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野々池周辺散策

野々池貯水池周辺をウォーキングしながら気がついた事や思い出した事柄をメモします。

Dave Jordan ー US Kawasaki Team Green

2014-02-12 06:16:06 | 二輪事業
2014-02-12 06:16:06 | 二輪事業

KMC(Kawasaki Motors Corp)がつい最近発行した記事を読んでいたら、最後尾に”Dave Jordan ” の写真があった。亡くなったそうだ。
           

Cycle Newsにも「Dave Jordan Sr. Passes Away」として報道されていた。74歳だったとのこと。1981年、KMCに「Team Green」が組織化され、アマチュアライダーを支援する、この「草の根活動」は瞬く間に全米のアマチュアライダーに支持され、全米アマチュアレーシングを独占する程までに成長し、その後「Team Green」プログラムから世界に冠たる多くのスター達が成長してきた。例えば、全米モトクロス史上最高ライダーと称される”Ricky Carmichael”、スーパークロスの大スター” Jeremy McGrath ”、ごく最近では3年連続スーパークロスチャンピオン”Ryan Villopoto”等、「Team Greenファミリー」からの卒業生はその数枚挙にいとまがない。

黒表紙の一冊の報告書がある。「KAWASAKI MOTORS CORPORATION / TEAM GREEN AMATEUR RACING PROGURAM / 1981/ by Dave Jordan 」
        
「あなたもTeam Greenメンバーになれる」。1981年、この報告書から実質スタートした、Team Green活動はカワサキのオフロード事業に多大な貢献をなし、カワサキモトクロス=KXマシンを、米国市場において確保たる成功に導き、Team Green活動なかりせばカワサキのモトクロスビジネスはここまで来れなかった。カワサキのKXマシンを購入したユーザーは誰でも「Team Greenメンバー」として登録でき、全米各地で毎週開催されるレーストラックにおいて分け隔てなく同等の支援を受けることができる。一部の特別なライダーのみが優遇される特権ではなく、レーストラックでは、場合によってはカワサキユーザー以外のモトクロスユーザーへの支援をも除外しなかった。そんなTeam Green活動だが、その出発時、カワサキ車でレース活動をするライダーなど皆無。 今でも思い出すが、サム・ストアと言うたったひとりのライダー支援からスタートした。 その後、リチャード・サンドが加わったが、それでも全米アマチュアライダーの夏の祭典、「PONCA CITY RACE」では、スタートラインに並ぶKXは本当に一台ぐらいしかなかった。 その一台をカワサキの技術部も全面支援することから出発したが、それがあっと言う間にスタートラインに並ぶKXが半分以上を占め、あるレースなどほとんどがグリーンバイクで埋め尽くされる状態までに成長し今日に至っている。

こうしてみると、Team Green活動なかりせばカワサキのモトクロスビジネスはここまで来れなかったのは事実で、開発と販売ソフトが極めて上手にジョイントし成功した好例であり、草の根活動の二輪販売戦略の見本として大いに参考となる。そしてUSカワサキの「Team Green 」の初代managerだった、 Dave Jordan こそ苦労して組織を立上げ軌道に載せた最大の功労者だろう。その後、「草の根活動思想」は欧州各地、オーストラリア、日本へと世界展開され各地で大成功を収めた。今では、その思想を着実に受け継いでいるのはアメリカ市場のみとなったが、決して目立つことのない草の根活動を地道に継続させる決意の一番の違いは、経営者の思想と歴代マネージャーのそれこそ”The HEART & SOUL OF TEAM GREEN”だったかも知れない。


カワサキKX

2014-01-27 06:21:41 | 二輪事業
    「KX250:RACERS」
「RACERS」誌が次号(3月24日発売)にKX250を取上げるとの記事があった。同誌がカワサキの世界耐久マシンを取材した際、撮影場所でKXのチャンピオンマシンをみた編集者が何時かは「RACERS」誌にカワサキKXを特集したいと言っていたのを思い出し、「RACERS」誌の2011年8月頃の同HPをめくってみると、「・・で、奥に控えるモトクロッサーは、左から'89全日本MXでタイトルを獲った岡部篤史さんのKX250SR、ゼッケン3番は'96世界MXでタイトルを獲った セバスチャン・トーテリのKX125SR、一番右は'01AMAスーパークロスとナショナルのダブルタイトルを獲ったリッキー・カーマイケルのKX250SRです。 KX、カッコイイなぁ。 売れなくったっていい、いつしか必ず『レーサーズ』で特集します。」 とある。その約束が次号KX特集とのことだろう。

