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野々池周辺散策

野々池貯水池周辺をウォーキングしながら気がついた事や思い出した事柄をメモします。

一口香

2020-01-29 06:27:18 | 故郷
近くの生協で九州物産の販売をしていたのでめぼしいものがないかと暫らく眺めていたが、「一口香(いっこっこう)」が展示してあったので買った。「一口香」は長崎名物、故郷島原でも生産販売していたので、何度も食べたことがある。生協のフロアーには、他にも「黒棒」や「 兵六餅」「ボンタンアメ」「からいも飴」などの好物が並んでいたが、やはり先に手が出るのは「一口香」。

「買ってすぐに半分無くなった一口香」
長崎名物のお菓子と言えば、カステラの次ぐらいに有名なのが「一口香」。福砂屋の「カステラ」などのブランド菓子と違い、極普通に食べられるお菓子で、饅頭のような外見のカリッとした焼き菓子だが、特徴的なのが中身が空洞。今回の製造元をみると、雲仙市の国見町(昔の多比良町)の菓子屋(牧瀬製菓)製造の製品とある。食べてみると、田舎の島原で食べていたものと少し違う。8個入り200円。記憶では大体が10個入り200円だったように覚えているので少し高い。国見町と言えば有名なサッカー選手を輩出した国見高校の地元だが、直径約6.5cmと中くらいの大きさで、外形は平たいけど肉厚で中は本当の中空ではなく食感はソフト。ショウガ味がした。島原で食べていたものは、もうすこし皮が固く、中は本当の中空で表皮がすこし窪んでいた。食べると、少しゴマの香りがしたように記憶している。どちらが美味いかは、食べた記憶だけだけど、どちらも旨い。が、食べた食感と味が少し違うが、好みを言えば中が中空の方が良いかなと言う範囲。

早い話、どうでも良いことなんだが、この時期、生協西明石の展示場ではチョコレートの占拠率が高くなっている。しかし店を見ていると、チョコレートより九州の菓子を見ている買い物客が多い。北海道物産展だと六花亭のチョコに手が出るし、九州物産では大昔、小さい頃に食べた100円前後のお菓子をついつい買う羽目になる。そうは言っても、近くのスーパーでは九州か北海道の物産展が多く他は見ることも少なく、時には名古屋物産の「青柳ういろう」や「あわ雪」も食べて見たい。
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えーっ!

2019-12-16 06:20:01 | 故郷
12月12日の日経に、「三菱重工、長崎の主力造船所を売却 業界再編が加速」として、三菱重工業は長崎造船所を売却すると報道があった。日本の造船業は中国や韓国との価格競争に太刀打ちできず、多くの造船所が再編の渦中にあることぐらいは知っているが、まさか、三菱の長崎造船所が売却の対象になっているほど悪いとは、大いにびっくりした。三菱の長崎造船所は三菱の創業の地でもあり、戦艦武蔵を建造した、長崎県人が誇りにしてきた場所だけに、「えーっ」と唸ってしまった。

この話は、2014年の12月23日の日経にも、「三菱重工、国内造船と連携探る 」とあったので、動向は気にして新聞を読んできた。5年前には、長崎造船所の造船事業を分社化する計画にあるとのことだった。当時、話題となっていたのが三菱の大型客船の設計変更などで多額の損失が発生するなか、防衛部門を残して民間向け造船部門を切り離し収益性の向上を図ると記録している。

長崎といえば長崎造船所、かって三菱の中心骨であり、長崎造船所出身者が三菱の社長への道だった場所。そこから三菱造船の名が消えるかもしれないと、長崎県出身者としては憧れの造船所でもあったので、FB「Nagasaki365」にあった、落日の長崎造船所造船ドックの写真が寂しそうに写っていたのを記憶している。まさか造船所を売却するとは思いもしなかった。
2014年、三菱長崎造船所ドックFB「Nagasaki365」
  「FB Nagasaki365」」

