。

ルール変更の理由の一つは2ストロークエンジンのメンテナンスの簡便さやコストパフォーマンスの優位性によるもので、末端ユーザーは2ストロークエンジンの利便性を評価し、2ストローク待望論が根強くあっただけに、至極自然な決定だと思う。10年ほど前のルールブックはエンジンストロークによる差別化はなかったが、4ストロークエンジンがモトクロスに適用される従い、性能的に劣っていた4ストロークエンジンを救済するためにエンジン排気量を差別化してきた。

FIM(国際モーターサイクリズム連盟)が2&4排気量差別化ルール撤廃姿勢を示した事は、数年もせず世界選手権ルールもその方向に動くだろう。4ストエンジンのみを提供している企業にとっては脅威なのかもしれないが、現に欧州のKTMやHusqvarna そしてヤマハも型は古いが2ストロークモトクロスマシンを市場に安価で提供している現実もあり、市場末端ユーザーの選択権を増やすべきとするのは、全くの正論であろう。1998年、ヤマハが4ストロークエンジン搭載のモトクロスマシンを上市して以来、2ストロークエンジンを閉め出すルール化となったが、その後もヤマハは2&4を旗印に決して差別化をしなかった。構造がシンプルで取扱い軽量、加えて瞬発力があってコストパフォーマンスに優れたモトクロスマシンを市場は求めてきたのだ。

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RACERS vol47の記事も面白い

2017-09-29 06:26:39 | 二輪事業
「RACERS vol47」
雑誌「RACERS」は、当時の最高レベルマシンのマル秘設計を多く取材し記載しているので、読む前は、その記述内容を期待してしまう。
「RACERS」の面白いところは、取材対象マシンが大活躍した時代の、世界の頂点に立ったチャンピオンマシンを、その当時の技術的に世界最先端にあったマシンを詳細に取材し、加えてマシン開発に携わった人間模様を掘り下げて記載しているところにある。開発の直接担当者そしてマシン開発を承認した企業トップの思いと、開発や実際のレースを通じて幾度となく挫折を負いながらも頂点に到達し、最終的に勝つまでの軌跡を調べ記述してあるので、だから、この物語は面白い。それらの記事は開発者の思い入れの深さに比例して、記者は丹念にインタビューし記事にまとめるので、読者は成程そーだったのかと感じ入ることが多い。また、それら取材した内容を企業広告が一切ない100ページの誌中にどのように集約し纏めあげるか、編集者の苦労も手に取るよう分かるから、面白い。

今回、「RACERS vol47」はホンダの5気筒MotoGPマシン特集。
5気筒エンジンには興味があった。しかし、5気筒エンジンの優位性を確認し採用に至った経緯について記述はサラーとまとめてあったのみで、論理的な解説を見つけられず、本当のところはどうなんだろうとの疑問は残った。また、興味がわいた点として、この本によると、ホンダでは当時の福井社長で6代目だそうで、そのうち5人はレース経験者でしかもかなりの負けず嫌いも少なくなかったとあるが、これがいわゆる、レース活動こそが企業活動に流れるDNAだと言って標榜し止まない企業であることを如実に表している。(ちなみに、数年前、ある雑誌記者が東京モーターショーの各社説明会での出来事をツイッターに流していた。それには、『ホンダの社長は「チャンピオン獲りました」とスピーチ。 ヤマハの社長は「2番でした」とスピーチ。カワサキはチャンピオン獲りまくったのに…。』とあるように、世界の市場に向け企業活動を具体的に報告するモーターショー挨拶の冒頭、ホンダの社長は「MotoGPレースにおける戦績」をまず説明し、そこに続く文章によって、ホンダが市場に最も訴えたい考え方を繋げて解説していた。これらからも、製品に流れるホンダイズムの原点はレース活動が牽引していることが直ぐわかる)