ロードレーサのマシンを主に取上げてきた「RACERS」誌が、初めてモトクロッサーを取り上げたのは第17号で、ホンダRC250MAだった。モトクロッサーには珍しい自動変速機を採用した画期的マシンだったので、興味をもって読んだものだ。コンビニやリカーショップ等、至る所にモトクロス等のオフロードを特集している雑誌を所狭しと販売しているアメリカ市場と違って、モトクロス関連記事を取上げる機会が少ない日本市場では、モトクロス関連雑誌の売れ行きは一部を除いて芳しくないらしい。だから、雑誌社も「売り上げ落とすモトクロスなんて、やめろ」と幹部は言っているらしい。それでもモトクロス大好きRACERS」誌編集長は約束を違えず、モトクロス特集第2段としてカワサキのモトクロッサー「KX」を特集する。しかもその後の世界のモトクロッサーフレームの基本骨格となった、KXのペリメータフレームの特集だそうだ。ペリメータフレームの設計については、既にカワサキの「KAWASAKI DIRT CHRONICLES」の第1号に取り上げられているので良く知られていることだが、次号「RACERS」誌が、KXのペリメータフレーム開発に挑んだ人間模様を如何様に掘り下げて記事にするのか楽しみにしている。


■それはそうと、今日(26日)、著名な「MOTOCROSS Action」のHPに、2014年モトクロッサーのSHOOTOUT記事が掲載されていた。
それによると、カワサキKX450Fが一番!! だそうだ。  「2014 MXA 450 FOUR-STROKE SHOOTOUT
                 <FIRST PLACE: KAWASAKI KX450F>
                 「MOTOCROSS Action」
以下、2位KTM、3位ヤマハ、4位スズキ、5位ホンダの順位となっていた。

■加え、MONSTER ENERGY SUPERCROSS 第4戦( OAKLAND, CA)が現地時間25日に開催された。
カワサキのR. Villopotoが圧勝し赤ゼッケンを取り戻した。                   
                 「Kawasaki USA FB」

「KX40周年を祝う有志の会」・・・写真も色々

2014-01-08 06:16:11 | 二輪事業
  昨年11月に開催した「KX40周年を祝う有志の会」時のスナップ写真を先日頂いた。
  1973年、KXが始めて世に出て41年目、「KX40周年を祝う有志の会」に集まった有志は80名。
  あるブログの年頭挨拶に、「過去があるから今がある。今があるから未来がある」とあったが、なるほど!
  人生いろいろ、技術屋いろいろ、メカニックいろいろ、ライダーいろいろ、そしてKXも時代に合わせて色々と・・・
  
























                   
                  

     

     

なるほど・・・「You meet the nicest people on a HONDA」

2013-12-18 06:16:06 | 二輪事業


14日のBSで、田原総一朗の仰天歴史塾「ニッポン経営者列伝 ホンダ 本田宗一郎」を放送していた。2時間見たが、本田宗一郎伝は何時見て痛快で面白い。番組にあった「ホンダは何時もレースに挑戦とは? レースは世界対照テスト!」とは興味深し。本当にこんな会社ってあるんだなと思う反面、本当にそうかと疑うこともままある。レースを企業行動の真正面に据えることに躊躇する二輪企業が多い中で、レースを、いやモータースポーツを企業の原点、あるいはDNAだと言って憚らないのはホンダだけ。レースとは技術的合理性の塊のようなもので、それは企業にとっての技術的優位性を競うものであるが、ある面、非合理性が必要な二輪や四輪とは明らかに異なるものだ。だとすれば、レースが企業の原点だと言われても実際の二輪企業活動の現実と、レース活動と企業活動との結び付けを一般顧客がどのように理解しているのだろうか。ホンダの伊東社長は、2011年モ-ターショーの挨拶で、「モータスポーツが持つワクワクドキドキ感をもったパーソナルモビリティを市場に提供しつづけるのがホンダの役割で、その先導役をモータースポーツ活動が担っている」、続けて「ワクワクドキドキできる商品を提供するために私は、就任時より「画鋲のような尖がった商品」を開発できる体制作りを進めてきました。尖った商品とは、しっかりした環境・安全性能をベースに、エッジが効いた商品を表します」として、レースの持つ大きな役割をホンダは説明している。「画鋲のように尖った商品」とか「ワクワクする商品」を展開するために、その先頭をモータースポーツ活動にあるとしているが、なんとなくイメージが掴みにくい。抽象的な表現で、一見分かり易いような印象もある反面、レースと言わずモータースポーツと言い直さねばならない世界もあるのも事実。それにしても、本田宗一郎の話題は痛快活劇をみるように面白いが実に合理的で、番組に出演している大学生がどのような反応をみせるかも合わせて見ると面白かった。

