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野々池周辺散策

野々池貯水池周辺をウォーキングしながら気がついた事や思い出した事柄をメモします。

バクモン 「熊本城」

2016-09-16 06:26:33 | 故郷
  「NHK バクモン 熊本城」
14日、NHK地上波「探検バクモン」が熊本城の今を取り上げていたので、しっかりと見た。
NHKバクモンの出だしは、「4月の大地震で築城400年最大の被害を受けた名城・熊本城。壮大な石垣は50か所が崩落し、立入規制が続く。 復興へ歩み始めた“不屈の城”の今を、爆笑問題が目撃する。爆笑問題が、地震の被害で立ち入り規制中の熊本城へ。 築城400年最大の被害をまのあたりにする。城の代名詞ともいえる壮大な石垣は、50か所が崩落。国の重要文化財13棟も、すべてが被害を受けた。 これまで、地震や風水害にあいながらも、そのつど復興を成し遂げてきた熊本城。今また、少なくとも20年と見込まれる修復の出発点に立っている。 復興のシンボルとして歩み始めた“不屈の城”、そのリアルな今を目撃する」
  
  
  
4月、熊本の大地震で熊本市内外はもちろん、その中枢に位置し熊本の象徴ともいえる熊本城も大被害を受けた。
熊本城は阿蘇と並ぶ熊本の2大シンボルだが、その熊本城のしゃちほこと屋根瓦が落下し、阿蘇の国宝阿蘇神社も崩壊、地震に伴い熊本城域を閉鎖した。一方、熊本城で地震で倒壊しなかった部分の一つに、建物と石垣ともに築城当時の宇土櫓はほぼ無傷のようだ。明治期、西南戦争で天守を含む御殿など主要な建物は焼失(放火らしい)したが、焼失を免れ、当時の姿を残している唯一の建築物「宇土櫓」は400年以上前に建設されたもの。で、今回バクモンの熊本場内の様子を見ると、熊本城そのものの象徴であり、かつ熊本城の熊本城たるを示してきた石垣が軒並み崩壊している。(個人的に各地の城郭数十ヵ所見学してきたが、熊本城が最も優れた城たるに値すると思っている。何故か、熊本城は西南戦争で西郷の猛攻に耐え落ちなかった)

バクモンが放送された前日、同じNHKのクローズアップ現代「名城はなぜ崩れたのか 謎のメカニズムに迫る」が放送された。

その中で、熊本城の石垣が崩壊した推定原因を城郭研究の権威者奈良大学の千田教授がこのように解説している。「石垣というのは、栗石の部分が揺れを吸収する。日本のお城の石垣というのは、「下の石」の上に「上の石」を積んでいくだけで、固めていないんです。ですから、非常に柔らかい、いわゆる「柔構造」の形を取っていて、揺れても少しずつ石垣がわずかに変形して、全体としては大崩れしないという、地震が避けられない地震国の日本に適した石垣を発達させてきましたから、その象徴というのか、最も高い技術に到達した熊本城の石垣が、これほど崩れてしまったというのは大変なショックでありました。(調査行った立場からしても、まさかという?)例えば、一方のヨーロッパの石垣でいうと、石と石との間にモルタルなどを詰めていまして、全体を固めてしまう「剛構造」の石垣でしたから。そういうので見ていきますと、日本の地震に備えた、あれだけの石垣が崩れてしまったっのは大変なことだと思います。また、熊本城の石垣については、清正の石垣は大丈夫だったけれども、それ以外の石垣が壊れたんだというお話もよく聞くんですが、実際、現地を調査してみると、すべての時代の石垣が被害を受けていて、結局、日本のいろいろな耐震の工夫をしていた石垣が耐えられないほどの非常に大きな地震だった、石垣の限界を超えていたと思います」

話は変わって、熊本市は古くから「水の都」とも呼ばれ、水環境に恵まれた都市で、好きな街だ。
政令都市に認定された都市の中で、上水道に使う水の全てを地下水でまかなっているのは全国でも珍しく、湧き水も多い。豊富な水のお陰もあって、熊本市内には緑に囲まれた素晴らしい風景が何処にも見られ、目を洗うほどに奇麗な街なので気にいっている。昔から学生に寛容で多少の事は大目に見てくれる土地柄で、また軍都でもあり、軍所属の車両がメイン通りを通過することも普通にある。