日経にはこう書いている。
「三菱重工業は創業の地である長崎市内に持つ2つの造船所のうち、主力の香焼(こうやぎ)工場を売却する。造船で国内3位の大島造船所(長崎県西海市)に売却する方向で、売却額を含めて調整中だ。三菱重工は液化天然ガス(LNG)など大型資源運搬船の建造から実質的に撤退する。造船業界では中国・韓国勢が統合に動いており、国内でも業界再編が加速する。(略)三菱重工は18年の建造量で80万総トンと国内4位(単体ベース)。商船部門の事業売上高は約1000億円だ。

売却する香焼工場は1972年に本工場(長崎市)の近隣に開設した。1200トンの超大型クレーンを1本、600トンのクレーンを2本持ち、ドックの長さは1キロメートルと国内最大級の規模を誇る。近年は付加価値の高いLNGなど大型資源船に特化してきたが、LNG船は9月を最後に生産が途絶えている。香焼工場の売却後は防衛省向けの護衛艦が中心の本工場と、フェリー建造の下関造船所(山口県下関市)の2工場に注力する。競争力のある船種に絞り込み事業を大幅に縮小する。

買い手の大島造船所は長崎に本社工場を持つオーナー系企業。鉄鉱石や石炭を運ぶばら積み船の建造に特化している。17年には三菱重工と提携した。香焼工場を含めた2拠点で生産を効率化し、中韓勢に対抗するとみられる。環境規制に対応し、三菱重工の持つ技能者や環境関連技術を取り込み、建造船の高機能化を図る狙いもあるようだ」
     「日経」
  、
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 島原鉄道

2019-06-24 06:18:52 | 故郷
6月22日のFB”Nagasaki365”に投稿してあった、「島鉄に乗る」の写真。
 
博多駅から特急かもめで1時間半少々、島原鉄道の起点諫早駅に到着する。改札口を出て、左端隅っこのホームにひっそりと島原鉄道線に黄色いディーゼルカーが乗客を待っている。JR長崎本線諫早駅から島原半島の中心地区島原まで走る島原鉄道で、半島の有明海沿いに走る私鉄の単線。諫早から島原に向かう道中、左手に有明海の遠浅がすぐ目の前に見え、右手が田んぼや畑。上の写真は、海岸沿いの駅で、こんな駅風景が諫早駅から島原まで続く。ホームの後ろに広がる遠浅の有明海は、日によって違う表情を見せて楽しく、開放的なこのホームでしばらく海を眺めるのも良し。
例えば、下記写真は島原鉄道HPにある大三東(おおみさき)駅。この駅は、生家のある三会(みえ)駅から諫早方面の二つ前の駅で、急行が停車するので神戸に帰る際は、この駅まで車(約15分程)送って貰う。この大三東駅は写真家愛好の場所になっているらしい。
   大三東駅

島鉄の車体ボディは黄色だが、車体の横に描かているのは「島原の子守歌」。爽快に走る鉄道ではなく、ガタゴトと車体を揺らしながらゆっくりと走り、ディーゼル車らしく音も賑やかで、半島の経済力を表現しているようにも見える、のんびりとした観光列車だ。黄色の車体色に変わる前、我々が知っているのは、赤色の線があったような記憶があるが、今、復古版で昔の赤色の車体カラーが登場したとあった。島原駅のまた一つ手前が三会(みえ)駅で、三会と島原間は約4㎞。実家は三会駅から諫早方面に海沿いに歩いて約15分弱の距離で有明海のすぐそばにある。島原高校への通学は毎日雨が降っても自転車通学だったので、当時のディーゼルカーには乗ったことはない。
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方言っていいな

