しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

原爆投下、仁科芳雄博士の広島行き

2018年01月25日 | 昭和20年(終戦まで)
二号研究の開発者・仁科芳雄博士は、原爆投下の調査の為
空路も陸路も困難を極める中、広島に向かった。
もし日本が早く開発していたら「原爆の父・仁科芳雄」と呼ばれていた可能性が高い。

博士の地元、里庄町では「原子物理学の父」と呼び、「最初に原爆と断定した」偉人であると誇っている。

「日本軍事史年表」吉川弘文館 2012年3月発行より転記する。

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8.7 大本営、敵が広島に「新型爆弾」を使用したと簡単に発表。
一、昨八月六日広島市は敵B29少数機の攻撃により相当の被害を生じたり。
二、敵は右攻撃に新型爆弾を使用せるものの如きも詳細目下調査中なり。

8.8 原爆被害調査団(団長参謀本部第二部長陸軍中将有木精三、団員仁科芳雄ら)、広島着。

・・・・8.8 この日、日本時間23時ソ連外相モロトフ、駐ソ大使に参戦宣戦書を手交。
・・・・8.9 B29、長崎市に原子爆弾を投下。
・・・・8.9 23時50分から宮中防空壕で御前会議を開く。
・・・・8.10 午前2時20分、御前会議で第一回の「聖断」下る。

8.10 原爆被害調査団、広島市に投下された爆弾を原子爆弾と認め中央に報告。
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