それはそれとして、先日ホンダの「ナイセスト・ピープル」と言う記事に出会った。
          「You meet the nicest people on a HONDA」
上記のキャッチコピーは二輪に携わっている人であれば誰でも知っている広告で、米国の広告史に残る名キャンペーン「ナイセスト・ピープル」だ。米国で最も成功した例として知られる「ナイセスト・ピープル」キャンペーンは、米国民の持っていた二輪のイメージを大きく変えた言われ、ここからホンダ二輪が本格的な米国進出が始まる。これを起点にホンダは米国の二輪市場で大成功を収めていくことになるが、その秘訣を「ホンダは周到な計画に基づいてマーケットを開拓し、大胆な投資を行なって、一気に新しい市場を築き上げた」と聞かされてきた。ところが、「定番の戦略論を疑え、ホンダ米国進出の真実」によると、ホンダの実際の関係者らから返ってきた答えは、「自分たちはそんな考えは全く知らなかった」というものだった。つまり、ホンダは背伸びして米国でハーレーのような大型二輪を売ろうとして大失敗し、資金も尽きかけて途方にくれていた頃、ひょんな事からスーパーカブで成功した話しだ。従来説明の「それまでのオートバイとは全く異なる訴求ポイントを持った差別化商品としてスーパーカブを売ることに成功した」と言う、それまでの分析はあくまで結果論であって、緻密な調査と明確な戦略がホンダに最初からあったわけではなく、大失敗した死の渕からの場当たり的な行動が当った言う話。

よく言われている事だが、「成功の要因は、いつも非合理」「失敗の要因は、いつも合理」。
「成功要因は、いつも非合理」だといっても、事前の調査等合理的思考なきままに市場に出て行くと大失敗につながるが、「ナイセスト・ピープル」のホンダの例は場当たり的対応で成功したわけだ。「確実性が高い現実のビジネスにおいて有効に機能する戦略は、事前の計画で策定することは難しく、むしろ走りながら修正を加えつつ進んでいくべきである」と言うのが上記の解説にもある。こういう事例があるから、塀の外からみるホンダという企業はいつも面白い素材を提供するので何時の時代になっても観客の興味を引き付ける会社だというわけか。これこそ、勝つために周到な計画を立案しても、敵といざ戦う段になると、意外に敵は手強く、悪戦苦闘しながらも勝ち方を修正していくレースの醍醐味にも似てワクワクする。

参考:「進化戦略研究会」の「経営戦略論 VS ホンダ」に面白い分析がある。


今、US市場で最も成長している二輪企業はKTM だそうだ

2013-12-13 06:21:31 | 二輪事業

            「Motorcycle USA.com」

11日、「Racer X」の「KTM FASTEST GROWING IN U.S.」記事に加え、同じく「Motorcycle USA.com」には「KTM Claims Biggest Sales Growth in 2013」にこう書いてあった。「 2013年、米国で最も急成長している二輪企業はKTM」、「KTMの11月の販売台数は2012年同月比+49%、 11月末時点では年初来の数字は28.8%の増加」とあった。リーマンショック後、二輪の大市場米国は半減を超えて減少し、世界の二輪企業を牽引するホンダ、ヤマハは新興国に活路を見出し、特にホンダは新興国市場で高収益を確保し続けている。一方、その間、日本企業が落ち込んだ欧米の二輪市場に浸食してきたのが、強いブランド力をもつ欧米の二輪企業だった。その代表がハーレーで次にBMW、Ducat、KTMだ。その中でも、KTMは、その明快なコンセプト「KTM Ready to Race」でON,OFFとも豊富な品揃えと地道な「草の根活動」を展開し、日本メーカーが予算縮小しているこの時期を、KTMは絶好の機会だと捉えているようにも思われ、KTMがアメリカのオフ市場を席巻する日が近い事を予感させると、以前、このブログにも何度も書いた。特に、モトクロスの分野では、世界選手権や米国のスーパークロスレースに多くのKMT支持者が増加していると言う事実は、その強固なブランド力を如実に証明し疑う余地もなかった。

また、日本市場でもKTM台頭の勢いがみられると末端販売店数社の社長から聞いていた。つい最近も日本車からKTMに乗り変えるユーザが増えつつある事実をみると、世界の動きが日本市場に展開されているのかもしれない。今までは、ハーレーは別格で日本企業間で其々の立位置を論議していれば良かった。しかし今後はひょっとしたら、欧米社の浸食した残りを日本企業が争う場面にならないとも限らない。そうならない事を願うばかりだ。

