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野々池周辺散策

野々池貯水池周辺をウォーキングしながら気がついた事や思い出した事柄をメモします。

世界3位を目指す

2020-02-17 06:34:53 | 二輪事業
13日の米国の専門誌「Motocross Action mag」に面白い記事(KTM SET SALES RECORD FOR THE NINTH YEAR IN A ROW)があった。
  「KTM’s Austrian headquarters:Motocross Action mag」

KTM and Husqvarna combined for a total of 280,099 motorcycles sold in 2019, an increase of seven per cent over 2018’s sales totals. That makes it nine years in a row of sales growth for the company as a whole. Of the 280,099 units sold, 234,449 bikes were KTMs, and 45,650 were Husqvarnas.
「KTMとハスクバーナを組み合わせた2019年の合計販売台数は280,099台で、2018年の販売台数比+7%。 これにより、会社全体の売り上げが9年連続プラス。 280,099台の販売台数のうち、234,449台がKTMで、45,650台がハスクバーナだった。 さらに別の原文には、KTMグループの主要市場は米国で、特に米国のオフロードユーザーに支持されていると述べ、米国市場における日本のビッグ4の販売が低迷する中にあって、KTMは著しく販売を伸ばしたともある。加えて米国市場でもKTMの2ストロークモデルは強く支持されているようだとある。
そして、
Pierer Mobility, formerly known as KTM Industries, just released its year-end numbers and they were positive, especially in the US market, where overall motorcycle sales of most brands are either down or flat, but in KTM’s and Husqvarna’s case sales were up. Stefan Pierer has a five-year plan to sell 400,000 motorcycles a year, which would surpass Kawasaki as the third-largest motorcycle manufacturer in the world.
「米国市場では、ほとんどのブランドのオートバイ全体の売り上げが減少または横ばいの中、KTMおよびハスクバーナは販売を伸ばした。次の目標は、5年以内に年間40万台販売する計画で、目標達成時はホンダ、ヤマハに次ぐ世界第3位の二輪企業となる」とある。

欧米の二輪販売が低調傾向にあるにも拘わらず、自社ブランドの販売は伸び続けているとするKTMの経営は素晴しい。
1991年に会社倒産(1991年の前、KTM社が倒産する可能性があると、世界モトクロス選手権の会場、イタリアでこの話題を直接聞いたことがある)に会いながら「RacerXonline.com」の記事「KTM FACTORY TOUR IN AUSTRIA」の説明によると、1992年、KTM社は再び小さなワークショップから出発、エンデューロレースのニッチ領域に参戦しながら成長し、その後、ラリーやモトクロスの世界で輝かしい成功を収めてきた。” Ready to race ”と言う明快な企業コンセプトロゴを旗印に、 モータースポーツへの飽くなき挑戦によって KTMはグローバルに成長し続けている。その目標とするのが、5年以内に世界第3位の二輪企業に成長することだと言う。超優良企業だった米国のハーレーダビッドソンでさえ2019年の世界販売台数は22万台弱に低下し、メディアによる二輪の将来は必ずしも明るいと言えないとする論調もしばしばあるが、大きく成長しているオーストリアの二輪企業KTMの話題は明るい。

KTMの話題が顕著になってきた例の一つに、「Motorcycle USA.com」の「KTM Claims Biggest Sales Growth in 2013」では「2013年、米国で最も急成長している二輪企業はKTMだ。KTMの11月の販売台数は2012年同月比+49%、11月末時点では年初来の数字は28.8%の増加」の記事があった。リーマンショック後、二輪の大市場米国市場が半減したのを契機に、IR資料によると、世界の二輪事業を牽引してきたホンダ、ヤマハは欧米主体から新興国に活路を見出した。日本企業が落ち込んだ欧米の二輪市場に浸食してきたのが、強いブランド力をもつ欧米の二輪企業だと言われていた。その中で、KTMは、その明快なコンセプト”KTM Ready to Race”でON,OFF車とも豊富な品揃えと地道な「草の根活動」を展開し、日本二輪企業の販売が低調な、この時期を絶好の機会だと捉え、アメリカのオフ市場を席巻する動きをみせた。結果、モトクロスの分野では、世界選手権や米国のスーパークロスレースの王者として君臨し、そこから生み出す製品の優秀性を訴求し続けることでKMT信者を増し続けた。今まではハーレーは別格で日本企業間で其々の立位置を論議していれば良かったが、今や、そうではないようだ。

KTMの企業コンセプトロゴ”Ready to Race”は企業倒産後の出発点から何ら変わらず、その持つ意味は、KTMはレースばかりする企業ではなく、KTMはKTMユーザーと一緒に楽しみ、KTMユーザーと良い時を過ごしたいという意味だろう。末端市場はKTMの真の意味を理解し信頼し続けているのは間違いない。レースという言葉を企業指針にするなど以ての外だとする企業人もあるやかもしれぬが、欧州二輪企業は自身の立ち位置を明確にすることでブランド構築に躍起になっており、結果、世界中の二輪愛好家は必然的に気にかけざるを得なくなる。オフロードのKTMの印象が強いが、オンロードの分野でも2018年にはロードレースの世界選手権のMoto3クラス、Moto2クラスおよびロードレースの最高峰MotoGPクラスの3クラスにワークスチームを送り込む唯一の企業でもある。勝つには三桁前後の億予算が必要と言われるMotoGP参戦だが、2020年のプレシーズンテストでは著しい成長を見せるまでになった。こうしたKTM成長の事例を見ると、二輪事業は経営手腕によってはまだまだ「未来ある事業体」と言えるのではないだろうか。当たり前のことだが、最後は結局、経営戦略の優劣が勝敗を決する。
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2025KX250(?)待望論

2020-01-23 06:36:17 | 二輪事業
パソコンのお気に入りに登録している、「Motocross&Supercross」と言うFBに1月21日、投稿された写真がこれ。
「250 KX 2025 ?? 🤩💚
  
「FB"Motocross&Supercross”」

先日(16日)の「motocrossactionmag.com」に投稿された「FORMULA 1 TO SWITCH TO TWO-STROKES IN 2025」に引っ掛けての、「250 KX 2025 ??」の字並びが意味不明なるも、かってに好意的に解釈し、2ストロークモトクロスマシン待望論の表現なんだと、ここ数年の2ストロークマシンを熱望するアメリカのモトクロスユーザーの根強い人気を示すものとしてみると面白い。