この流れで読んで、面白いなーと感じたのは、ホンダは社長やOB達がレース現場に深く関与し、そしてそれを良しとする企業風土が受け継がれていると言う事。社長やOB達の関与の仕方は色々だろうが、例えば、「ホンダという会社がすごいと思ったのは、技術を前提にストレートに話せる事。技術の前ではみんな平等だということ」そして「本当に大丈夫だろうか?」の開発陣の迷いを払拭し、開発陣を後押ししてくれたのはOB達だったそうだ。勝てない時ほど、そういうメンバーが「どうなっているのか話を聞かせろ」と来る。彼らに当たり障りのない説明をすると、「お前は本当にやりたいことをやっているのか」と、OB達は問題点が何処にあるかは既に分かっているので、OB達の後押しは有難かった記載されている。つまり、連綿と続くレ―ス運営や開発の歴史の中で、紆余曲折はあるにせよ、OB達が築いてきたマインドや技術が現役に確実に伝承されている記述は、これこそ企業活動のあるべき姿と感じられた。

技術の伝承と言う点では、同じ事例がヤマハにも見られる。「RACERS vol14」にはヤマハMotoGP開発母体であるMS開発部が、失われた苦節10年を取り返して勝利を掴む物語だ。ヤマハ50周年の記念の年に、グランプリ最高峰のレースで勝つ事を目的としてチャンピオン獲得命題に取り組んだ考え方の一つが「会社は、より精度の高い情報を、より多く蓄積せねばならない。それはあくまでもヤマハの資産であって、個人のものではない。それは、ヤマハと言う後ろ盾があっての引出であって、連綿と続く数字の蓄積、ノウハウの塊が困難解決のための確認材料となる」と記述されており、「足りなかったの技術ではなく、適正で明確な指針と理念。先端技術に賭けるのでなく、実績と経験を基本にマシンの再見直しを行った」とし、ヤマハという組織にロイヤリティを高くもつ経験豊富な技術者が残っていたこと、そして彼らを組織内に集約化できたことが勝利に結びついたとあった。蓄積した思考やノウハウを社内に残し、歴史として後輩に伝えるという記述はおおいに共感できるものがあった。
 

往々にして、OB達の実績はあくまで過去の人(その通りだが)として線引きし一見無視している会社もあると聞く事もあるが、今やグローバルな世界に、人の移動も活発に動くことで、ある面ノウハウも自由に行き来している時代に、しかも不正の内部告発者が不利益な扱いを受けないよう守る保護の対象に退職者を加える法令ができる時代となっているのに、こんな会社もあるんだと驚いたことがある。しかし業界のトップを走っている企業は、先人たちの功績を素直に認め、参考にすべきは多い参考にし、先人の知恵を借りながら彼らを超える事業を成し遂げようとする姿勢は、やはりDNAのなせる業だろう。

昔から言われていることだが、戦いのなかで蓄積された人的・物的な知識・技能の伝承が最も必要なレース運営組織は経験的に企業グループ内で実質伝承され運営され続けられるべきであり、マシン現物が残り設計図や計算書も残っているから大丈夫と言っても、肝心要な部分は結局、人にしか伝承されないからだ。OBから現役への戦いのマインドや重要な技術ノウハウの伝承を可能とし、最高レベルの開発技術が途切れることがなければ、参戦と撤退の歴史を繰り返すこともないのだ。「RACERS」からそんな読後印象をもった。


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KTMの実力

2017-08-28 06:30:07 | 二輪事業
米国現地時間26日、AMAプロナショナルモトクロス選手権の最終戦で、Kawasaki Racing Team のEli Tomac 選手がチャンピオンとなった。AMAスーパークロスレースや前年度のナショナル選手権の活躍を見る範囲では、もうすこし簡単にそして早くチャンピオン獲得できると予想していたが、決してそうとはならず、最終戦までチャンピオン獲得を引きづった。パソコンでの動画やネット記事を読む範囲なので的外れのところはあるだろうが、Eli Tomac 選手の欠点も見えてきたように思える。選手権のメーカー別結果では、チャンピオンはKawasaki、2位3位4位が欧州のKTMマシンで、5位はHondaとなっている。
    「Motocross Action」 
その最終戦の結果は次表の通りで、最終戦には欧州を主戦場とする世界モトクロス選手権参戦中のKTMワークスライダーJeffrey Herlings選手が地元AMA選手を完全に抑え2ヒートとも優勝した。しかも総合1‐3位までをKTMが独占すると言う快挙を成し遂げた結果に、また驚嘆した。Jeffrey Herlingsは世界選手権の開幕直前に骨折したこと、またAMAルールマシンは量産車が前提で彼が日常的に世界選手権で使用するワークスマシンと全く異なることもあり、世界選手権のコースと違いトリッキーなスーパークロスコースを日常的に練習しているAMAの選手と戦うのは、世界選手権の現在ランキング2位と言えど、技量的に差があるのではないかと懸念したが、結果は逆で、公式予選からトップ走行でAMAライダーを完全に抑え1-1での優勝は非常にビックリした。
  「Motocross Action」 