阿蘇を源流とする白川が街の中心を流れる熊本市、市内を蛇行しながら流れる白川には多くの橋が掛かる。加藤清正公の時代から、白川と熊本城を囲む坪井川は治水工事が続けられてきた。国道3号線が通る橋である「長六橋」は建造当時木造で、西南戦争のときは薩摩軍がこの橋を渡り侵攻してきた歴史的な橋。熊本を代表する橋で、今はコンクリート桁橋となっているが、何度も通った。

最近、政令都市になったので、中央区とか北区とかに呼ばれてもピンとこないが、黒髪町とか竜田口と言った方がすぐに場所を特定し易い。旧制五高のあった、熊本大学法学部の裏に昔住んでいて、法学部と工学部の間に阿蘇までに続く57号線が走っている。工学部の裏手すぐに白川が蛇行しながら流れていて、今は白川黒髪緑地となっている場所には草ぼうぼうの空き地があったが堤防の記憶が無い。普段の白川は清流で、竜田口付近で良く釣りをした。紅サシでハヤが良く釣れた。川の中には大きな石がごろごろしていた事を記憶しているが、多分昔の洪水の名残だと思う。しかし、川辺は一面緑で爽やかな気分で過ごせる良い環境である。で、白川と平行して流れる、の周りを流れる坪井川沿いの長塀も崩れているが、坪井川と言えば、遠い昔の事だが、この川に魚が沢山いたので釣り糸を垂らしていると、川魚は一匹もつれなかったが、多くの見物人が集まったのを思いだした。

思いだしついでに、熊本大学から龍田山までに中腹に今話題の「真田丸」に出てくる細川忠興、その妻ガラシャの墓がある。
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ローカル線気まぐれ下車の旅 ”島原鉄道”

2016-02-24 06:20:14 | 故郷
  月曜日の楽しみ、「吉田類の酒場放浪記」がコマーシャルになった時間に、他にチャンネルを合わせると、
BS放送で「聞きこみ!ローカル線気まぐれ下車の旅 島原鉄道」を同じ時間帯に放送していた。で、早速、故郷の島原鉄道を見続けた。たしか以前にも同じ番組で島原鉄道の旅が放送されていたはずだが、今回は旅する俳優さんが異なるようだ。見たのは神代駅から多比良駅に場面が変わり、ディーゼル車が多比良駅に停車する場面からで、この辺りに良く捕れる「多比良がね(タイラガネ)」の紹介があった。
 
非常に旨いので私の好物の一つで、中学生のころは浜で普通に捕って食べていたが、もう30数年前から値段が高くなったと聞いた。「多比良がね」は一種の「ガザミ」と呼ばれるワタリガニのことだが、カニ味噌が一杯詰まって美味い。島原から約20分ぐらい北にある、サッカーで有名な国見高校の「国見町」付近は、昔、多比良町と呼ばれていた。多分、この辺で多く取れたので「多比良がね」と呼ばれているのかなと思っている。夏場に、国見町近辺にいくと「多比良がね」の看板を掲げた料理屋が目につく。カニみそが一杯詰まって美味しく、足先まで身が詰まっていた。昔、遠浅を利用して潮が引いた後の干潟に石組みを築き、次の大潮のときに石組を崩すと、「多比良がね」が巣くっていたので良く獲った。また、大きな石の下に掘った形跡があると、そこには「多比良がね」がいる。その穴に手を突っ込み親指を噛ませて引き出す。噛ませた親指は真っ白に色が変わる程に痛いが「多比良がね」が一匹獲れる、と言う思い出が「多比良がね」にはある。ちなみに、この地方では「カニ」のことを「ガネ」と呼ぶ。

  「黄色の島原鉄道列車」
長崎本線諫早駅から島原半島の島原外港まで走る島原鉄道で、半島の有明海沿いに走る私鉄の単線。
諫早から島原に向かう道中、左手に有明海の遠浅がすぐ目の前に見え、右手が田んぼや畑で、こんな風景が諫早から島原まで続く。島原鉄道は一度倒産し規模を縮小して運営されていると聞いたが、神戸空港から長崎経由や新幹線利用でも、諫早で一度下車し、島原行の、このディーゼル車に乗る。乗客のほとんどは高校生で、爽快に走る鉄道ではなく、ガタゴトと車体を揺らしながらゆっくりと走り、ディーゼル車らしく音も賑やかで、半島の経済力を反映している。テレビの旅番組に取り上げられる程だがら、観光客にとっては物珍しい場所なのだろう。忙しい都会人にとっても時間が止まったようでのんびりとしたい場所の一つかもしれぬ。島原鉄道の終着駅は島原外港だが、その一つ前の駅が島原駅で、駅を降りると直ぐ前に島原城が見える。その島原駅のまた一つ前が三会駅で、そこから私の生家は海沿いに歩いて約15分弱。島原城は天守がない時の方がどっしりとした風格があって見栄えがしたなぁーと今でも思っている。天守を造ってから、どこにもある普通の城になった。
   