2019-02-08 06:29:52 | 故郷
2019年のNHK大河ドラマ「韋駄天」の主役は熊本出身の金栗四三さんなので、毎回見ている。
そこで気になっているのが主役等が話す熊本弁で、何となく違和感あり。どんな違和感かと言うと、アクセントが違う気がするし、熊本では「こんな言葉は使わなかった?」と思うのだが。九州を出てから、今は関西の神戸・明石に住んでいる期間の方が長くなったので、今の熊本弁は知らないが、何となくだが違和感をもった。大河ドラマは、多分、その道の専門家が指導しているので、大まかには間違いないのだろうけど、ちょっと違うなと思いながらも、それ以上に物語は面白いので、毎週見ている。昨年の「西郷どん」の時は、鹿児島弁を話した経験もないので、テレビを聞く範囲では、普通に話す言葉に近いので、そんなものかなーと素直に聞き取れた。だけど昔、熊本に住んでいた頃に聞いた鹿児島弁はそんなものではなかった。九州のあちこちから来た学生の言葉は違和感なく理解できるが、鹿児島弁だけは、鹿児島の鶴丸出身同志が話す鹿児島弁は全く理解できなかった、と言うより、なんてしゃベているのか全く聞き取れなかった。だから、「西郷どん」の薩摩弁は、鹿児島で普通に話される会話を知らないだけに、しかも標準語に近いアクセントに近く聞こえたので理解できた。それに比べれば、「韋駄天」の熊本弁は理解出来るだけに、熊本の話し言葉を何度も聞いてきただけに、「韋駄天」での会話の抑揚には何とは無しに違和感を感じてしまう。

何故、熊本弁の事を書いているかと言うと、先日、何とは無しに読んだブログに、熊本弁、正確に言うと、球磨弁が書いてあった。例えば、「奥さんの言いなっごとしなっせ、そっが間違いなかですばい、そしてありがとうねって、言葉に出して言いならんばー」とか「うちのじいさんがそいば言わんとですたーい」とか「例え何年かに一度でよかで言うてくるれば、女は「なんでんしてやらんばて思うとですばい。ご主人もそぎゃんしなっせ」」とあった。これに抑揚をつけたイントネーションが頭に浮かぶので素直に理解できる。女房は熊本の人吉出身なので、田舎と電話しているのを聞くと、ここまでくだけた話ではないが、こんな感じだ。で、熊本で普通に話しされていた抑揚を知っているだけに、「韋駄天」の訛りはすこし違和感ありと感じる。 

私の生れ故郷は長崎県の島原市。神戸に暮す期間の方が長くなったので、もう話すことは殆どなくなった島原弁(サシスセソの発音が難しい)だが、生まれた時から耳に聞き話した言葉を、今すぐに話せと言われても出来ないが聞き取ることはできるので、これに抑揚をつけて田舎の訛りに出会うと妙に親近感を感じてしまう。長崎も島原も昔は同じ肥前国なので同じ言語帯なんだろうけど、現実に話されている言葉とアクセントは少し違う。神戸や明石に長く住んでいても神戸と播州地域との話し言葉の相違点は聞き分けられないが、だけど長崎と島原とは聞き分けられる。島原の言葉はと言うと、長崎への原爆投下を「しょんなか」と発言した元自民党の久間防衛相は島原半島の南にある加津佐町(雲仙市)の出身だから、聞いていると、彼が話す言葉とアクセントがどちらと言えば島原で一般的に離された言葉なので非常に親近感があった。

それはそうと、思い出しついでに、かなりかなり前のトヨタパッソのCMに、長崎県出身の主役が方言で話すCMがあった。
そこで話される長崎の方言が面白い。長崎のうた、「でんでらりゅうば」と言うものだが、この歌は長崎銘菓「文明堂のカステラ総本店」のローカルCMにも使用されたり、長崎県出身の歌手さだまさし さんの「がんばらんば」という曲の中にも織り込まれていたらしい。
いいなCM トヨタ パッソ 仲里依紗 川口春奈 「でんでらりゅば」篇
     』
 長崎のうた、「でんでらりゅうば」歌詞とその意味」
  でんでらりゅーばー(出て行けるなら)
  でてくるばってん(出ていきますが)
  でんでられーけん(出ようとしても 出られないから)
  でてこんけん(出て行きません)
  こんこられんけん(行こうとしても行けないから)
  こられられんけん(行くことができないから)
  こーんこん(行かない、行かない)
・・「とっとっと」、「とっとっとよ」(写真を撮っているのか)、(撮っているよ)。
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NHK 呑み鉄 島原鉄道