   オーストリアに本拠地があるKTMは、今や世界のオフロード界では押しも押されぬ頂点に立つ雄で、かってこの領域を占拠していた日本企業を蹴散らし、世界選手権や米国のモロクロス・エンデューロの世界の覇者である。加えて参戦したくとも誰でも参戦できるものではない、ロードレースの最高峰MOTOGPレースへの本格参戦のために下準備中でもあるが、AMAプロモトクロス選手権の最終戦での1-3位までKTMだとする結果は、改めてKTMの実力を見せつけられた。

昨年10月、KTMが開発の本拠地をメディアに紹介した際の説明にこうあった、「1992年、KTM社は小さなワークショップから出発、エンデューロレースのニッチ領域に参戦しながら成長し、その後、ラリーやモトクロスの世界で輝かしい成功を収めてきた。2006年には300人の従業員と60人を超えるワークスライダーを雇用できるレベルまでに成長し、「 Ready to Race 」と言う明快な企業コンセプトロゴを旗印に、モータースポーツへの飽くなき挑戦によってKTMはグローバルに成長し続けてきた。現在、3000人以上の従業員を雇用し続けている。また、今後とも年間売り上げの5%をモータースポーツ分野に投入する予定だ」だと説明も加わった。

KTMの企業コンセプトロゴ”Ready to Race”は出発点から何ら変わらず、その持つ意味は、KTMはレースばかりする企業ではなく、KTMはKTMユーザーと一緒に楽しみ、ユーザーと良い時を過ごしたいという意味だろう。末端市場はKTMの真の意味を理解し信頼し続けているのは間違いない。レースという言葉を企業指針にするとは以ての外とする人達もあるやかもしれぬが、欧州二輪企業は自社ブランド構築に躍起になっており、世界中の二輪愛好家にとっては必然的に気にかけざるを得なくなるだろう。

この理念は、かってカワサキのブランドコンセプト「Kawasaki. Let the good times roll 」ともよく似かよっているようにも思える。カワサキのそれは、「カワサキに出会う人たちが、みんなハッピーになるような活動をカワサキは展開し続ける」と言う意味でもあり、1975年以来、延々とカワサキの先人たちが貫いてきた、カワサキの二輪事業展開の基本理念でもあった。

昔のKTMにあった、巨大な日本の二輪企業と戦う健気な欧州二輪企業というイメージはとうに無くなったものの、KTMの活躍は世界の頂点に立ってもなお戦い挑む姿が見える。KTMを見ていると、戦後、日本国内の熾烈な競争に勝ち残り世界有数企業にまで成長した浜松企業にあった一種の破天荒さにも似た緻密な作戦が見て取れ、一方、日本二輪企業はみんなが指摘するよう大企業然として大人しくなってしまったようにも見える。
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中心はKTM、どうした日本企業!

2017-08-04 06:10:01 | 二輪事業
  「須田 純 FB」

欧州で開催されているFIM Junior Motocross World Championship に参加しているFB友達の須田 純さんが、今の世界の趨勢をFBに投稿している。
『予選A組 8位、Race1 34位、Race2 14位、総合 20位
決勝当日の練習ではタイムは3番手!チームジャパンみんなでラインの指示や、作戦を立てアタックしました!トップとはまだかなり差がありましたが、良い公式練習になったと思います。決勝レースは結果的に、両ヒート共1コーナーで転倒したり、転倒に巻き込まれてしまい、両ヒート最下位からの追い上げになってしまい惨敗でした。やはりまだまだ世界とは力の差があり、レースになりませんでしたが、この経験をこれからの練習やレースに生かしていきます!僕自身も今回チームジャパンと同行させていただき、凄く良い経験になりました。チームジャパン監督の元木さんや、カメラマンのナガミさんにもお世話になり色々な話が出来ました!