■当ブログでのKTM関連記事・・KTMの記事を集めたのではなく、気になる記事にKTMが多かった。
 「KTMの台頭・・・FIM Junior Motocross World Championship
 「Ready To Race 「KTM Junior Supercross Challenge
 「2012 Motocross of Nations から見える事
 「今年はどうだった、MX日本チーム

■今だ軟調な欧州の二輪市場に比べ、米国の二輪市場は回復傾向にあるとされる。
その代表はハーレーダビッドソンだが、その他で言えばDucatiは+21%の販売台数増加、同じKTMも+15%の台数アップが顕著。2013年に入り、日本の二輪企業の生産は前年度にくらべ低調に推移している模様だが、欧州二輪企業の販売は引き続き販売好調とみえる。米国では特にOn-Hwyの販売落ち込み傾向にあるも、オフロード車に代表されるOff-Hwyの販売は依然好調に推移しているようだ。
「出所:Motorcycle Sales by Year 1992 to 2012
   「Motorcycle Sales by Year 1992 to 2012」







「KX40周年を祝う有志の会」・・・番外編(3)

2013-12-02 06:20:04 | 二輪事業
 「「KX40周年を祝う有志の会」・・番外編(3)」

30日、「兵庫のヤマラー」さんから、「日米合同加古川テスト」という題目の写真を教えていただいた。記録しておこう。
「昔々のその昔、ユニトラックサスがデビューの頃、加古川の河原でカワサキファクトリーがテストしていました」と注書きが添えてある。
             
             
      

     
                

          
      
          
      
          
            
          

「KX40周年を祝う有志の会」・・・番外編(2)

2013-11-29 06:13:09 | 二輪事業
 「「KX40周年を祝う有志の会」・・番外編(2)」
Kawasaki Motors Corp.(KMC)R&D所長をしている横山さんが、KMCからのビデオレターを明石に送信した際、
'70年代のR&D関係者のメンバーが集合したので、その際の懐かしい写真をメイルしてくれた。記録しておこう。
当時から、技術部の出先機関である、KMC R&Dは日本の担当技術部と密接に連絡をとりながら
米国のロードレース&モトクロスワ-クスチームを運営していた。以下は横山さんからのメッセージからの転用。

   『初代R&Dメンバーの集合です。
          

    下の写真で自分がどこに写っているか指してもらいました。
    当時のR&D所長はシド斉藤さんとのことです。昨年にZ1リユニオンをKMCでおこないましたが、そこで初めてお会いしました。   
           「ランディー・ホール」
           「ブライアン・ファーンズワース」
           「ティム・スミス」

    ランディー・ホール(最上段写真)さんは、モトクロスというよりもロードレースを担当していた方でした。
    彼は今年のサンディエゴSXにて、初めてお会いしました。
    ノームに紹介されたとき一目で昔の集合写真に写っている人だとわかりました。

    この冷蔵庫は、もともとティム・スミスさん(初代レースチームマネージャー)の家にあったものらしいです。
    いまは、KMCのミュージアムに飾ってあります』
              
   

「KX40周年を祝う有志の会」・・・番外編(1)

2013-11-28 06:10:02 | 二輪事業
 「「KX40周年を祝う有志の会」・・番外編(1)」

元カワサキワークライダー伊田井佐夫さんのブログ「KAMIKAZE130伊田井佐夫オフィシャルブログ」に
カワサキKX 40周年! KAWASAKI KX the 40th anniversary!」として、
「KX40周年を祝う有志の会」の模様を取上げていたので、私のブログにも記録しておこうと思う。
以下は伊田さんブログからの転用。


    『「カワサキKX誕生40周年を祝うパーティ」が、兵庫県西明石でおこなわれ、元ファクトリーライダーとして出席した。
     カミカゼは、20歳代だった1979年から4年間、カワサキファクトリーで明石に住んだ。ひたすらKXの開発テストとレースの4年間だった。    
     パーティでは、その当時の懐かしい関係者の方達と再会でき、感激だった。
 
       
       ↑ 左から 大津信さん、財部(たからべ)統郎さん。御2人とも今はリタイヤされたが、
         当時はカワサキ単車事業部の幹部で、契約時など色々お世話になった。
         (カミカゼの名札の字が・・・正しくは 伊田井佐夫 です。)