2018-02-17 06:54:21 | 故郷
  「六角精児の呑のみ鉄本線・日本旅「春・島原鉄道を呑(の)む!」

15日の午後3時からNHKBSの再放送で、呑み鉄シリーズ第8弾、島原半島の島原鉄道とその周辺を紹介していた。島原鉄道の諫早駅から島原駅までの道中と、無人駅を降りてビールを一杯と言う番組だった。諫早駅から直ぐに、閉鎖するか開門するかで地裁が高裁と相反する決定したため、それぞれに賠償金を支払う(だった?)羽目になった 諫早湾干拓の開門をめぐる対立となっている堤防を横目に見て、ディーゼル車は雲仙のすそ野を快走する。諫早から島原に向かう道中、左手に有明海の遠浅がすぐ目の前に迫り、右手が田んぼや畑で、遠目に普賢岳がみえるが、こんな風景が諫早から島原まで続く。諫早を抜けると間もなくい右手に普賢岳の大爆発でできた平成新山が見え始める。
   「標高 1483mの平成新山」
島原鉄道の今の終着駅は島原外港だが昔はもっと南の加津佐駅だった。外港の二つ前の駅が島原駅で、駅を降りると直ぐ目の前に島原城が見える。島原城は天守がない時の方がどっしりとした風格があって見栄えがしたなあーと今でも思っている。天守を造ってから、どこにもある普通の城になった。

島鉄の車体ボディは黄色だが、車体の横に描かているのは「島原の子守歌」。爽快に走る鉄道ではなく、ガタゴトと車体を揺らしながらゆっくりと走り、ディーゼル車らしく音も賑やかで、半島の経済力を良く表しているようにも見える。のんびりとした観光列車だ。黄色の車体色に変わる前、我々が知っているのは、赤色の線があったような記憶があったが、今、復古版で昔の赤色の車体カラーが登場したと紹介があった。島原駅のまた一つ手前が三会(みえ)駅で、三会と島原間は約4㎞。実家は三会駅から諫早方面に海沿いに歩いて約15分弱の距離で有明海のすぐそばにある。島原高校への通学は毎日雨が降っても自転車通学だったので、当時のディーゼルカーに乗ったことはない。
 

番組の主役六角さんが指さす駅に表示されている駅案内板の、左側「三会(みえ)が故郷の駅。今は無人駅だが、島原駅から約4㎞弱の距離にある。
         「NHK」

番組中に紹介のあった、島原半島の名物食材、イイダコ、ガンバ(フグ)。ガンバはサッと湯通しして、氷水で身を引き締め、タレはダイダイ酢に薬味はニンニクの茎に梅干等を入れた思うが、皮の部分はコリコリして旨かった。田舎では 皿の絵柄が透けて見えるような「薄造り」は食ったことがない。だが何と言っても、ガンバ料理でこれは本当に旨いと思ったのは骨付きブツ切りの”がねだき”。から煎りしたガンバの肉厚の身を醤油、酒等に梅干しとニンニクで煮込んだ料理だが絶品。オコゼの吸い物も上品で旨いと思ったが、”がねだき”には遠く及ばないと記憶している。昔はガンバは安く、市内の漁師が自転車の荷台に積んで行商で回ってきた。それを一匹、近くの川でさばいてくれたが、今は目が飛び出すほど高いので食べないと言う。 また、米粒の入ったイイダコも旨い。昔は、イイダコもマタコも、そしてタイラギも有明海の遠浅で普通に良く取れたが、護岸工事してから採れなくなったそうだ。
 

それにしても、六角さんは何処でもうまそうにビールを飲む。羨ましい!
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故郷雲仙の霧氷