現地で色々なチームの人や関係者の人達とも話が出来ました! 特に多くの関係者に言われたのが、「何でチームジャパンなのにKTMなんだ?日本車じゃないのか?何で日本のメーカーは2ストを作らないのか?65cc85ccの新しいバイクを開発しないの?と、、、」(太字:ブログ管理者)なかなか心苦し質問でした、、、あと、ヨーロッパのモトクロスは、若手育成にはかなり力を入れていて、プロになるまでの育成プログラムがかなり進んでいます!日本とは大きく違う所だと思います!僕もヨーロッパの経験を取り入れ少しでもモトクロス界に貢献できるように頑張ります!それに元木さんの感覚と考え方、行動力がこれからの日本のモトクロス界の若手を成長させてくれると思います!今回は本当に良い経験になりました!ありがとうございました!』

FIM Junior Motocross World Championshipは65cc、85㏄、125㏄ 2ストロークマシンによるJuniorライダーのMX世界大会だ。ミニモトクロス大会の世界的雄、アメリカの「World Mini Grand Prix」や「 Loretta Lynn Motocross」と並ぶ有名なMXの大会だが、米国を含む世界の著名二輪ネット誌も取り上げる世界的にみると有名な大会のひとつだ。残念ながら日本ではあまり知られていない。この大会に、日本代表が参加する機会に合わせ、須田さんが支援しているライダーも参加したとある。間もなく、Cycle News誌やMotocrossActionネット誌でも結果は取上げられるだろうが、数年前から、この領域、Juniorライダーの領域はKTMマシンの寡占状態にある。

かって、この領域は日本企業の独占状態だったが、アメリカの訴訟問題が加熱した時期、子供を巻き組む訴訟を恐れた日本の二輪企業はミニバイク市場から早々に撤退した。唯一アマチュアライダーの支援システム「US Team Green」を持つカワサキだけが細々とミニモトクロスバイクの開発を行っていたが、それも数年で終わった(?)ので、今や、KTMに対抗できるミニバイクを市場に供給し続けている日本企業はない。しかし、そもそも、ミニモトクロスバイク撤退理由とされた訴訟問題で、現実的にはミニバイクに乗る子供が訴状に上がること等考え難い。と言うのは、訴訟原因要素の一つであるアルコールやドラッグの問題は子供には無縁で、かつ、親が自分の子供に不安定なバイクを買い与えるはずもなく、バイクのメンテも親がしっかりやるので、ミニバイクの訴訟問題は基本的に発生しにくいはずだ。以降、日本企業が撤退したミニバイク市場はじわじわと欧州のKTMが強力なサポート仕組みをもって販売を伸ばし、今や、この分野はKTMを筆頭とする欧州二輪企業の寡占状態にある。だから、須田さんが現地で指摘されたように、「何故、日本チームは日本製のバイクを使わないんだ?」となる。

しかし、在野のモトクロス関係者は、KTMの台頭事実を知っていて数年前に警告を鳴らしていた。
例えば、2013年の事だが、「マウンテンライダーズ50周年」に出席した際、主役の吉村さんは「今またヨーロッパからKTM等の逆襲が始まっている。今後のモトクロッサーがどうなっていくのか、私は興味が尽きない」とか、関東でMXコ―スを所有し全日本モトクロス大会も主催する福本さんからも「日本のオフロード市場ではKTMが台頭しつつある。今の日本製ミニバイクではKTMに対抗できない。このままにしておくと、日本市場がKTMに置換してしまう恐れがあり、取って替わられる前になにか検討しておくべきではないか」と聞かされていた。この日、偶然にも日本のオフロード市場の末端を観察している二人の著名人からKTM恐るべしと聞かされた。この話をある日本企業の関係者にすると、「打倒KTMを開発して何ぼ儲かる」と聞かされ、これが日本の開発の先端にいる人達の考えかと思った。しかし、現実は、世界のオフロード市場はKTMを筆頭とする欧州企業の独占状態となった。