2025年と言う、未来の話は置いといても、2ストロークのモトクスマシン待望論の一つに、著名なアフターマーケット会社「Pro Circuit」の社長で「Pro Circuit Race Team」のオーナーでもあり、かつ優秀なエンジンチューナーでもある、Mitch Paytonさんが、数年前の「RacerxOnline」のインタビュー記事に答えて、こう話していた事がある。「Everybody is buying some old two-stroke and they’re fixing them up as a weekend ride bike. I think there is a certain amount of people that love riding motorcycles and they just want to do it for fun. They don’t need a World Superbike to go ride on.”」・・米国では、生活の一部として極普通にバイクを楽しんでいる多くの人々がいる。彼らは古い2サイクルのモトクロスバイクを購入し週末には整備し、こうした人生を楽しんでいる。米国の多くの人々はバイクが好きなんだ。だけど、彼らが欲しいバイクはWorld Superbikeマシンでは決してない。・・・
インタビューは多岐にわたっていたが、その中に、質問者の「Mitchが、バイクマーケットを広げるためには、よりエントリーレベルに適した、格好良くて高性能な2ストロークモトクロスバイクが必要だと日頃から語っている件について」と言う質問に、こう答えている。
「I would love it. I think it’s important. I think the manufacturers, as a whole, have done a pretty good job of trying to keep the minibike classes to two-strokes. I wish Honda would bring out a two-stroke again. I see it in our shop. Our two-stroke pipe sales are fantastic. Everybody is buying some old two-stroke and they’re fixing them up as a weekend ride bike. I think there is a certain amount of people that love riding motorcycles and they just want to do it for fun. They don’t need a World Superbike to go ride on. [Laughs] I almost think—and this sounds crazy, and I’m probably going to get slaughtered for saying it—that we don’t need to have electric start and some of the stuff. We keep pushing the bikes and they keep getting a little bit more sophisticated. Yeah, after a guy has a button, he doesn’t want to go back to kick starting a bike. We had great racing when we just had dumb old two-strokes with a kick start. And the cost was cheaper. (略)」

今、Pro Circuitの2ストローク用のエキゾートパイプはよく売れているそうだ。古い2ストロークエンジンモトクロスバイクを買ってきて、Pro Circuit製のエキゾートパイプを装着し楽しんでいる多くのユーザーがいると、末端市場と常に接点を持ってビジネスを展開してきたPro Circuitは米国の顧客ニーズをこう説明している。されば、世界の半分以上を有する大市場である米国の末端の動きを無視しては通れまい。

個人的に思っていることだが、最近のモトクロスマシンの主流が4ストロークエンジンに移行し、その最新マシンが発表される度に感じたことだが、この開発方向が末端ユーザが本当に望む事なんだろうかとか、ひょっとしたら開発販売企業の都合だけで動いてはいないだろうかと言う疑念を持ってきた。優れたモトクロスマシンとして多くのユーザーに長く支持されてきた2ストロークエンジンの持つ優位性が消され、4ストローク化によってエンジンは複雑化し、それは重量増とも繋がり、それにアルミの車体だ。4ストエンジンの持つ欠点を解消するために、油圧クラッチ採用だ、セルスターター採用だとなると、それらは更にコストに跳ねかえり、結局ユーザー負担。これでは健全スポーツを志向するモトクロスファンが逃げていくような気がしていた。あまりにも技術が複雑化してのコスト増ではユーザ負担が増加する。すると、必然的に原点に帰ると言う作用が発生するのは過去の日本のレーサーレプリカ時代もあったように、世界の多くのモトクロスユーザーは、今、販売価格も維持費も安価で、あの官能的に刺激する排気音の2ストロークエンジンのモトクロスマシンを切に待ち望んでいるんだと思う。
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こんな時代もあった

2019-12-13 06:30:53 | 二輪事業
25、6年ごろ前、現役時代の米国の仕事仲間、Bret Leefが11日、FBに投稿していた写真を暫らく見入った。
 Bret Leef
  「The early years - when Kawasaki had 4 riders on their Factory MX team.」
  
そのコメント欄に、
 「This photo is from 1994. The truck’s first race was at the Gatorback National the weekend before Daytona in 1991. The guys had driven their box vans to the east coast and The Atlanta SX in 1991 was the last Kawasaki “Factory box van” weekend.」とも書いてあった。
この写真は以前にも見たことがあり、’93の「US kawasaki Racing Team」のワークスピットとばかり思っていたが、実際は’94年だそうだ。手前のライダーは#33はRobbie Reynard選手で、当時は新進気鋭の期待の星だった。125㏄クラスではメチャクチャ速かったという印象がある。奥で当時のKMC R&D出向社員松尾さんと談話している、頭に両手を回しているのが、当時の Kawasaki MX team managerの Roy Turner。右端で談話中の腕組み帽子が、KHI技術部からレース支援に派遣された的野さん。#33Robbie Reynard選手と話しているのがKMC(kawasaki motors Corp)のBret Leef。コメント欄には、’91年DaytonaSXレースの前、Gatorback からこのトラック(semi-trailer truck)をレースマシン搬送用として使用したとある。それまでは、各ライダー毎に小さなOne box vanに各選手専用のワークスマシンや部品を積んで、担当メカニックが米国中を運転し転戦していた。’91年中盤以降、このトラック(semi-trailer truck)に全選手がレースに使用するワークスマシンや一切合切の部品・ツール類を積み、専任のトラック運転手が全米のレース場を回った。ライダーやメカニック等の関係者は飛行機移動だ。この方式(semi-trailer truck)の方がOne box vanより仕事の効率化の点で遥かに優れていた。 当初、レースマネージャーのROYが”セマイトラック”と言うので、こんなデカいトラックを”狭いトラック””と言うのかと、何のことやらさっぱり分らず、辞書を引いて”セミトレーラー・トラック”の’Semi’’を単にセマイと読んでいる事が分かり、大笑いだった。いやはや懐かしい。米国カワサキが最強を誇っていた時代の話だ。

この時代はカワサキに限らず、一部を除いてどのワークスチームも4名のワークスライダーを抱えていた時代だ。米国では、どのスポーツ選手にも一般的に当てはまることだが、一流に成ればなるほど勝てる可能性の高いチームと契約する。そのことでチャンピオン獲得の可能性が高くなり、契約金も相対的に高くなるからだ。こうしてみると、当時のカワサキワークスライダーは米国のモトクロス界を代表する超一流ライダーばかりだが、彼らがカワサキを選んでくれたことに感謝せねばなるまい。