2018-01-26 06:20:34 | 故郷
24日のFB”Nagasaki 365”に、島原半島中央にある雲仙の霧氷が投稿してあった。
雲仙の山々は普賢岳、国見岳、妙見岳等で構成され、最高峰は普賢岳の噴火で1990年に出来た平成新山で高さは1483m、長崎県の一番高い山でもある。雲仙は四季に恵まれ春はミヤマキリシマ、夏は新緑、秋は紅葉そして冬は霧氷と季節ごとに変化に富んだ景観が堪能でき、雲仙の温泉も、これまた素晴らしい。妙見岳周辺では12月から3月初旬にかけて霧氷が見られる。樹木が氷の結晶に覆われた状態になることだが、気温0度以下の日に霧や雲が発生していることが条件と聞いた。水分が風で木の枝に吹き付けられ、氷の結晶となって木々を覆う。毎日は見れず、10日に1回か数日に1回ぐらいの割合で発生するそうだ。雲仙普賢岳は島原市、南島原市、雲仙市にまたがるので厳密に言うと故郷島原市に属するわけではないが、住んでいた場所が雲仙の遥か裾野(と言うより有明海のすぐ傍)だったので、春秋の小中学校時の遠足はほぼ毎年、普賢岳かその麓の礫石原(くれいしばる)や焼山あたりだった。春や秋の普賢岳、妙見岳には良く登ったが、冬の雲仙には危なくて登ったことなど一度もない。だから霧氷の現物は見たことはなく、できたかどうかは新聞で知るしかない。
  「Nagasaki 365」

もうあれから27年も経った。
1990年6月、雲仙・普賢岳で大規模火砕流が発生してから27年だ。山頂近くの屏風岩火口に接した普賢神社は激しい降灰に見舞われ、拝殿は噴石で損傷し、遠足時の弁当場所だった普賢池は死の世界に一変した。火砕流が発生した水無川流域から私の生家は約15km程北に離れているので、毎日降る火山灰以外にはさしたる被害はなかったが、翌々年車で帰省時、運転していった乗用車には一夜過ぎると火山灰が積もった。すでに主幹道路は整備されていたので、仁田峠(当時は立入禁止)近くまで車で行き、山頂から有明海まで達した火砕流跡を間近に見た。草一本も見えず赤茶けた溶岩がただ残っているだけだった。

その後、生家の近くに新港が造られ、台風が来るたびに波が乗り越えていた石積みの堤防はコンクリート造りの大堤防に変わり、その代わりに、ソフトボールもできた広い砂浜は無くなり、沢山あった黒い砂鉄は何処にも見当たらず、マテガイ、ニシガイや有明海の名物貝タイラギも姿を消したようだ。良く食べたタイラガネ(渡りカニ)やガンバ(ふぐ)は高級品となって、とてもじゃないが買えないでいる。直ぐ下の有明海沿岸に沢山あった、有明海苔の養殖クイ数も少なくなり、漁師は昆布やワカメの養殖に変えたと聞いた。

雲仙・普賢岳は230年ほど前にも大噴火が発生し対岸の熊本県沿岸に大津波を起こし、その津波の波動が再度島原に押し寄せ、5000人以上が死亡、「島原大変、肥後迷惑」と言われた。この慰霊碑の一つは歩いて行ける近くにもある 
   
        実家は四角囲みの上限付近            寛政4年(1972年)の大噴火絵図 

下図は現在の夏の島原半島を熊本港と島原外港間フェリーからの撮影したもので、この場所からの普賢岳(中央の黒茶色のはげ山)と眉山(手前のギザギザ山)が最も美しいと思う。(寛政4年の大噴火で、手前の眉山の半分が崩れて大津波が発生した)。普賢岳中央付近に、冬の霧氷が見れる。
        
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雲仙普賢岳のビール瓶

2017-09-02 06:31:40 | 故郷
昨日(8月31日)のNHKで、「山の頂上になぜ?追跡!ビールを使った極秘作戦」を放送していた。阪神:ヤクルト戦からたまたまチャンネルを合わせると、普賢岳がでて、ここに戦時中のビール瓶が残っていたと言う。阪神どころではないと、その後は戦時中のビール瓶の経緯を見ていた。

