しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

井笠鉄道の廃線問題

2020年08月24日 | 昭和41年~50年
井笠鉄道の鉄道事業は、昭和46年3月31日で終えた。


(2016.3.27 笠岡市山口・井笠鉄道祭にて)

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ニュー井原新聞・縮小版 昭和44年11月11日




井笠鉄道の廃線問題
全体では会社に同情的


井原市議会では、去る昭和44年9月29日井笠鉄道株式会社から、笠岡井原間鉄道の全面廃止について賛同方の申し入れがあったことについて11月5日全員協議会を招集。
井笠鉄道から関藤社長、北村専務、高浦常務ら会社首脳の出席を求め、第一回の話し合いを行った。
関藤社長から、最近の鉄道はバス、乗用車に顧客を奪われ、過去5年間の累積赤字は1億5千万円に達している。

一時はバスの収益によって鉄道の赤字を補填できたこともあったが、近ごろではこれも不可能な状況になった。
ついては笠岡井原間を廃止したいが、廃止と同時に井原笠岡(小田西経由)の運行系統を新設する。木之子、宮の端経由の井原笠岡線を新設する。
バス部門の拡充強化によって、これまで鉄道利用の沿線住民の不便解消に努める旨確約したといわれる。

年間3000万円になんなんとする赤字を背負い込んでいる会社側には、各議員とも等しく同情の声が強い。
強い反対運動をしている木之子地区住民の、ある程度の納得いく対案が示されれば、廃止に賛成はやむなしのようだ。


なお、井笠鉄道は大正2年に開業。
井原、笠岡、矢掛、神辺をつなぐ37キロの沿線地域の、産業、文化、福祉の招来に至大な寄与をしたが、
時代の趨勢には勝てず、昭和42年3月31日には矢掛、神辺線を廃止している。



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