写真にある、KHI技術部からUSカワサキのモトクロスチーム技術支援に派遣された的野さん。
「的野さんは鈴鹿サーキットのタイム記録保持者」でも有名な元々はロードレースの選手だった。カワサキではモトクロスの車体実験責任者でサス担当でもあった。当時、カワサキKXのサスペンションが市場から永く好評価を受け続けていたのは、的野グループの功績でもある。「ユニトラックを装備したワークスマシンが実戦に投入されると、一大センセーションを巻き起こし、'80年代初頭から始まるKXシリーズ台頭の急先鋒となった。量産車としては'80年に量産KXに適用されて以来、'86年には、今日の原型となるボトムリンク式のユニトラックがデビューし、リンク方式を改良しながら現行タイプへと進化していった」とは、川重HPにある「kawasaki DIRT CHRONICLES」の一節だが、開発の中心にいたのが的野さん。

当時前後の事を少し話すと、’80年代以降、エンジンの開発とサスペンションを中心とする車体開発の融合がKXを飛躍的に伸長させ続けた要因だ。日本のサス担当と米国KMCR&Dの開発評価ライダーだった、M.PrestonやM.fisher等が量産移行寸前まで仕様決定のテストを執念深く繰り返していた。結果、雑誌社の好評価も相まって、KXの販売台数も飛躍的に伸びた時代だ。

「エンジンのトラクションをRサスで叩き出す」、エンジン性能をサスペンションが引き出す事も多く、開発組織が上手く回転していた。勿論、KXのエンジンは時代に先駆けた新機構を順次採用し高い評価を受けていたが、同時にサスペンションも市場から高い評価を得ていた。カワサキは、的野さんを中心にサスペンション専門家を育成し確保していたので、サスペンション仕様を生産会社に一任することは一切なく、カワサキの固有技術としてサス開発技術を開発部内に蓄積出来ていた。ある時、サス専門会社KYBの新事業部長が挨拶に各社を訪問され、意見を聞かれることがあった。他の二輪メーカーはKYBへの不満を含め多くの要求を出したらしいが、カワサキはしなかった。理由は簡単。そのメーカーを高く評価していたから、現状のままでOKとの意見を述べただけ。当時は、サスペンション、電装、気化器等の主部品メーカーを取り込んだ、「チームカワサキ」を構成していた。「チームカワサキ」がレース体制支援から量産に至る開発を共同分担していたので、互いのコミュニケーションも上手く機能していた。つまり、チームカワサキに対して部品メーカーのロイヤリティが極めて高かった時代だった。

当時、カワサキモトクロス最大の競争相手はホンダだが、部品メーカーも同様にホンダ系列企業と熾烈な競争に晒されていたので、互いの利害が一致したこともあって、サーキットでもカワサキのレースジャケットを着用し、チームカワサキの一員として、カワサキを勝たせるための競争だった。だから、新規技術はカワサキチームに持ちこまれレースに供与され、他社が使いたくとも2,3年待たされた事もあったと聞く。ある時、サスの競合メーカーから全面的支援体制の申し入れがあったが、的野さん等の回答はNO。理由は簡単で、「カワサキの競争相手と組んでいる部品メーカとは組まない」と非常にシンプルな理由だった。レースや量産開発という目的を通じて、強い信頼関係を築いていた。勿論、コスト意識も互いに共通認識があったのでやり易かった事も事実。遠い昔の話なので今では冗談まがいに話せるが、当時は勝つために必死だった。どのような体制にしたら、勝てるかを真剣に考えていた。

あれから30年近くが過ぎ、マシンも組織運営能力も更に高度化しただろうと思われる現代と、当時の昔話を持ち出し比較する積りは毛頭なく、その場を経験した誰でもそうだと思うが、非常にワクワクする面白い時代であったことは確かだ。良いことも悪い事も、過去の事実は変えようがなく、良い時代を過ごさせてもらった。

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MIKE LaROCCO ON KX500

2019-12-07 06:32:43 | 二輪事業
6日の米国の著名な専門誌「Motocross Action」は「FLASHBACK FRIDAY | MIKE LaROCCO IN 1993 ON HIS FACTORY KX500 BEAST」を取り上げている。
         
       ’93MIKE LaROCCO ON KX500           ’94MIKE LaROCCO ON KX500
MIKE LaROCCOがカワサキKX500で世界最強のAMA500㏄クラスチャンピオンを獲得した時の記事だ。

KX500のAMA500CCクラスのチャンピオン獲得の歴史と言えば、1989以降は特にカワサキの独壇場であった。
1972 …Brad Lackey (Kaw)
1975 …Jimmy Weinert (Kaw)
1989 …Jeff Ward (Kaw)
1990 …Jeff Ward (Kaw)
1992 …Mike Kiedrowski (Kaw)
1993 …Mike LaRocco (Kaw) 
 

30数年前の現役当時、世界中のモトクロス選手権で戦ってきたが、何度も思い出しても、KX500程苦労したマシンはない。
2サイクル500㏄単気筒のパワーをコントロールできる選手は、世界中探しても5指もいない時代だ。だから、個性と技量の異なる多くのライダーが、有り余る500㏄単気筒エンジンをコントロールできるエンジン特性に如何に仕上げるかが難しかった。その点においてKX500程苦労したマシンはない。

エンジンのパワーを出すのはそんなに難しい事ではないが、パワー特性、いやトルク特性をスムーズに纏め上げる必要があるが、制御機構が無い時代に、シリンダー、エキゾートパイプと気化器で、有り余るエンジンパワーを、多くのライダーがコントローラブルにできる特性に纏めるのが難しかった。だから500ccのエンジン担当は設計者や実験者とも大変苦労していた。80、125、250㏄がパワーを絞りだすことに注力すればよいので非常に高い評価を受ける傍で、スムーズなエンジン特性を求めて、たいへん苦労してテストを繰り返す毎日だった。当時はホンダCR500のエンジン特性は一般の評価ライダーの評価も良く、あのエンジン特性は常にベンチマークだったが、実際のレースシーンでは、振り返って雑誌を読むと、トップライダーの筆頭にあったRon LechienはKX500を絶賛していた。苦労したことはいつまでも忘れずにいるもので、当時のKX500設計担当の山本さんは当時のコンロッドを今も大事に保管していると、OB会で聞いたことある。だが、こうして時代を超えて出てくる専門誌の紙面を見ながら、米国AMAの歴史を振り返ってみると、KX500は高い戦闘力をもったチャンピオンマシンだったと高く評価された事実がある一方、それでもなお、ノービスからプロライダー迄の多くのライダーが満足するエンジン特性を纏めあげる難しさに、昔の自虐的になった時期の思いがネガティブに自分の頭の中に残っているもので、何年経っても苦労した思いは変わらない。
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2019年のLoretta Lynn'sはどうなっている?