NHKの案内を読むと、「長崎・雲仙市で、活火山の雲仙普賢岳上でビール瓶が見つかったという。山頂に到着、岩陰でビール瓶の破片を発見。これらの瓶は第二次世界大戦の頃に作られたものだという。聞けば、この山頂には戦時中に日本陸軍の施設があったという。アメリカ軍の爆撃機を探知するためレーダー基地が設置され、山頂にアンテナ、中腹に兵舎を築き、100人あまりの部隊が駐屯、この部隊がビールを飲んでいたのではという。日本陸軍でビールの関係を探るため防衛省 防衛研究所へ。戦時中にビールが各地に送られた記録を続々と発見した。中には大量のビールが国内のみならず国外へ送られたという記録もあった。(略)このあと、ビールを武器に!?日本陸軍のマル秘作戦が判明。(略)柳楽林市さんに日本陸軍がビール瓶を何に使ったかを聞くと、火炎瓶として敵に投げたという。敵の戦車の一台が突っ込んできた時、負傷兵を介抱していた衛生兵が無意識に消毒用のアルコール瓶を戦車に投げたら、投げた途端に戦車が燃え上がり、その後火炎瓶が広く使われるようになる。(略)ところが、日本陸軍はその後も効果が薄れたはずのビール火炎瓶を使い続けていた。さらに軍では正式に火炎瓶を作っていたという。ノモンハン事件の教訓が活かされず、とにかく戦わなきゃと戦いを強要したのが日本軍だという。沖縄で日本兵と民間人150人がアメリカ軍を迎え撃って戦死した豪で火炎瓶が見つかったという。沖縄戦で家族を亡くした国吉勇さんは、豪で亡くなった人を弔うため遺骨や遺留品を収集してきた。使われることなく原型を留めたビール火炎瓶があった。効果がないとわかっていても、それが活かされない。脳科学的に、1回成功したという情報をみんなが共有し共鳴してしまうと、新しい情報が入ってきても排除してしまう。思い込みでも大勢で共有すること信じてしまうと澤口俊之が話した」とあった。

  本件、気になったのでネット検索すると、「戦時中、普賢岳山頂に極秘レーダー基地 軍人飲んだ? ビール瓶次々 長崎県」と言う記事が西日本新聞にあった。西日本新聞は田舎で読んでいた新聞なので愛着があるが、戦時中飲んだビール瓶が発見されたのは、今年の1月らしい。

私は、戦後の長崎県島原(当時は村)生まれなので、年少時上空を進駐軍のP-38ライトニングが飛ぶ時代を過ごし、雲仙岳の高射砲設置跡(と聞いた)を中学の遠足で教えられた。その現場に足を運んだのは一度ぐらいしか記憶がないので確かではなかったが、調べると、こんなブログ雲仙普賢岳陸軍電探基地があった。「第二次世界大戦中、雲仙はその山岳地形により重要な役割を担うために軍により接収されていた。なかでも、一個中隊程度(200名~300名)の情報通信部隊(監視隊か?)が普賢岳周辺に配置されていた。普賢岳頂上に偵察用電波塔が建設され、その近くに情報を受信する見張り台があり、兵舎は仁田峠にあった。もちろん、当時これらはすべて国家機密であったらしい」と。また、こんな記録「 戦争遺跡・遺構 」もある。高射砲が設置されていたとする記録は見つけられなかったが、無防備な電波塔だけが設置されるはずもないので、高射砲があったのかもしれない。

今回のNHKの主題(山の頂上になぜ?追跡!ビール)は普賢岳のレーダーではなく戦時中のビール瓶の使われ方だが、対ソ戦車攻撃で成功したビール瓶の火炎瓶も戦車に防護柵が設けられたのちは火炎瓶の効果は無くなったにも係らずビール火炎瓶を使い続け、とにかく戦わなきゃと戦いを強要したのが日本軍だと言う事実だ。成功体験が、効果なしとする意見を排除してしまう、戦時中、日本軍中枢にあったとされる精神論や情緒優先論は、前回見たNHKの「インパール戦」とよく似て、極めて悲しい出来事だと思う。