      

 

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故郷の写真は楽しい・・長崎ランタンフェスティバル

2016-02-19 06:16:45 | 故郷
今、長崎では、中国の旧正月を祝う行事「春節」に合わせて「長崎ランタンフェスティバル」が開催されている。
FB「Nagasaki365」には、「長崎ランタンフェスティバル」の写真がたくさん投稿されているので、興味深く眺めている。
案内によると、「長崎新地中華街をはじめ、湊公園、中央公園、眼鏡橋周辺、浜市・観光通りアーケードなど長崎市内の中心部に
約15,000個にも及ぶ極彩色のランタン(中国提灯)や、大型オブジェが幻想的に飾られ、街を彩ります。
期間中は毎日各会場で、龍踊り、中国雑技、二胡演奏など中国色豊かなイベントが繰り広げられます」とあった。
この期間中、100万の見物客が長崎を訪れるそうだ。
  「Nagasaki365」
      

私の故郷は長崎県の島原だが、島原と長崎間の真ん中に雲仙普賢岳を挟んでいるので、昔の島原ではテレビの長崎放送は受信できず、
もっぱら熊本放送を見ていた。熊本放送は金峰山にアンテナ基地があり、そこから障害物のない有明海を通じて熊本放送は奇麗に受信できる。
だから、長崎より熊本事情の方が良く知っていたが、長崎市内に親戚がいたので度々訪れていた。
それで長崎と言えば、昔からある有名な伝統的行事「長崎くんち」と「精霊流し」は良く知っているが、
「ランタンフェスティバル」は1994年より長崎市全体でのイベントになったので歴史はまだ浅くよく知らない。
しかし、最近では「くんち」より「ランタンフェスティバル」の方がよく知られているそうで、この季節になるとFBの「Nagasaki365」に
投稿される豪華で奇麗なランタンの写真を眺めながら、これが今の長崎の主流イベントかと懐かしく感じ入っている。
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NHKBS 「英雄たちの選択:激突!島原の乱」の再放送

2015-12-26 06:20:58 | 故郷
2015年12月24日のNHKBS「英雄たちの選択」では「激突!島原の乱 天草四郎vs.松平信綱」を再放送していた。
何度見ても面白いので改めてブログを書こうと思ったが、追加すべき事柄を思いださないので、私も再投稿することにした。


  「NHK 英雄たちの選択」
NHKの番組説明によると、「日本史上最大のキリシタン一揆、島原の乱。今も、原城からは、おびただしい数の人骨が。
 その後の歴史を変えた天草四郎と松平信綱の命がけの対決・島原の乱に迫る。日本史上最大のキリシタン一揆、島原の乱。
 天草四郎のもと蜂起した一揆軍約三万七千人が立て籠もった原城からは、今も、おびただしい数の人骨が。
 幕府側の総指揮官である知恵伊豆こと老中・松平信綱がくりだす数々の奇策とは?信綱の選択肢は、
 キリシタン一揆として根絶やしにするか、あくまで農民一揆と扱い和睦に応じるかであった。
 宗教と政治の対立か?戦国時代の終えんか?幕府の政策を大転換させた島原の乱に迫る」と解説されている。

島原の乱」は関ヶ原の合戦後に発生した未曾有の一揆で、その後の徳川幕府の政策に大きな影響をあたえ、幕府の執った鎖国政策(鎖国政策是非については多くの異論あり)により、結果的に日本は300有年の平和が続いた。

私は九州を出て、生まれ故郷は島原だと言うと、何故だか天草と混同されることが多く、九州外では島原も天草も一緒にみられているようだった。実際は、島原は肥前長崎に属し、天草は肥後に属するから全く関係ないけれど、島原の乱発生と同時期、天草地方にもキリシタン一揆が多発し、これらが一色単にされ「島原・天草の乱」としてまとめられた事で、島原も天草も同じと混同して覚えられていたのかもしれない。あるいは「島原の乱」の首謀者天草四郎による「天草」の名前の影響があったのだろうが、何れにして島原と天草は言葉も習慣も違う。