既に、モトクロス世界選手権やアメリカのプロモトクロス分野では、450cc/250ccともKTMがチャンピオンマシンとして君臨し続けているので、KTMの優秀性とサポート体制が充実していることは分かっている。未来の450cc/250ccバイクユーザーである、65cc、85㏄の分野でもKTMの寡占状態にあるので、欧州勢がかなりの勢いで、大きな利益源である、この市場に浸食していくだろう。最近、二輪の大市場である米国での大型二輪の販売減少が話題に昇っているが、この時期、鼻の利く経営者の感覚は何時も鋭く、そして市場は正直だ。

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KTMの燃料噴射2サイクルエンジン登場

2017-05-17 06:25:42 | 二輪事業
去る3月、MotocrossActionネット誌が「RUMORS ARE TRUE! KTM ANNOUNCES TWO-STROKE FUEL INJECTION MODELS」を報道していたが、その続報が5月16日のMotocrossActionネット誌に「INSIDE LOOK AT THE 2018 KTM 250 FUEL-INJECTED TWO-STROKE ENGINE」として紹介されている。新エンジンは2018年モデル250XC-W TPIオフロードモデルの1台に搭載されるそうだ。
「TPI 」とは 「Transfer Port Injection」の略称で、2サイクルエンジンの掃気孔に燃料を噴射する機構だとある。TPIの燃料供給システムは、掃気孔壁に取り付けられた2個のインジェクターが左右の後方掃気孔(多分主掃気と副掃気があると思われる)夫々に燃料を噴射する。結果、燃料消費量を大幅に削減し、欧州の最新の排ガス規制である「新 Euro-4 emission standards」に合格すべく計画されているとも書いてある。
 

吸入空気と吸入圧、スロットル位置、オイル温度と水温を検知する5個のセンサーを読みこんで最適な点火時期と燃料制御をECUがコントロールする。シリンダー内の潤滑方式は、従来の燃料・オイル混合供給ではなく、別体の700㏄の潤滑油タンクから電気式オイル給油ポンプでエンジンに分離供給される。シリンダー排気口は排気タイミングを制御する排気バルブを装着し、外観から見ると排気バルブ固着対策も講じられている模様。また、TPIエンジンの電力供給用フライホイールはオルタネータの一部として機能する。


ごく最近、ホンダから2018年モデルの4スト450㏄モトクロッサー量産車がネット誌上に発表された。その改良点の一つにセルスタータが装備されている。4ストエンジンの欠陥の一つである暖気後のエンジン再始動の悪さは致命的で、しかもレースの勝敗を決する極めて重要な場面でエンジンがストールし、再始動に何度キックを繰り返すと益々再始動が困難となって、勝負に負けて涙を飲む場面をしばしば見ることがある。これがトップ走行中に発生するとライダーに責任がないだけに泣くに泣けない。この改良点としてセルスタータ装着は正解だろうが、2サイクルエンジンの再始動性は極めて良好なのでこのような問題はなかった。このように近年、モトクロス用エンジンが従来の主流であった2ストロークから4ストロークエンジンに代わり、2サイクルエンジンの持つ優位性だったものが、4スト化によってエンジンは複雑化し、それは重量増と繋がった。4ストエンジンの持つ欠点を解消するために、油圧クラッチ採用だ、セルスターター採用だとなると、それらは更にコストに跳ねかえり、結局ユーザー負担。これでは健全スポーツを志向するモトクロスファンが逃げていくような気がしてならなかった。加えて、AMAのSXレースの動画を見ていると、最近、著名なライダーの転倒シーンが頓に目立つようにもなっており、その転倒シーンを何度も繰り返し見ると、ライダーの意思とエンジンの挙動が必ずしも一致していないように思える場面が見えて気になっていた。

ところで、世界のモトクロスレース規則をみると、最近、オーストラリア、カナダ、デンマークそして米国のアマチュアレースに続いて、欧州を主戦勝とするEMX GPサポートシリーズが250㏄クラス(EMX250クラスはモトクロスグランプリレースのサポートレースで、欧州では最重要なクラス)を、従来の4ストローク250㏄エンジンに加え、2ストローク250㏄エンジンエンジンでの出場を許可する結論となった。従来は、このクラスに出場する2サイクルエンジンは排気量半分の125㏄のみが許可されていたが、排気量の差別化を撤廃すると言うもの。やっと、4ストエンジンが2ストエンジンと同等に競合できるレベルにまで競争力が向上したので、エンジンの差別化をする必要性が無くなった言う事だろう。ルールは企業のためにあるのでないのだから、やっとエンドユーザーの要求にルールが近づいる。