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女房の帰省土産

2017-07-19 06:22:09 | 故郷
連休中、女房は故郷人吉に帰ってきた。
帰省の一番の見応えはと聞くと「曽木の滝」だそうだ。人吉では聞いたことのない名前だったので尋ねると、鹿児島の伊佐市にある滝。人吉から車で鹿児島方面に降りていくと、そんなに時間は掛からないらしい。何せ、この滝が見事で甚く気に入ったらしくブログに載せろと言う。
 「曽木の滝:じゃらんネット」
今回は携帯も忘れデジカメも忘れ、写真を撮ってこなかったと言うので「じゃらんネット」から写真を借りた。
戦国時代の誰それがこの滝を見に来たと言うので、ウキペディアで調べると「島津攻めの帰路、大口筋にて肥後へ向かう途次に豊臣秀吉もその雄大な景観を楽しんだと言われる名瀑。 高さ12m、滝の幅は210mと広く、「東洋のナイアガラ」と称されている・・・」とある。北米のナイアガラなどテレビでしか見たことはないが、何となく風景は似ていると言えなくもない。なにせ、大規模で、見応え充分の滝だそうで、豊臣秀吉や柳原白蓮も訪れたという石碑もあると言う。だけど、実際見たこともないので、多分すごいんだろうなと思いながら、貰ってきた観光案内のパンフレットを眺めた。

それはさておき、種分けが分からず封を開けたままの大きな段ボールに詰め込んで送られてきた人吉土産のなかで、一番は球磨焼酎の「繊月」。神戸周辺では芋や麦焼酎がメインで、中々米焼酎は手に入らず、ましてや米焼酎の本場「球磨焼酎」など、この辺の店頭では見た事がない。鹿児島、宮崎、大分の焼酎はどこでも手に入るが、焼酎の旨さ加減は慣れ親しんだ米焼酎が個人的には一番だと思っているものの、近場で買えない以上、その旨さを説明のしようもなく勿体ない、と何時も思う。更に言えば、「球磨焼酎」と言う地名を冠することを認められている世界的に数少ないブランド酒でありながら、気軽に買えないとなると希少感はあるも日頃の生活にはない。それは良いとしても久し振りに米焼酎が飲める。また、焼酎のミ二ボトルを貰った。現役の頃の欧州出張で、オランダのKLM航空を利用すると陶器入りの甘いリキュール酒をくれた。そのリキュールは半分飲んで半分は封したままの小瓶を、今も出窓に飾っている。今度の焼酎ミニ瓶はパソコンの傍に置くことにして、毎日眺めることにしよう。
     「焼酎のミニボトル」
珍しいお菓子と言えば「黒糖ドーナッツ棒」で、黒棒は好物なのでさっそく食べてみたが、この辺でも売られている黒棒に比べて素直な甘さがあって旨い、これは幾らでも食べれる。他にも「あんたがたどこさ」という豆菓子ほか多数あり。いずれも”くまもん”が付いている珍しい土産のお菓子ばかり。なかでも絶品と思ったのは自家製のラッキョ漬けで、適度な酸っぱさにメリハリもあり旨い。
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錦町

2016-11-19 06:11:17 | 故郷
女房のふるさと、人吉の錦町。錦町役場をフェイスブックの”お気に入り”に登録しているので、日々情報ははよくわかる。
女房は用事があって故郷の錦町に帰省し、先日、神戸に戻ってきたが、つい先日の「錦町役場のフェイスブック」に、
女房の実家から車で5分も掛からない距離にある寺院、「新宮寺」が紹介されていた。ぜひ、当ブログに載せろと言うので投稿。
このお寺は人吉・相良三十三観音札所の一つで、お堂には六観音が祭ってあり、錦町一の紅葉の名所、と聞いた。