番組でも紹介されたように、「島原の乱」後、江戸幕府は「キリシタン禁教令」を発令し、表向きは全面的にキリシタン信仰を否定し多くの信者を処刑する迫害を行ったが、実際は隠れキリシタンとして生き残っていた。色んな理由をつけて裏では容認していたようだ。島原地方には、「隠れキリシタン」に纏わる墓は多く存在しており、それは身近にもあった。例えば、田舎の実家の菩提寺は禅宗曹洞宗の「晴雲寺」だが、ここにもある。当時、「禁教令」の発令によってキリシタンの捜査や摘発、強制改宗政策が実施され、キリシタンは強制宗門替えを強要されたが、その受け皿の一つを担当したのが晴雲寺だったらしいと聞いたことがある。だからかどうか別にして、この寺の山門をくぐって右奥に「隠れキリシタンの墓」があり、裏に回ってみると十字が石に刻んである。法事で寺へ行き度に何度も見たが、今ではガラス箱内に収めてあるそうだ。

もうひとつ、現存していないので記憶の範囲内でしかないが、実家の近くに島原鉄道が走っている。小中学校時、その鉄道傍を歩いて通学していたが、鉄道沿いに小さい石の地蔵があって、それにも十字が切ってあったと記憶がある。だいぶ前、法事で帰省した際、その話を肴にして兄弟で酒を飲んだが、鉄道の直ぐ傍に国道が出来た際、無くなってしまったようで、記憶の範囲でしかない。

ところで、島原の乱では一揆軍は37000人、攻める幕府軍は約13万と言われている。あんな狭い所に両軍合わせて約17万人(ウキペディアではそうなっている)(ちなみに、島原半島の中心、島原市の現在の人口は約4.6万人)が集結したとなると信じがたいが、一揆軍は敗北後全員殺されたので、その後の島原は実働労働力が不足した。乱制圧後、この地に移住させられたのが四国等からの住民で、移住してきた四国の人たちの食べ物一つに、ケンミンショーでも紹介された「イギリス」という、今では島原の有名な郷土料理がある。喰ってもあまり美味し料理では決してないが、遠潮の有明海でとれる海藻を基本に作った料理だ。一度、本ブログでも紹介した事がある。
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沖縄土産

2015-12-11 06:19:14 | 故郷
女房が沖縄旅行から帰ってきた。私への土産は泡盛で「古酒 菊の露」。
泡盛は、記憶では一度だけ飲んだと覚えているが、殆どその味の記憶がない。
沖縄産焼酎ぐらいの見識しかなく楽しみに飲んでみようと思ったが、その前に、
飲み方が良くわからず、泡盛古酒の飲み方なるものを参考にした。
球磨焼酎が猪口を基本にお湯割りが主であるのに対し、沖縄は暑いので水割りがスタンダードとある。
今回の土産「菊の露」は30度の古酒に分類されるもの。泡盛の古酒とは3年以上熟成されたものとあり、
焼酎と同様に寝かせれば寝かせるほどまろやかになるのは同じだそうだ。
            「泡盛 菊の露 V.I.P」
貰ってすぐに、蓋を開けると匂いが少しきつい。もう何十年と焼酎を飲んでいるので、焼酎のもつ独特の臭さには慣れっこになったはずだが
(周りは焼酎を開けると独特の匂いに閉口すると言うが、私は全く臭わない)、そんな鈍感な私でも泡盛は匂い(臭い)が一瞬きつかった。
古酒だから、まずはストレートで飲んでみようと、いつもの焼酎のコップに少しだけ入れて飲んでみるも、40度の球磨焼酎にあったような
濃厚さと言うかねっとり感があまりなく、どちらかと言えばあっさりとした飲み具合がする。これは30度と40度の違いなのかはわからない。
で、何時も飲んでいる25度焼酎と同じようにお湯割りで飲んで見ようと、30度の泡盛をお湯割りしたが、あっさりした飲み味で
焼酎にある甘みを感じない。暫く飲んでみると酔いの回るのが早く感じる。思うに、油っぽい肴をあてに飲むと旨いのかも知れない。