その理由の一つが2ストロークエンジンのメンテナンスの簡便さやコストパフォーマンスの優位性によるもので、末端ユーザーは2ストロークエンジンの利便性を評価し、2ストローク待望論が根強くあっただけに、至極自然な決定だと思う。10年ほど前のルールブックはエンジンストロークによる差別化はなかったが、4ストロークエンジンがモトクロスに適用される従い、性能的に劣っていた4ストロークエンジンを救済するためにエンジン排気量を差別化していた。やっと4ストロークエンジンのエンジン性能が2ストロークエンジンと同等に戦えるレベルになったので、エンジンストロークに排気量の差別をなくそうと言う動き、これはエンドユーザーの強い要求によるものだろう。そして、2ストロークエンジンの欠点の一つであった、燃料消費量や排ガス規制の課題が改良された250XC-W TPIエンジンの供給が現実化すれば、更に末端ユーザーの要求を満足させるもので歓迎されると思う。

KTMは欧州オーストリアの二輪企業だが、ここ数年、世界最高峰モトクロスレースである、世界モトクロス選手権や米国のスーパークロスレースでチャンピオンを獲得しつづけている、名実ともに世界のオフロード市場の頂点に立つ名門企業。しかもUSKTM「Orange Brigade」の草の根活動は、米国のアマチュアモトクロスユーザーを支援しつつ、更に戦闘力のある多くのミニバイクを開発提供しながら米国のオフロード市場においても絶対的な信頼性を構築してきた。更に言えば、ここ数年の本格的モトクロッサー450、250クラスの量産車分野においても、雑誌評価(Motocross Action 、Cycle News)によると日本車を完全に凌駕しており、常に最上位の評価を獲得し続けている。その名実とも世界トップに君臨するKTMが発表した「新2サイクルエンジン」には大いに興味がある。

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2サイクル燃料噴射エンジンが登場する。

2017-03-17 06:20:03 | 二輪事業
16日のMotocrossActionネット誌は「RUMORS ARE TRUE! KTM ANNOUNCES TWO-STROKE FUEL INJECTION MODELS」を報道している。KTM社が2018年モデルエンデューロ車に2サイクル燃料噴射付エンジンを供給すると発表した。数年前から、このプロジェクトは噂と知られていたらしいが、本当に市場に出てくるとあったので興味がわいた。
   「KTM」
世界のオフロード市場の最前線で活躍するKTMが開発した、2サイクル燃料噴射エンジンは燃料消費量の減少と燃料とオイルの給油を分離した機構を備えていると解説されている。KTMによると、インジェクションボディ形態は4ストエンジンMXに採用されているものと異なり、また船外機やスノーモビルに適用されている燃焼室への直噴とも異なる。KTMはそのシステムを「Transfer Port Injection」と呼んでいる(KTMのポンチ絵をみると、掃気孔に噴射していようにも見える)。従来の気化器構造に比べ、燃料噴射機構を採用すると、車体構造の最適値まで見直すことができるだけに、来年に登場するとされるKTMのオフロード車がどんな構造・性能を発揮するか、来年のマガジン評価を楽しみにしている。

KTMは欧州オーストリアの二輪企業だが、ここ数年、世界最高峰モトクロスレースである、世界モトクロス選手権や米国のスーパークロスレースでチャンピオンを獲得しつづけている、名実ともに世界のオフロード市場の頂点に立つ名門企業。しかもUSKTM「Orange Brigade」の草の根活動は、米国のアマチュアモトクロスユーザーを支援しつつ、更に戦闘力のある多くのミニバイクを開発提供しながら米国のオフロード市場においても絶対的な信頼性を構築してきた。更に言えば、ここ数年の本格的モトクロッサー450、250クラスの量産車分野においても、雑誌評価(Motocross Action 、Cycle News)によると日本車を完全に凌駕しており、常に最上位の評価を獲得し続けている。その名実とも世界トップに君臨するKTMが発表した「2サイクルエンジン」に興味は尽きない。