2019-08-12 06:31:00 | 二輪事業
2019年の米国Rocky Mountainで開催されたAMAアマチュアモトクロスナショナルレースで、カリフォルニア拠点にレース活動を続けてきた下田丈選手が大活躍していると、SNSにあったので調べると、「250 Pro Sport - Overall Finish Positions」では17位となっている。下田選手は1ヒート目が8位、2ヒート目が1位、3ヒート目がリタイヤでトータル17位。それにしても、有名なLoretta Lynn'sで日本人選手がヒートであれ優勝した事等は聞いたこともなく、全日本から脱出し米国を主戦場として戦う日本人選手が現れた事に些かびっくりしている。

さて、日本人の活躍はさておき、全米最大のアマチュアモトクロスレースの祭典、Rocky Mountain's Ranchにおけるレース結果「full results」があった。
アマチュアライダーの原点クラスは排気量”65cc”と”85cc”のミニモトクロスクラスが中心だが、このリザルト表を見てビックリした事がある。10才前後のアマチュアモトクロスライダーの出発点である、65や85ccクラスは「KTM」マシンが既に凌駕している。かろうじて、最近、65ccクラスに新モデルを投入したヤマハが善戦しているものもあるが、総体的にみれば、どのクラスもKTM車が上位にあり、特にモトクロスの原点で重要クラスは「KTM」が独占状態だ。
   「65㏄、10-11」
   「85㏄m10-12」

かって、日本メーカーがオフロード市場に進出する際、最も大事にした購買層はキッズ市場で、各社ともキャンペーンを組んでこの層のユーザーを大事に育ててきた。しかし、だいぶ昔の話しだが、アメリカの訴訟問題が加熱した時期に、訴訟問題を恐れた日本の二輪企業ヤマハ、スズキ、ホンダが全米のアマチュアライダー支援から全面撤退し、全米のアマチュアライダーを支援しづけてきたのは唯一カワサキの「Team Green」のみとなった。かくして「Team Green」はカワサキ車のみならず、カワサキ以外のユーザーまでを分け隔てることなく支援しつづけることで、アメリカのオフロード市場を底辺から支え続けてきた「Team Green」活動も今年で38年目に入る。

そして、数年ほど前から欧州のKTM社がアマチュアモトクロス分野の支援に参入した。KTMがアマチュアライダー支援を開始すると、「Team Green」が支援しきれていない分野を、それまでの日本メーカ以上の支援活動を実施するとともに、更に戦闘力のある多くのミニバイクを開発することで、絶対的にKTM車のマスが増加しつつあった。更に、5年ほど前だと思うが、日本二輪企業の中では最も多くのオフロード車の品揃えを提供しているメーカー、ヤマハがアマチュアライダー支援を開始した。多くのアマチュアライダーにとって、自分が購入したバイクメーカーが全面支援してくれる販売企業が増える事は、鬼に金棒だ。

爾来、日本各社が二輪市場支援活動から撤退もしくは縮小した間隙の中に、米国オフロード市場に参入してきたのが、前述したオーストリアの「KTM」社だが、その効果はてき面で、65cc、85cc市場はオレンジ色(KTMカラー)一色に変貌してきた。こうした傾向にあることを各メデイア情報で既に分かっていたが、これほどまでにKTMが独占状態に台頭しているとは思いもしなかった。この傾向はミニバイク市場だけかと言うと決してそうではなく、250cc、450ccプロクラスのチャンピオンはKTMが占め、しかも多くの米国モトクロスバイク専門誌が毎年実施しているバイク比較でもKTMが常に最上位に評価されているのを見るに、既にこの米国オフロード市場は「KTM」が独占する時代へと変わった。昔から米国でのモトクロスを筆頭とするオフロード市場は景気に左右されにくい安定市場で、米国民には昔から根強い人気がある。KTMはこの大市場の頂点に立った。
        
「KTM Ready to Race」単純明快なコンセプトが、アメリカのオフ市場を席巻する日が近い事を予感させると何度も当ブログにも書いてきた。世界のトップアマチュアが勝つために選ぶマシンがKTMだとすれば、彼らがオピニオンリーダーとなって市場を引っ張るので、日本の二輪企業は米国モトクロス市場から掃き出された感さえある。(別件だが、KTMの大株主はインドのバジャージ社。BMWの傘下にあった、ハスクバーナ社をKTM社のCEOが買収したので、KTMとハスクは兄弟)さて、これから日本の二輪各社が、KTMが占拠する市場に、如何に戦いを挑むかあるいは逃げるか、どのような動きをするか楽しみに観察してみるのも面白い。

と言うのは、全米には、多くの市民がオフロードを楽しむエリアが幾つもある。現地に行くと、そこには数台のキャンピングカーを中心に、父親と少年少女達がモータサイクルや四輪バギーVW改造車でビュンビュンと走リ回っている。側で、母親はキャンピングカーに張ったテントの下で昼食のサンドウィッチを準備をしていて、楽しそうな家族的な風景があった。どちらかと言えば、キャンピング地の近くは、リタイヤした老人達が余生を過ごす場所でもあるが、ホテルの食堂は家族が楽しむ場所でもあった。そこには、暴走族まがいの人達は一切おらず、あくまでも家族単位の行動で、アメリカの週末の過ごし方の一つを垣間見る事が出来た。アメリカ人は長い開拓移民時代に、家族が一つの単位となり、幌馬車に揺られて 新天地を求めて歩み、永住の地にたどり着いた歴史がある。その頃の開拓民にとっては「家族」が唯一の財産であった時代の名残が、いまも脈々と受け続けられているのだろうと思う。開拓時代の馬が現代は単にモトクロスマシンに替わっただけで、一家の宝である自分の子供が英雄になった、この瞬間瞬間を家族は大事にしていくのだろう。こうして見ると、この世界が息づいている米国白人社会では、モトクロスを中心とするオフロード車市場は伸びる事はあっても廃れるとは考えられない。