興味ついでに「焼酎と泡盛の違い」というのを調べてみると、泡盛も焼酎も「焼酎乙類」に文類されているので、基本は同じようだ。
しかも球磨焼酎の原材料が日本米で泡盛はタイ米と、米を原料にしているのも似ている。
泡盛と称するには沖縄で生産されたものに限定されるとあり、球磨焼酎が人吉の球磨地方で生産された米焼酎であることと、よく似通っている。
しかし、飲み味は少々異なって、長年の飲み続け見慣れた焼酎の方に自然と手は向いてしまう。


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カステラ

2015-12-04 06:23:07 | 故郷
   「福砂屋のカステラ」
田舎の法事が終わったとのことで、福砂屋のカステラと八女茶セットが送られてきた。ところで、カステラといえばコマーシャルが浸透したせいか文明堂がカステラ本舗として有名になり、神戸でもどこでも簡単に手に入る。これはこれで美味しいのだが、長崎県人からすると、長崎カステラの元祖と呼ばれる長崎市の福砂屋のカステラの方が更に上等だと思っている。カステラそのものは大好きなので、両方とも甲乙付けがたしと言いたいが、しかし、あくまで個人的な主観で言うと、ふくよかで、ねっとりとした上質感のある味とザラメが美味しいのは福砂屋。故郷での引き出物のカステラは福砂屋製がどちらかと言えば多かった。福砂屋のカステラを貰えば、田舎では納得するのである。で、福砂屋のカステラの底に付いたザラメは特に旨く、これを最後に舐める。
         「カステラとココア入りの2本セット」

ちなみに、福砂屋のHPには、
「長崎カステラの元祖といわれている。1624年(寛永元年)創業。『カステラ本家』を商標登録している。中国でめでたい動物と言われる蝙蝠を商標とし、看板には蝙蝠が使われている。・・・福砂屋のカステラは創業以来手作業による製造を行い、添加物を使用せずに生成している。出来上がったカステラは底に角の取れた粗目(ザラメ)糖があり、食べるときに独特の食感を生み出している。長崎カステラといえば、東京などでは文明堂が有名になっているが、本場の長崎では、ザラメ入りでしっとりとした福砂屋のカステラを食べるのが、通とされている」と書いてあり、競争相手の文明堂との比較を書いてあるが、元はと言えば、文明堂(創業1900年)は福砂屋で修行した職人が出て店を作ったものと、田舎では広く知られているので、今でもカステラと言えば「福砂屋」なのである。

カステラと言えばポルトガル。下記写真は、今年の長崎・諏訪神社の”おくんち”の一場面で、日本の芸者、唐人、南蛮人が舞う。
      
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紅葉は写真を見て満足する

2015-11-16 06:31:30 | 故郷
今年の紅葉見物、何処にも行くことなくFBやブログに流れる写真を眺めて過ごしたが、それはそれで素晴らしく奇麗な紅葉を堪能できた。
ところで、つい最近、山全体が赤く染まる紅葉の季節に、FB友達の九州松嶋先生が私宛FBに九重連山の紅葉の写真をメイル送付してくれた。
それには、こうコメントされていた。
「大津さんへ  義弟から久住の紅葉の写真が届きました(^^)
 私は今年はいろいろとあって山にいけませんでしたが・・また雲仙の写真撮れたらアップします(^^) 海には行けました」と。
     「久住」
     「久住」
松嶋先生は九州博多で開業の病院理事長だが、ロードレースやカワサキの柳川選手や西嶋選手とも懇意にしておられ、
直入コースでも度々試乗されている多彩な人物で、つい最近はヨットレース参戦。私は個人的に付き合いがあるわけではないが、
故郷の島原半島の雲仙を山登りされた際の写真を度々FB上にメイルしてくださるので、ビックリしながら懐かしく眺めている。

島原半島の普賢岳、200年ぶりに大噴火して有名になった火山だが、そのふもとが私の故郷でもある。有明海の直ぐ傍にある生家から雲仙のある、
普賢岳は良く見える。普賢岳は大噴火の後剥げ山になり、今なお草木も生えていないが、その周辺は噴火後も変わることなく風光明媚な場所。
今年の雲仙、仁田峠のケーブルカーの近くの燃えるような紅葉が”NAGASAKI365”というFBに投稿してあった。
               「雲仙、仁田峠」
仁田峠付近は「普賢岳紅葉樹林」として国の天然記念物にも指定され、紅葉植物は120種を数えられているそうだ。最後に訪ねてから随分とたった。