ところで、全日本選手権レースでのKTMは、日本車に比べ伸び悩みだが、見る人が見るとこうも違うものかと思い出した。去る2013年3月、「マウンテンライダーズ設立50周年」時に配付された、主役の吉村太一さんが書いた「モトクロッサー開発よもやま話」にある。「日本製モトクロッサーが最初から優秀だったのではなく、積み重ねがあり現在の地位がある。しかし、今またヨーロッパからKTMなどの逆襲が始まっている。今後のモトクロッサーがどうなっていくのか、私は興味が尽きない」と締めくくっている。これにはビックリ! 全日本や世界のモトクロス市場の中心で活躍しながら市場末端の推移を肌に感じ見てきた本人から、今、脅威に感じる二輪企業として「KTM」の名を聞くとは思いもしなかったのだ。また同会場で、かってカワサキモトクロスチームの主力ライダーで、ホンダで全日本チャンピオンとなった、福本敏夫さんと四方山話をした際、彼が言うに、今、日本のオフロード市場ではKTMが台頭しつつあるとの事。このままにしておくと、日本市場がKTMに置換してしまう恐れがあり、取って替わられる前になにか検討しておくべきではないかと聞かされていた。この日、偶然にも日本のオフロード市場を観察している二人の著名人から、KTM恐るべしと聞かされていた。当時、この話を日本のオフロード開発のとある担当者らしきにすると、「KTM恐れるにあらず、打倒KTMを開発して何ぼになる」という意見を聞かされがっくりしたが、しかし日本企業が世界に打って出た黎明期、当時の欧州企業が正にそうだったのだ。そして今や、世界のオフロード市場を牽引しているのは、間違いなく欧州で、日本車では既にない。
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試作車展示

2017-02-20 06:36:03 | 二輪事業
日本の二輪ネット誌”mr-bike”の2月16日記事に、「カワサキのモーターサイクルフェア―2017」なる展示会の紹介で、その中に量産移行できなかった試作車があった。「2ストロークの可能性に挑戦」という表題。
「1969年に登場したマッハⅢ 500SSは、ジャジャ馬マッハとして伝説になるほどのインパクトで当時市販車最速と言われた。その“市販車最速”を受け継ぐモデルが4ストローク4気筒エンジンのZ1なのだが、2ストローク水冷4気筒モデルも検討されていた。開発コード0280、開発ネーム“タルタルステーキ”と呼ばれた試作車は、マッハのように加速性能や最高速最重視ではなく、2ストロークエンジンの将来を見越した総合的な性能向上に挑戦した意欲作であった。エンジンレイアウトは前面の空気抵抗を考慮しコンパクトなスクエア4とし、ツインキャブを装着。インジェクション装着車も試作された。目標通り最高出力75ps、最高速度200km/hはほぼ達成されたが、北米で強化された環境規制やオイルショックなど急激に変化する時代背景では、2ストローク大排気量車が生き残ることは難しいと判断し、残念ながら完成間近で開発は中断された。」と書いてある。
    「mr-bike」
   

2サイクルエンジン750㏄の試作車では、ほぼ同時期に開発されていた、ヤマハ、カワサキの試作車が同じく”mr‐bike”に紹介されている。
   
ヤマハのGL750は1971年東京モーターショーに展示され大好評を博した試作モデルだが、後にも先にも、これ以上格好良いバイクは存在し得ないと思われる程に凛々しく堂々たる風格をした素晴らしいデザインだった思う。今思ってもこれほど端正のとれた凛々しいバイクはない。水冷2サイクル並列4気筒750㏄で燃料噴射を装備する計画とある。1970年代は、素晴らしい造形のバイクが多かったが、その中でも特筆すべきデザインのバイクだと個人的に思っている。当時は米国の排ガス規制が激しくなり、結局2サイクル大排気量車の販売は困難だったのだろうか。しかし、その設計思想の一部は2サイクルロードレーサーYZR500へと変貌し、数々のレース戦績を収めたと記憶している。
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