「錦町随一の紅葉の名所 『新宮寺』の大銀杏が色づき始めています!
 見頃は今週末から来週前半と思われます。
 ぜひ、足をお運びください!」
  
                  「錦町役場 FB」
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人吉土産

2016-11-11 06:19:45 | 故郷
女房が11月の連休を利用して人吉へ帰郷していた。
その前に、JRおでかけネットの「スーパー早特キップ」なる安いチケットの発売を2週間前からと勘違いして、
まだ時間的に余裕があるからと予約せず放置し、そろそろだとJRのHPをみると、何と予約期間は1ヶ月前から2週間前までとあった。
予約開始日と終了日を勘違いして覚えていた。あわてて、JRを予約すると運が良いと言うか、少し時間をずらすと、空いている。
しかも博多での乗り換えなしの鹿児島行きだから至って便利な早得切符を予約出来た。今度は帰りの切符を予約しようと、念のため
スカイマークのHPを覗いてみると、だいぶ前とは運行時間が大きく変わっている。最安の「いま得」切符は残念ながら売り切れていたが、
前得切符を取れた。以前の神戸⇔鹿児島は4便だったが2便になって希望時間のフライト便が無くなり不便に感じたが、改善された。
こんな事だったら、スカイマークの方がJRの早得切符より安く且つ早くて快適なので、行き帰りもスカイマークにすれば良かった。
日頃の行いの悪さを悲観してみたが、それでも、これでだいぶ節約できた。熊本駅まで迎えに来てくれるし、鹿児島空港まではすぐそば
を通っている高速に乗れば人吉からそんなに時間はかからなったそうだ。

こちら神戸は肌寒かったが、人吉は暖かく過ごし易い天候だったそうで、のんびりできたと言っていた。
久し振りなので人吉市内を回ってみると、人吉駅にSL列車と「ワンピース列車」が停車している。「ワンピース列車」とは、
漫画「ワンピース」の作者が熊本出身だそうで、その人気漫画キャラクターが列車側面に書いてある。
 

女房の実家から少し離れたところに球磨川が流れているが、その球磨川に流れ込む支流に川辺川がある。
一時、川辺川にダムを建造するとかで、地元では賛否が大きく分かれ大混乱した川だが、ダム建設はいまだ着工されず景観は守られている。
夏でも流れる水は冷たく長く手を付けられないほどだが、川辺川はアユの漁場としても名高く、九州各地からと言わずアユ釣りが多いので有名。
 

土産物もたくさんもらって、小さな段ボール箱一個が帰りは大きな段ボール2個に変わった。
熊本でしか入手できない球磨焼酎「繊月」、米焼酎など関西ではなかなか手に入らないので大事に飲むことにしよう。
その他にも、「馬刺しの佃煮」は珍しい。「豆腐の味噌漬け」「豆腐のスモークチーズ」もまた珍しい。
「熊本のふりかけ」なるご飯の友も素直に旨い。孫のたっての願いだった「朝鮮飴」も何十年ぶりに食べてみたが、
片栗粉だらけで、食べるとそこいら中に片栗粉が飛び散るが、昔から味も何にも変わらない。「朝鮮飴」は清正が朝鮮出兵時持参し、
その後製法も門外不出だったそうだが、今は誰でも食べられる。九州土産の定番の「ひよこ饅頭」も「鶴乃子」も昔と変わらず旨い。
 
焼酎と言えば、色々な種類の焼酎を飲んできたが、飲んで胃に収まってしまえば特別の感はなく皆一緒で酔ってしまう。
が、口に含んだ時の味は、原料によって少しだけだが違いは分かる。米焼酎はイモ焼酎同様に匂いがきついとよく言われ家族は敬遠するが、
(とは言っても長年焼酎を飲み続けている当方には、他人が言うほど匂いはきつくないし、むしろほとんど匂わない)、むしろ匂いが強い方が
味もまた良し。日頃飲んでいる麦焼酎に比べ米焼酎の「繊月」は匂いも少々ありきつめだが、その分味も良い。良いものを貰った。
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