故郷と言えば、今年は、人吉、熊本、阿蘇、長崎などの街風景が度々テレビで報道されたので懐かしく、かつ楽しさもあった。特に、
「長崎くんち」も久し振りに最後までテレビをみたが、関西地域で開催される荒々しい秋祭りとは違った豪華さがあり、加えて品がある。
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「人吉 時の流れを訪ねて」をBS11で見る

2015-09-25 06:12:08 | 故郷
23日の夜、女房の里人吉から急に電話がかかり、今、人吉がテレビに映っているとの連絡。
で、テレビをつけてBS11にチャンネルと合わせると「九州の奥座敷 熊本・人吉 時の流れを訪ねて」が放送されていた。 
人吉出身の俳優中原丈雄が人吉を紹介する番組だった。
   「BS11、日本ほのぼの散歩、熊本・人吉 時の流れを訪ねて」
まずは、BS11にある序文からの抜粋。
 「九州山地に囲まれた人吉盆地に位置した人吉を、俳優・中原丈雄さんが散歩します。人吉は球磨川が流れる城下町で歴史に彩られた様は、
  九州の奥座敷とも呼ばれています。人吉に行くには、熊本からSL人吉に乗るのがオススメ。熊本県で初の国宝指定を受けた青井阿蘇神社。
  かつては球磨川を利用した水運で栄えました。球磨川の恵みを受け、紡がれてきた人吉の歴史。
  そんな水の郷の恵みに育まれた、酒や醤油、味噌。球磨焼酎大使でもある中原さんが訪れたのは球磨焼酎の酒蔵。そこで球磨焼酎の圧巻の製造工程に感動!
  さらに、この時期にしか見られない人吉の絶景があります。人吉は周囲を山に囲まれた盆地のため、日本でも有数の朝霧発生地帯。霧が街を覆う幻想的な景色」
テレビの紹介は人吉城(別名・繊月城)から出発した。この城は、城主相良氏が鎌倉時代に地頭として人吉に赴任して以来670年、明治初頭まで相良氏が城主を勤めた。
球磨川沿いに立地し、城の石垣「武者返し」は熊本城のそれとは異なり、この武者返しの方が防御するには効果的に見えるが、どうであろうか。
   
お城から球磨川越しに人吉の街並みを見る。                 
    
次は、人吉にある国宝「青井阿蘇神社」とその下にある蓮池。
     
人吉市街地の鍛冶屋町 
   
そして、人吉名産の「球磨焼酎」、いわゆる米焼酎。人吉の焼酎蔵元は28蔵で、テレビでは「高橋酒造」が紹介されていた。
25度の焼酎の原酒が紹介されていた。焼酎の原酒と言えば、蒸留したての焼酎で40度以上ものと思っていたので聞き間違いかもしれぬ。
   
この時期しか見られないとの説明があった、人吉盆地の「朝霧」
   

最後に、案内役の中原丈雄さんが、人吉は彼が過ごした少年時代となんら変わっていないと紹介していた。
しかし、変わらない方が良いのか、時代に即して変化していく街並みが良いのか、地元に住む人とってはどっちが望ましいのだろう。
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島原のスイーツ・・「秘密のケンミンSHOW」

2015-08-15 06:13:58 | 故郷
13日の「秘密のケンミンSHOW」、長崎スイーツコーナーに故郷島原のスイーツ2件が放送されていた。
「かんざらし」と「だてまき」という甘いお菓子。「だてまき」と言う名を初めて聞いたので調べてみると、生家近くでは「とらまき」と呼んでいたお菓子と同じで、とある菓子屋は「だてまき」と呼んだようだ。どちらも中身はたぶん一緒。

「かんざらし」とは、小さな白玉団子を昔は島原の湧き水で冷やし、蜂蜜や砂糖などで作った特製の蜜をかけたデザートで、昔はどこの家庭でも作っていたが最近は出来物を買うそうだ。また「かんざらし」を提供する店が島原のアーケード街にもある。記憶していることで、かなり以前、島原普賢岳ふもとの焼山(やけやま)で、そこの湧水を利用したそうめん流しがあった。200数年前に普賢岳が大噴火した結果、至るところに湧水が出る場所ができ、特に焼山の湧水は冷たく、島原そうめんを冷たい湧水に流すそうめん流しが有名で、そうめん流しを食べて、ラムネを飲んで、「かんざらし」を食後に食べた。(25年前に普賢岳は再び大噴火し、そのあと、焼山は立ち入り禁止になったと聞いている)白玉団子を甘い特性の砂糖水に混ぜただけなので、格段に旨いと言う印象は持っていないが、上品な味であることは間違いない。それよりもねっとりとした白玉団子の方が旨かったような記憶が残る。
 