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KXの事例

2019-02-20 06:26:27 | 二輪事業
先日、レース活動の「参戦と撤退」を繰り返すのは、企業としてみると得策ではないと書いた。
つまり、トヨタの「レーシングカンパニー」が言う「レースに参戦に単にお金を使っているだけだと、景気が悪くなったときすぐにレースをやめろと言われたりするので、ここできちっとレースを事業体をして位置づけることで、レース事業体、ビジネスとしての収益をあげて、それをモータースポーツ活動や車両の開発に投下していくというサイクルを回していく」という考えは、全くその通りで、重要なんだと思う。

しかし、現実的には、二輪、四輪問わず、それまで綿々と続けてきた企業でも「ワークスレースチーム」から撤退することは、ままある。しかも、それは「レース活動こそ企業のDNAだ」と標榜している企業でさえもレース活動から撤退してしまう。二輪や四輪製造会社や販売会社にも色々事情があるから、レース界からの撤退は決して恥かしい事ではないと思うが、その理由を市場に発表せず、突然撤退する事があり、これは著しく評判が悪い。突然のレース撤退は、多くのファンや関係者がモータースポ―ツへの関心を削ぎ、加えてスポンサー、ライダー、メカニック等々と多くの関係者の失望と、引いては若者の二輪や四輪離れの起因へと繋がってしまう。

ところで、レースのワークスチームの「参戦と撤退」と言うフレーズで言うと、例えば、2010年に発行された「RACERS vol6」の"kawasaki GP Racers特集”に「参戦と撤退を繰り返すカワサキに未来はあるか」という記事があった。本記事によると、「'82年のKR500は他社の4秒落ちで撤退、X09はタイムが上がらずじまいで'93シーズン途中で撤退、'02年のZXRRは勝てる見込みもないままリーマンショックの金融危機に揉まれてGPから撤退した」とある。何れも特にハード面の失敗が途中撤退の大きな要因と思われるが、「他社は続けているのに、どうしてカワサキだけが参戦と撤退の歴史を繰り返して来たのか、その根源を分析しようと試みた。それは「小さい会社」ゆえだった」と、インタビューした編集長は書いている。「小さい会社」ゆえの悲哀が、ロードレース運営の存続にも影響し続けた歴史だと言うことらしい。また、一方、「モトクロス部隊がうらやましい」との記述も同じ本に書いてあった。

それは、「全日本モトクロスに行くと、今シーズンもカワサキワークスのテントが張られ、その中にファクトリーマシンがある。モトクロスにおけるファクトリー活動はここ30年以上途切れることはなかったと思う。ファクトリー活動によってKXの開発が進み、また活動によってカワサキのブランドイメージ向上し、結果KXが売れユーザー層も厚くなり、ファンは喜び、社員の士気も上がって、また新しい技術が投入されたファクトリーマシンが走り出す。そんな図式が連綿と続いている。翻ってロードはどうか。残念ながら、ファクトリーマシンを走らせて結果を残せばバイクが売れる時代ではなくなった。ならば、メーカーにとって、ロードレースに参戦する大義は何だろう」と、カワサキのモトクロスとロードレースを対比させながら所感を述べている。

カワサキのロードレースは指摘の如く「参戦と撤退」の繰り返しだったので、担当した技術者は、その度に唇をかみ涙を飲んできたと類推されるが、一方、記事にあるように、カワサキのモトクロスは1973年のKX登場以来、「カワサキモトクロスの歴史は”一度たりとも開発を中断することなく、一度たりとも生産を中断せず、一度たりともワークスレースを止めることのなかった歴史”」であり、常にこの中心にいたのが技術部の開発部隊で、この歴史は変えようがない事実だろう。

カワサキモトクロスレース活動が戦績を挙げ続けてきた歴史の一番の要因は、ファクトリーチームが技術部の開発チーム内に所属し量産車の開発をも一緒に担当してきた歴史にあるだろう。カワサキモトクロスのプレゼンスが次第に上昇してくると、常勝カワサキを維持し続ける必然性と責任に加え、いや負けるかもしれないという恐怖感が一緒になって自然と心中に沸き起こる。この恐怖感などは一度でもチャンピオンになった者でしか味わえないものだろうが、実際そうなってくる。負けると散々非難され、一方、少しでもチャンピオンを獲得し続けると「もうええで」とか、雑多な意見がそれとはなしに聞こえてくるものだ。これもカワサキモトクロスがその地位を確立したことを認める証左だと理解するも、レース参戦の意義が単に勝ち負けだけの話題になってしまう虚しさが漂ってくる。だから、レースを継続し続けねばならない環境を何がなんでも構築しておかねばと、そう考えてきた。

  当時の米国カワサキのモトクロスマシンの広告宣伝文句は「誰でもJeff Wardと同じマシンを購入でき、Jeff Wardと同じようにライディングすることができる」だった。カワサキのモトクロス開発組織は、えーと言うぐらい本当に小さな所帯だった。その中で持ち得る戦力で他社と互角に戦うために、カワサキ独自の戦略を立てた。それは、全日本選手権は次年度以降の量産車の先行開発に専念することだった。他社の先駆的な機構を横目に眺めながら羨ましくはあったけど、自社の立ち位置は守った。他社に劣る戦力は如何ともしようがないので、持った戦力をフルに活用し全日本でのカワサキのプレゼンスを明確にすること、それは量産車の先行開発に徹することだった。その思想の延長上にKXシリーズが完成し、60~500ccまでの品揃えが完成し(当時はカワサキだけだった)、その技術を活用してのKDX、KLXそして三輪や四輪バギー車を自組織内で開発し続けた。遠い昔の潤沢な資金などとは程遠い予算で、レース活動を継続し、成功させ、認知してもらうには量産KXを含むオフロード車の開発を広く手掛け事業経営に貢献すること。しかしそれは、技術者は複数の開発機種を同時進行せざるを得ず、ワークスライダーも量産車の開発に多くの時間を費やす事になって、開発担当に負担が重く圧し掛かってくるが、結果、モトクロスを中心とするオフロード車は販売の伸びとともに事業性がみるみる好転してくる。小さな排気量にも関わらず収益性は極めて高くなっていく。しかも工場ラインが閑散期に入る時期にKXやKDXのオフロード車を生産できるメリットは生産の平準化に絶大な効果があり、ライムグリーン一色のマシンが次々とラインオフする光景は壮観なものだった。
    
幸いにも、アメリカの”Team Green”が確立した時期もあって、これ等はカワサキオフ車の追い風となり、カワサキオフ車の生産台数は他社を凌駕し№1の時期が数年に渡って何度もあった(他社の台数を調べる方法は幾つもある)。この開発と生産のサイクルラインを完成し収益性を向上させ維持し続けるために、ワークスレース参戦は必須だった。毎年、開発費やレース予算を含むKXビジネスの収益性を計算し、どのようにKXビジネスを展開するかを考えていた。この事情を本当に理解してくれたのが、当時企画部門の責任者だった故武本一郎部長で、「KXビジネスは儲かってるか」と電話で何時も気に掛けてもらった。これが、カワサキモトクロスビジネスの成功理由の一つでもある。結果、「カワサキのモトクロスは”一度たりとも開発を中断することなく、一度たりとも生産を中断せず、一度たりともワークスレース活動を止めることのなかった歴史”」として繋がっていた。
         
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失政、それとも景気悪い?