       
       ↑ 元ライダー陣、右から 花田茂樹、岡部篤史、立脇三樹夫 各氏談笑。

       
       ↑ 懐かしい再会は 川重OBの池内悟氏。転職して今は保険業だそうだ。

         
       ↑ 後ろは、当時『みかん山』で一緒にテストをしたブラッド・ラッキーがカミカゼにくれたFOXジャージで、
         これに名前とゼッケンを入れ、さらにサインしたものを、現在プロストックの貴島社長が所有する。

     会場では 『現役ライダー』と紹介され、諸先輩方から『ワールドVETで益々ガンバレ!』と激励をいただいた。ありがとうございます。


                
★(管理人追記)往年のカワサキワークスライダー:左より岡部篤史選手、立脇三樹夫選手、伊田井佐夫選手、野宮修一選手
          (中尾省吾さんのブログより借用)                                            
●岡部篤史 :カワサキワークス(’84~’92) ’85年125cc+’87年125cc+’88年125cc+’89年250ccチャンピオン 
●立脇三樹夫:カワサキワークス(’78~’86)
●伊田井佐夫:カワサキワークス(’81~’83) ホンダに移籍し ’86年125ccチャンピオン
●野宮修一 :カワサキワークス(’76~’83)
                         
                                                    

「KX40周年を祝う有志の会」・・・その9

2013-11-27 06:10:39 | 二輪事業
 「「KX40周年を祝う有志の会」・・集合写真」

        



                                    
                                        2013年 11月16日
                              世話人:大津信 安井隆志 和田修 増田智 立脇三樹夫

               









                  

「KX40周年を祝う有志の会」・・・その8

2013-11-26 06:11:21 | 二輪事業
 「「KX40周年を祝う有志の会」・・寄稿集⑦」

                       「社誌に載らなかった社史 (続編)」
                                              眞田 倬至(KYB(株)OB)
 
        
        平成18年版・役員OB文集に“社誌に載らなかった社史”を紹介し、その時の恩人に何時か再会したい思いを述べました。
        去る6月15日、永年の夢が実現したのが上掲の写真です。背景の建物は彼らの地元近くにある、16世紀に造られた
        古城です。41年ぶりの再会にはPettersson氏(私の右・手前)、奥様、二人の子供の夫婦と孫たち8人が、Strangunus
        (Swedenの首都、Stockholmから西に100km)で温かく私を迎えてくれました。 私の良き遊び相手だった坊や(写真
        右から2番目)も今や45歳です。彼も父親の血筋を継ぎ、Sweden MX125㏄のチャンピオンになったそうです。
    
        1972年、得意先から酷評を受けていたカヤバの2輪車用緩衝器に対し「世界一の商品を見つけ出せ!」と、上司から
        重い責任と種々の試作品を背負いながら世界を80数日間放浪。まだ粗削りのDe Carbon式ガスダンパーのポテンシャル
        を見出してくれたのが唯一、Pettersson氏(K社契約・元MX世界チャンピオン)だった。 これが契機となって2輪車用ガス
        ダンパーの開発が始まった。この後、数年の歳月と一切の妥協を許さない上司の指導、それに優秀で忍耐強い同僚たちに
        よって手が加えられ、先に商品化されていた4輪車用ガスダンパーとは似ても似つかぬ製品に仕上がった。究極の性能を
        要求されるレースマシンから始まり、高性能な2輪車にはガスダンパーが装着され今日に至っている。彼の一言がなければ
        2輪車用緩衝器事業の社史は別の運命を辿っていたと私は思う。
        今回、出掛ける前にKYB秘書室に私の計画を伝え、会社のロゴが入ったお土産と最近の会社概況冊子を携えPettersson
        氏にお渡しした。
        ご本人からは「プロライダーを引退してから初めて会う2輪車関係の珍客。このように自分を評価して頂き幸せだ」との言葉
        を頂いた。帰途、Stockholmから搭乗したAir Franceがなんと彼らの地元上空を通過、機長の粋な計らいに感謝しカメラに収
        めたのが下掲の写真である。
         

        私が会社に在職中、通算して19年間お世話になった海外の恩人や友人には、一昨年北米へ、昨年はインドネシア、今回
        は欧州へと自分なりのお礼行脚をし、ほっとした心境です。
        一方、前述の新製品開発の秘話に興味をもってくれたKYB・AC事業部・技術幹部の皆さんの依頼を受け、この8月初旬、
        私が関わった他の出来事も含め話をする機会がもてたことは幸いでした。話を聞いて頂いた方には「私の経験談は“社誌に
        載らなかった社史”だが、あなた方には是非“社誌に残る社史”を創りあげて欲しい」と言うことを結びの言葉としました。