しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

奥出雲たたら

2020年08月24日 | 令和元年~
奥出雲の「たたら」跡や「田部家」には、是非とも一度訪れたいと思っていた。
今回三瓶山に行くことになり、それを利用して現在は島根県雲南市吉田町の「たたら・田部家」に立ち寄った。

(訪問日・2020年8月19日)

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(田部家土蔵群)



奥出雲たたらの道を往く「歴史と旅」秋田書店 昭和59年12月号


明治になるまで出雲地方の鉄の生産量は全国の30%を占めていた。

豊かな財力で出雲御三家と称される絲原家、桜井家、田部家の歴代当主は出雲の山奥に文化の花を咲かせていた。





江戸時代の初期には千石船を何隻も所有し、安来港から大坂方面に販売し巨利を得ていた。
江戸中期からの松江藩統制下に入っても、鉄師筆頭頭の地位を占めている。






一つのたたらを経営するには木炭をつくる山林3.300ヘクタールが必要だという。
最盛期の田部家にはたたら7~8ヶ所あったというから、
田部家が日本一の山林王と呼ばれるのもうなずける。




田部家の中心になっていた菅谷高館(すがやたたら)は、吉田町の中心から4キロほど北に行った山間にある。
これは現存する高館としては全国で唯一のものだ。

高館ばかりでなく、元小屋(事務所)、米倉、鉄倉、炭小屋、長屋(従業員住居)など、
いわゆる山内(さんない)と呼ばれる高館を中心とした集落構造を今に残している貴重な遺跡だ。
高館は国の重要民俗資料に指定されており、かつての米倉には、大量のたたら用具が保存されている。
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