2019-02-01 06:23:12 | 二輪事業
30日のダウ平均は前日比434ドル高の2万5014ドルで終えたので、アメリカの景気はそんなに悪くなっていないと思っていたが、実際のところは本当は悪いのかもしれない。30日の日経、「米ハーレー9割減益 米国・アジアで販売低迷」に、「米二輪車大手ハーレーダビッドソンが29日発表した2018年10~12月期決算は、純利益が前年同期比94%減の49万ドル(約5400万円)だった。米国やアジアで二輪車の販売が落ち込み、世界販売が前年同期比から7%減少した。欧州と中国による輸入関税の引き上げも響いた」、更に「18年通年の販売台数は17年比6%減の22万8000台だった。米国を中心に先進国で若者の二輪車離れが進んでおり、19年の販売は18年比3~5%減の21万7000~22万2000台を見込む」とあった。

気になったので、「2018ハーレーダビッドソンHP」を覗くと、2018年の二輪関連商品の営業利益率は、2018年が8.5%(2017年は12.3%)と大幅低減となったようだ。下記はHPによる二輪関係のみの売上、営業利益、利益率を示す。HPによると、米国では、601㏄以上クラスのオンバイクは8.7%の販売ダウンがあったが、それでも米国でのハーレーのこのクラスのシェアは49.7%だそうだ。
  「2018ハーレーダビッドソンHP」
また、ある報告によると、米国でも日本と同様に若者のバイク離れが加速しており、2001年時点の二輪購入者の平均年齢は40歳だったが、2010年には二輪の購入者の平均は49歳に上昇したと報告され、初めてバイクを購入する顧客の割合も年々低下しているそうだ。その主な原因は経済危機によるものだそうだが、経済が回復しても二輪市場は回復しないとの予測もある。米国の二輪事情も深刻になりつつあるのかもしれない。

4年前の日経記事に、「ダウ大幅反発、ハーレー株高にみる米消費への期待」とあった。記事によると、「企業による四半期決算の発表が本格化するなか、消費関連株の一角の堅調さが目立った。例えば、株価が約4%上昇した大型バイクのハーレー・ダビッドソン。足元で、同社を取り巻く環境は厳しい。価格が高めの同社製品の米国での主要顧客はベビーブーマー世代と高齢で、今後の需要の拡大が見込みにくい。 収益拡大の活路とする海外事業の販売は好調だが、ドル高が向かい風となる。ハーレーの2014年10~12月期決算は小幅ながら減収減益となったが、1株利益は市場予想を上回った。 米国では若者や都市部の消費者向けに従来型より価格が低く小型のバイクを販売し、新たな顧客層を着実に広げている。国外では新興国を中心に取り扱い業者を積極的に増やし、15年の世界の出荷台数は前年比4~6%増を見込む。厳しい環境下ではあるが、将来に向けた取り組みを評価する形で買われた。」加えて、「ハーレーのマット・レバティッチ社長はガソリン安などを背景に「米経済についての米消費者の心理はどんどんよくなっている」」と述べたとある。

4年前、ハーレーダビットソンの株価は好調に推移していた。株価は将来のハーレーの有望性を買われ堅調に推移すると見られての上昇なので、米国の消費者心理は相当に改善し好景気が続いているとの事だったが、しかし、4年も経つと状況は一変し、トランプ米大統領が率いた貿易戦争のあおりもあって、「ハーレーダビッドソン、10-12月は関税で利益吹き飛ぶ-株価急落」によると利益が吹き飛んだ格好となり、2019年の販売台数見込みは更に落ち込むとみている。

結果的に、超優良企業と称されてきたハーレーダビットソン(それでも企業全体の営業利益率は12.5%の優良企業)は、数年前から実施してきた若年層の取り込みに苦戦し、新規顧客を開拓するため低価格帯のバイク投入も思ったほどの成果を示しておらず、されば電動バイクの投入が見込まれる2020年以降、回復していくんだろうか。
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二輪の電動化は進むの?

2019-01-11 06:28:34 | 二輪事業
8日の産経に「パナソニック、バイクの電動化支援」とあった。
「パナソニックは7日(日本時間8日)、米二輪車メーカーのハーレーダビッドソンが北米市場に初投入する電動バイク向けに通信機器を提供すると発表した。二輪車の電動化をシステムで支援する。米ラスベガスで8日に開幕する家電見本市「CES」で展示する。 パナソニックの機器が搭載されるのはハーレーの電動バイク「ライブワイヤー」。走行中に前部パネルで速度や走行距離、充電の減りなどを確認できるほか、充電拠点など周辺情報も表示。不審者が触れたり動かしたりするとスマートフォンに通知が来るほか、盗難時に衛星利用測位システム(GPS)で位置を確認できる」と書いてある。
harley-davidson.com
また、当日のCycleNewsにも「Harley-Davidson LiveWire Pricing and Pre-Order Details Announced」とあったので、ハーレィダビットソンの電動バイクは多くの注目を集めているのに驚いた。
 
今年6月のWSJに「ハーレーダビッドソン、貿易紛争の挟み撃ちに」には、「米国のハーレィに憧れた世代であるベビーブーマーが高齢化している。彼らはハーレィをステータスシンボルとみなし、自由を手にれる切符だと信じていた。若い世代は対照的に二輪車に対する関心は薄い。このため、ハーレィは米国外への販売を増やすと共に米国の二輪愛好者を増やすための一つとして「バッテリ―式電動バイク」を発売する」とあったので、なるほどと思っていた。