 

もう一つの「だてまき」ならぬ「とらまき」は、あんこをカステラ生地でくるっと巻いた和風ロールといったところ。
一番の特徴は中身の餡で、これが非常に旨かった。生家から歩いても10分弱の所にお菓子屋があり、ここで生産していた「とらまき」はたくさん作っていないが、通りから見える店先の棚に10本程並べてあり、子供心に欲しかった。カステラ生地といってもカステラほどの上品さはないが、誰でも合う庶民性があった。
 

こうしてテレビで改めて長崎・島原のスイーツ味を聞くと、確かに非常に甘く設定してあるお菓子が多い。
「だてまき」もそうだが、以前チャレンジしたことがある「ザボン漬け」もザボンの厚い果皮の中に砂糖の塊を煮詰め、出来上がりに更にグラニュー糖をまぶすものだった。今回、テレビに出た菓子屋「藤田チェリー豆本舗」のチェリー豆もそら豆を油で揚げて生姜と砂糖、水あめを炊き合わせたお菓子で土産に良く買った。それはそうと思いだしたが、カステラは非常に上品な感触で好きなお菓子だが、福砂屋のカステラの底に付いたザラメは特に旨く、これを一番に舐めて食べる。
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球磨焼酎蔵元・・・阪神80周年記念ボトル

2015-05-20 06:08:19 | 故郷
先日もらった球磨焼酎繊月酒造の銘酒”無言”にもまだホンの少しだけ口をつけただけなのに、人吉から新しく球磨産の焼酎を頂いた。
今度は阪神タイガーズ公認の「阪神80周年記念ボトル」で、しかも麦焼酎と芋焼酎に加えて、リキュール【80周年限定酒】の3本であった。球磨焼酎と言えば米が主原料だが、しかし焼酎の方は麦と芋で、これも球磨焼酎と呼ぶのかとラベルを見るも、どこにも球磨焼酎とは書いていない。つまり、球磨焼酎の蔵元が製造した阪神80周年を記念する焼酎だと言う事だった。製造元は深野酒造で、あの有名な「刻の封印 39度」の蔵元。「刻の封印 39度」は飲んだ事があり、非常に旨い焼酎だっただけに、この阪神タイガーズ焼酎も旨いに違いない。
       
芋焼酎の名は【獣王無敵(じゅうおうむてき)】で、麦の方は【闘志溌剌(とうしはつらつ)】と命名してあった。
かの有名な、阪神タイガースの応援歌「六甲おろし」の一節に、その2番の歌詞に、次のようにある。
闘志溌剌 起たつや今 熱血既すでに 敵を衝つく
 獣王の意気 高らかに 無敵の我等ぞ 阪神タイガース」
そして、商品の説明には芋焼酎「獣王無敵」には「熊本産の食用芋である「金時」の鹿児島産「黄金千貫」をブレンドし、こだわったのはあくまで”芋らしく”、25度」。麦焼酎「闘志溌剌」には「文政6年からの伝統の技で仕込まれる本格麦焼酎。まろやかな旨みが特徴で飽きない旨さ、25度」と書いてある。一方、リキュールの方は「熊本県産・万次郎カボチャを使用し、江戸末期から使い続けている壷で仕込んだ焼酎をベースにしたリキュール。カボチャの甘味とフルーティーな香りがある、25度」と能書きに書いてある。
       
さりとて、リキュールをどの様にして飲むのか知らないので、旨く飲む方法から調べねばなるまい。

しかしながら、球磨焼酎蔵元と阪神タイガーズとはどんな関係があるのだろうか。
九州ではいまでも巨人ファンが圧倒的に多い土地柄で、球磨焼酎の本場人吉は巨人軍V9監督「川上哲治(熊本県球磨郡大村(現・人吉市)出身)」の生まれ故郷。言われなくとも阪神の敵の出身地で、阪神応援の焼酎が売りだされるとは、どんな縁が込められているんだろう。

それは良いとして、 今年の阪神は最強布陣と評されながら、本物の「阪神タイガースは獣王無敵だ」に何時なれるのか?
あまり愚痴ばかりを言っても埒が明かないので、阪神80周年記念ボトルが人吉から発売されただけでも良しとせねば。


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