一方、ここ最近のハーレィダビットソン社の収益を示す「ハーレー・ダビッドソンには、「近年の経済環境は決して悪くないはずですが、ここ3年は減収減益となっています」とある。リーマン前の営業利益率は26%を超えマーケッティングの優等生とされていた二輪企業だが、リーマン後の落ち込みもすぐに収益を改善してきたものの、ここ3年は減収傾向にある。営業利益率15%は日本二輪企業が出せない非常に立派な数価に思われるが、超優秀企業として評価されるハーレイダビットソンの将来を推測するに、この売上、収益の減少傾向が問題視されたのかもしれない
  

確かに、「 ハーレーダビッドソン】あの電動バイクの価格が判明!『LiveWire』は29,799USドル~」には「今後数年間にわたる “モビリティの電化のリーダー”としてのハーレーダビッドソン像を確立することだろう」として、目標は電動バイク市場の世界的リーダーになることを好意的に受け止めている。

それにしても、一見ローテクノロジーの代表みたいに思われ、振動は大きい、音はうるさい、燃費は良いとは言えないと評価されてもなお、強烈な愛好家を引き連れてきたハーレィダビットソンが、いままでとは対極にある”静かで低振動の燃費良好エンジン”のハーレィダビットソンに変化していく理由は、「ハーレィの先に進む道は電動エンジンしかない」と意味しているのだろうか。個人的には、二輪業界の市場は新興国を中心にまだまだまだ明るい将来があると思っているが、先進国の二輪需要の将来は決して明るくないと言うことかもしれない。この先、5年、10年先、今回のハーレィの電動バイクを市場はどのように評価していくのか、非常に興味がある。
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全日本選手権で2ストモトクロス車が出走可能となった

2018-12-21 06:27:39 | 二輪事業
認可が遅いなと感じていたが、やっと2ストモトクロッサー125が全日本選手権に出場できるとあった。
MFJ(日本モーターサイクルスポーツ協会)は、昨日(19日)、「2019年度MFJ全日本モトクロス選手権シリーズ第4戦SUGO大会と第6戦近畿大会の併催エキジビジョンレースとして2st125ccクラスが開催される予定です。軽量・コンパクトでモトクロスの楽しさが存分に味わえる2ストローク125ccモトクロッサーで多くのモトクロスライダーに楽しんで頂くことを主眼においた企画です。2st全盛時代にモトクロスを楽しんでいたライダーのみなさん、ぜひご参加ください!」と公告した。
 

ここ数年、世界各地の主要モトクロスレースにおいて、2ストモトクロッサーが出場できるよう規則が改正されている。
例えば、米国の「125cc ALL-STAR RACE 」は2018年、全米で7戦開催され、AMAのモトクロスナショナル戦 Washougalで同時開催された「2ストローク125㏄」の優勝者は著名なチャンピオン・ヤマハのRyan Villopoto選手だった。今、モトクロスレースが盛んな大市場米国や欧州、カナダ、オーストラリアでは2ストロークエンジン搭載のモトクロスマシンが脚光を浴びており、例えば2ストロークマシンがモトクロス世界選手権GPの重要カテゴリーの一つとして現実に併催され、多くのモトクロスユーザーに歓迎されている。

「Motocross Action」
今現在、世界最高レベルのモトクロッサーを供給しているのはKTMとHUSQVARNA社を筆頭とする欧州二輪企業だが、彼らは世界のレースにおいて幾多のチャンピオンを輩出しながら、市場ニーズに歩調を合わせ最新の2ストエンジンあるいは4ストエンジン付きの何れのマシンをも供給してきた。一方、こうした世界のレース環境が変化しつつあるにも係わらず、世界最高クラスのマシンを世界中に供給する企業を有する日本では、今迄、全日本モトクロス選手権は2ストマシンを排除してきた。何故なんだろうと日本のモータースポーツの閉鎖性を懸念していたが、MFJ(日本モーターサイクルスポーツ協会)もやっと重い腰を上げる様だ。遅かりしと思えど顔を横に向け続けることはできないので、良かったと思う。

最近、オーストラリア、カナダ、デンマークそして欧州を主戦勝とするEMX GPシリーズ(EMX250クラスはモトクロスグランプリレースのサポートレースで、欧州では最重要なクラス)が250㏄クラス参戦規則を変更し、従来の4ストロークエンジン250㏄に加え、2ストロークエンジン250㏄エンジンでの出場を許可すると発表している。従来、この4スト250㏄クラスに出場可能な2ストロークエンジンは排気量半分の125㏄のみが認可されていたが、排気量の差別化を撤廃すると言うものだ。やっと、4ストエンジンが2ストエンジンと同等に競合できるレベルにまで競争力が向上したので、エンジンの差別化をする必要性が無くなった言う事だろうか。ルールは企業のためにあるのでないのだから、エンドユーザーの要求にルールが近づいた。ルール変更理由の一つは2ストロークエンジンのメンテナンスの簡便さやコストパフォーマンスの優位性によるもので、末端ユーザーは2ストロークエンジンの利便性を評価し2ストローク待望論が根強くあっただけに、至極自然な決定だと思う。10年ほど前のルールブックはエンジンストロークによる差別化はなかったが、4ストロークエンジンがモトクロスに適用される際、性能的に劣っていた4ストロークエンジンを救済するために2ストロークエンジン排気量を差別化してきた。

日本で唯一2スト125㏄、250㏄のモトクロスバイクを供給しているヤマハ発の、「ヤマハ2スト2019年新型YZ85」と言う記事に「今、2ストが売れている」という項があった。ここには『オンロードモデルではレーサーでも2ストロークは存在していないと言っていい状況だが、オフロードモデルでは今でも現役。さらにこの3年ほどは世界的に販売台数が伸びる傾向にあるとYZシリーズのプロジェクトリーダー・櫻井大輔氏は語った。メカニズムがシンプルで価格が抑えられること、同じ理由でメンテナンスのコストと手間が抑えられること、同じ理由で車重が抑えられることなど特に入門者にとってメリットが多い。だが、それだけでなく「面白さが理由でしょう」とも櫻井氏。2ストロークエンジンの痛快さを味わうチャンスがなくなっていく中、この分野では新車で味わうことができることから一線を退いたライダーの需要も見受けられるという。そのような背景からヤマハは2019年に新たにYZ65を投入し、さらにYZ85をアップデート。他にもYZ125/X、YZ250/Xと幅広いニーズに応えられるように2ストロークモデルを多数ラインナップしている。』と解説し、ヤマハのモトクロスマシンの最近の販売推移が記載されているが、2016年以降、ヤマハのモトクロスマシン供給量の半分は2ストロークマシンが占める傾向にあるとしている。  
  
FIM(国際モーターサイクリズム連盟)が2&4排気量差別化ルール撤廃姿勢を示した事は、数年もせず世界選手権ルールもその方向に動くだろう。4ストエンジンのみを提供している企業にとっては脅威なのかもしれないが、現に欧州のKTMやHusqvarnaは新型の2ストロークモトクロスマシンを毎年継続的に市場に供給して続けており、 そしてヤマハも2ストロークモトクロスマシンを市場に安価で提供している現実もあり、市場末端ユーザーの選択権を増やすべきとするのは、全くの正論であろう。1998年、ヤマハが4ストロークエンジン搭載のモトクロスマシンを上市して以来、2ストロークエンジンを閉め出すルール化となったが、その後もヤマハは2&4を旗印に決して差別化せず2ストロークマシンを市場に供給してきた。構造がシンプルで取扱い軽量、加えて瞬発力があってコストパフォーマンスに優れたモトクロスマシンを市場は求めてきたと思うが、それが、現在の市場が求める2ストマシンだろう。2ストロークエンジン付きモトクロスバイクを開発供給してなんぼ儲かるんだと言う冗談めいた話を過去、聞いた事あるが、市場は常に変化しているのだろう。

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「カワサキ・モトクロスOB有志の会」の報道記事(その2)

2018-12-19 06:21:46 | 二輪事業
去る10月13日(土)、明石駅から歩いて2~3分ほどの「グリーンヒルホテル明石」にて「カワサキ・モトクロスOB有志の会」を開催した。
本懇親会は、今年が「Kawasaki Racing Team 45 & Team Green JPN 35」になる期に、カワサキでMXに従事してきたメンバーだけに限定せず、カワサキモトクロスを広く応援してくれた在野の支援者、いわゆる「緑の血」が流れている人も含めての懇親会で、今回は87名参加の申込があり、当日参加を加えると88名の出席希望者となった。このOB有志の会に出席したメディアは2名で、「二輪車新聞」と「カワサキバイクマガジン」の2社の記者。そもそも、2社の記者ともカワサキとは長年の縁の深い付き合いがある旧友なので、より積極的に仲間に溶け込んで会話を楽しんでおられた。

そのうちの1社、「カワサキバイクマガジン」は12月1日発売の同誌に「カワサキ・モトクロスOB有志の会」なる記事を掲載していたが、12月8日、同じ内容を「カワサキ一番」ネットに投稿している。 レポート担当は同誌の土門六平氏で、所謂森岡進さんだ。以下は、カワサキ一番のネット記事からの引用。

KXに携わったOB有志88名が出席「カワサキモトクロスOB会」
 レポート 2018年12月8日 土門六平
 カワサキバイクマガジンvol.135掲載記事(2018年12月1日発売)

カワサキレーシングチーム45thとカワサキチームグリーン35thを記念し、KXに従事してきたOBと支援者88名が一堂に介し、親睦のパーティーを開催した。
   
   
「平井稔男氏85歳は、当時の出で立ちで登場」
KXが発売開始されてから45年周年を迎えた今年、5年前の40周年記念に引き続き、カワサキモトクロスOB有志の会が主催して、親睦会が兵庫県明石市のグリーンヒルホテル明石で開催された。この親睦会は当初、今年の7月7日にマリンピア神戸で開催される予定だったが、近畿地方の豪雨により会場が閉鎖され中止となり、改めて10月開催となったもの。
   国内チームグリーンの初代監督平井氏(前列右から4番目)を囲んで、教え子や関係者と和気合いのなか、創設35周年記念の写真を撮影した。出席者の受付は午後2時30分から始まり、KX創世記から活躍した開発担当者やレース関係者が続々と来場した。なかでも、久しぶりに再開したモトクロスOBライダーたちは、現役時代の懐かしい話に加え、「腰痛が…」とか、「視力が落ちた」など現役時代に抱え込んだ古傷など、お互いの体調を気遣っていたのが印象的だった。

午後3時過ぎに懇親会がスタート。初めの挨拶としてカワサキレーシングチームOBで、70年代に監督を務め、その後アメリカ駐在となり、アメリカでチームグリーンの創設に尽くした百合草三佐雄氏が壇上に立った。その後カワサキモータースジャパンOBの渡部達也氏による乾杯の音頭を機に、懇親会がスタート。会場内は一気に懇親会ムードが盛り上がった。この後カワサキレーシングチームに所属したOBライダーとカワサキチームグリーンのOBライダーで、それぞれ記念写真を撮影した。
    
(上段左)午後2時半から受付が開始。写真はZ1開発に携わった種子島 経氏で、今回はモトクロス世界GP挑戦記を特別寄稿していただいた。
(上段右)渡部氏による乾杯の音頭の後懇親会がスタートした。出席者たちはつまみ代わりに思い思いのメニューを味わっていた。
    
(上段左)国内チームグリーンの初代監督を務めた平井氏。監督時代のユニフォームを身にまとい、さっそうと登場。現在御年85歳とは思えぬ健在ぶりだ。
(上段右)カワサキレーシングチームOBライダーの面々。左からモトクロスとロードの二刀流で活躍した塚本昭一氏、ロードの多田喜代一氏、モトクロスの鈴木都良夫氏、同じく安井隆志氏、福本敏夫氏、藤 秀信氏、岡部篤史氏、立脇三樹夫氏。
   
(上段左)カワサキモトクロスの歴史をひもとく画像をスクリーンで紹介。創世記の8名の選手が照らし出されると懐かしそうに見入っていた。
(上段右)ステージに最も近いテーブルにはカワサキモトクロスの創世記にマシンの開発や、世界戦略に貢献された方々が元気な顔をそろえた。
 
(上段左)カワサキレーシングチームとチームグリーンの記念撮影の後、ジャンケン大会が行なわれ、各テーブル間の会話も一時中断し、会場内は一つにまとまった。
(上段右)アメリカで作成されたチームグリーンを象徴するロゴ。サムズアップのマークとともに国内でもオン/オフに限らず浸透した。
          開催日時 2018年10月13日(土)
          開催場所 兵庫県明石市「グリーンヒルホテル明石」
          主催 カワサキモトクロスOB有志の会


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